稲妻11 | ナノ


 数多くのドラマを生んだFFIが閉幕した後、オルフェウスのメンバーは揃って日本の温泉へ行くことにした。オルフェウスのスポンサーになっていたある企業が、FFIでの選手たちの健闘を労って、チーム全員分の旅館宿泊券をプレゼントしてくれたのだ。飛行機代のみで海外旅行ができるとあっては行かない手はないと、メンバーは皆嬉々としてこの好機に乗っかったのだった。
 イタリア代表の肩書きを背負う選手団とはいえ、ユニフォームを脱いでフィールドから一歩外へ出たら、何処にでもいるような十五歳未満の子供たちになる。世界大会ぶりに飛行機の搭乗口へ集まったメンバーは皆、まだ見ぬジャパンへの期待に胸を膨らませていた。


「オレ窓側もらいっ!ジャンルカは通路側ねー」
「マルコ!初めての飛行機が嬉しいのはわかるが、少し落ち着け!」
「…二人とも落ち着きなよ」
 機内できゃいきゃいと騒ぐマルコとジャンルカを、アンジェロが揶揄い混じりに窘めている。オルフェウスというチームが出来てから何度も見たお馴染みの光景だ。それを微笑ましく眺めているフィディオもまた、自身は騒ぎに加わりはしないものの、旅の前の気分を高揚させていた。
 ふわふわと浮かれた雰囲気の中にいると、自然と明るい気持ちになる。和気藹々としたオルフェウスの空気はフィディオの心を温かく和ませた。それに何といっても、この度の日本旅行には、キャプテンであるヒデも同行しているのだ。

 ――FFIが終わり次第、キャプテンはまた旅に出てしまうのではないか…と心配していたフィディオとしては、旅行という形であれ同じ場所で同じ時間を、大好きなヒデと共有できることは素直に嬉しい。それにフィディオはヒデの口から、しばらくの間はイタリアに腰を落ち着ける、といった趣旨の言質をもらっていた。
 キャプテン不在のチームを任せられたりと、散々苦労させられた過去があるだけに、ヒデの宣言はフィディオを安心させた。これでフィディオも心置きなく、この日本旅行を楽しめるというものだ。


 フィディオは飛行機内で、敢えて二人掛けの窓際の席を選んで座った。ヒデに隣に座ってもらえないか…と思っての行動だった。バスでも電車でもフィディオの隣が空いていれば、ヒデはいつもそこを選んで座る。フィディオの期待はあながち勝算のない賭けでもなかった。
 しかし、フィディオの隣を奪ったのは意外な人物で。
「隣、イーイ?」
 そうフィディオに尋ねた者は返事を待たずして、薄い身体を翻すようにひらりと座席に収まった。ほんの一瞬の出来事だった。
「…あっ…」
 隣に座ったのはルカだった。ヒデの知己ということで、宿泊券も余分にあるし、ルカも日本旅行に参加していたのだ。
「どうかした?」
 ルカのくりくりとした特徴的な目が、瞬きもせずにフィディオを見つめていた。真っ直ぐな眼差しから逃げるように、フィディオは反射的に顔を背けた。すっかり目を逸らした後で、ルカに対して失礼な反応をしてしまったことに気が付いたが、もうどうしようもない。

 ――フィディオはルカのことをよく知らない。年齢は自分たちと同じくらいで、此度のヒデの放浪の旅に同行した、大らかで陽気な性格の少年だという。
 フィディオはルカという人物について、人から聞いた程度の情報しか知らない。二人の関係は他人とすら言っていい。それなのにルカの大きな瞳は、全てを見透しているかのように、フィディオを覗き込むのだった。
 自分すら知り得ない本心を読まれてしまいそうで、ルカと向き合う度にフィディオは怖くなる。ルカの前でどういう態度を取ればいいのか、振る舞えばいいのか、フィディオは未だに計り兼ねている。

「ええと…なんでもないよ…ルカ、さん」
「ルカでいいヨ!フィディオ」
 フィディオが不躾に目を逸らしたことを、ルカは気にしていないようだった。細かいことにこだわらないのは、ルカという人物の美徳の一つであろう。ヒデから聞いた気さくな性格というのも事実なようで、ルカは遠慮することもなく、フィディオに積極的に話し掛けてきた。会話の内容は食べ物だったりテレビの話だったりと、実に他愛のないものだ。
 想像していたよりも友好的なルカの態度に、フィディオはほっと安堵の溜息をついた。すこし話してみれば人となりがわかる。ルカは悪いひとではなさそうだ。もっとも長旅の同伴者として、ヒデが選んだひとが悪人であるはずがない。ルカの話はともすれば一方的になりがちだが、ウィットとユーモアに富んでいて面白く、フィディオもにこやかに相槌を打つことができた。

 ただし、隣に座ってくれることを期待してフィディオが待っていたヒデは、フィディオとルカが既に並んで席に着いているのを見ると、あっさりと踵を返して他の席に行ってしまった。そのことを少々残念に思いながら、しかし失礼な態度を取ってはいられないと、フィディオはルカの話に人よく耳を傾けていた。



 長い空とバスの旅を経て着いたのは、美しい山の渓流に面した鄙びた温泉旅館だった。木造で瓦葺きの純然たる和風建築の建物である。母国イタリアの建物とは全く様式が異なる異国の風情に、少年たちは口々に感嘆の声を上げる。
「三人部屋になるそうだ。どう分ける?」
 部屋割をどうするかという課題を前に、皆が顔を見合わせる中、いち早く声を張り上げたのはルカだった。ルカはフィディオの手を取って、繋いだ手を高々と掲げた。
「フィディオ、一緒に寝よう!」
「えっ、オレ…?」
「うん!それにモチロン、ヒデもだよー!」
 と言った具合に、フィディオの部屋は簡単に決められてしまった。特に異論は感じなかった。むしろ夜もヒデと一緒にいられると思って嬉しくなったほどだ。他の部屋もそれなりに割り振られていった。

 ということがあった後、与えられた部屋で荷物を整理しているときに、フィディオはヒデに話しかけられた。ヒデに声を掛けてもらうと嬉しくて緊張する。何だか久しぶりに会話をした気がする。離れ離れの旅は寂しい。たとえ隣に別の誰かがいたとしても、だ。
「フィディオ、お前は随分ルカに気に入られたようだな」
「そう…なんですか。気に入られるようなことは、していないんですが…」
 ルカとは機内で少し会話しただけなのに、あんなに積極的に接されるなんて驚いた。誰に対してもルカは人懐っこいのだろうか。やや困ったような顔で笑うフィディオに、ヒデはしっかりと頷いて答えた。
「ルカはあれでいて、懐く奴は選んでいる。ルカにはお前の良さが分かったんだろう」
「はぁ…」
 フィディオの肩にぽんと手が置かれる。それはヒデが自分に何かを強く伝えたいときの癖であると、フィディオは知っていた。
「ルカが悪い奴じゃないのは、俺が保障する。仲良くしてやれよ」
「はい。わかりました、キャプテン」
 フィディオはしっかりと頷いた。



 館内の探検もそこそこに、ヒデを始めオルフェウスの皆は、山奥に湧き出ているという秘湯を目指して出掛けて行った。
 そんな中、フィディオは一行に付いて行かずに旅館に残ることにした。何となく、皆で一緒にという気分にはなれなかった。
 しかし一緒に行くのを放棄したとはいえ、ヒデたちが戻る前に入浴は済ませておかねばなるまい。館内の大浴場に向かったフィディオは、そこで思いもよらない人物に遭遇することになる。


 フィディオが温かい湯舟に浸かってぼんやりしていると、入り口の扉が不意に開かれた。
「フィディオ!ここでも一緒になったネ〜」
 もうもうと立ち上る湯煙の向こうから現れたのはルカだった。ヒデたちと一緒に行ったものと思っていたので、フィディオは驚いた。いかにも着いて行きそうなタイプなのに意外である。フィディオはルカに問い掛けた。
「…ルカは皆と一緒に行かなかったのか?」
「山道は疲れるからね!フィディオもそうだろう?」
「…まぁ、そんなところだけど…」
 ルカは身体を洗うのもそこそこに、フィディオに倣って湯舟に入る。その一連の動作が妙に板に付いているので、ルカは以前にも温泉に入ったことがあるのだ、とフィディオは思った。
 いつのことかだなんて聞かなくても想像ができた。世界各国を巡る旅の間には、日本を訪れる機会もあったことだろう。ヒデと共に湯に浸かるルカの姿を、フィディオは首を振って掻き消した。他人の秘密を垣間見てしまった時のような、何故かいけない気持ちになる。

「ふー、オンセンはやっぱり気持ちいいねー」
「そ…そうだね」
 入浴にしては早めの時間帯だからなのか、広い浴場には二人しかいなかった。それが却ってもどかしい。自分が感じている気まずさがルカに伝わらなければいいと、フィディオは本心を押し殺しながら相槌を打った。そんなフィディオの複雑な心境を知りもしないルカは、唐突にこう切り出した。
「フィディオはヒデともうヤったの?」
「や…?…えっ…?」
「だから、ヒデとセックスしたことは?」
「セッ…!?ええっ…!」
「恥ずかしがらなくていいヨ〜ボクとフィディオの仲でしょ?」
 ルカが湯の中でフィディオの腕を取る。ルカとまともに話したのは飛行機の中が初めてだ。ヒデと対等に、それ以上に親しく接している姿に気後れして、フィディオはルカから一歩引いていた。それなのにいきなり、性の話をしろと言われても困惑するしかない。しかしフィディオが答えない限り、ルカは無邪気な言及をやめてくれそうにない。フィディオはルカから目を逸らして恥ずかしそうに呟いた。
「あ…あるわけないだろ…そんなの…」
 ヒデとキスすらしたことがない。そういう雰囲気になりかけたところで、ヒデはいつもフィディオから手を引いてしまうのだ。だからフィディオはヒデは、自分には性的な興味を持てないのだと思っていた。
 フィディオの真面目すぎる答えにルカは面食らったようだった。薄い唇を尖らせて如何にもつまらなそうな表情を見せる。
「なぁんだ…てっきり抱いてもらったものだと」
 ルカの露骨な物言いに、フィディオの頬がかあっと赤くなる。
「キャプテンはオレを…そういう目では見てくれない、よ…」
「…でもフィディオは、ヒデが好きなんでしょ?」
「…オレはキャプテンを尊敬しているだけだ。そんなやましい気持ちは…持ってない…持ったらいけないんだ」
 ヒデが愛しているのはサッカーだ。そしてヒデはサッカーに愛されている。誰かが付け入る隙なんて、そこには全くといっていいほどないのだ。悔しいくらい身につまされている。
「オレ、先に出るね…ルカはゆっくり入ってていいよ」
 ルカの顔を見る余裕もなく、フィディオは浴場を後にした。



→続く

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