稲妻11 | ナノ


「うわあぁあぁあああぁあっ!!!」
 帝国学園サッカー部部室に、不穏な絶叫が届いたのは、ありふれた昼下がりのことだった。
「今のは…源田の声か?」
「トイレの方から聞こえたっスね」
 聞き付けたのは辺見と成神だった。昼食を早々に食べ終えた二人は通信対戦などをして、残りの昼休みを有意義に過ごしていたのだった。部室には佐久間もいるのだが生憎ベンチで爆睡している。状況判断を任された二人は顔を見合わせた後、DS本体をパタリと閉じた。次の瞬間には揃って腰を上げていた。源田とはいえ何か起きていたら困るからである。


「源田!」
「源田先輩!」
 現場に駆け付けた辺見たちが見たのは、誰もいないトイレだった。しかし声はする。個室の中からだった。
「うあぁ…あ…あああ…っ…」
 見れば源田が便器を覗き込んで情けない声を発している。しかもズボンが半分脱げており下着が丸見えだ。帝国の守護神とは思えない残念な姿に、辺見と成神は絶句した。見たこともないし見たくもない光景だった。こいつは一体なにをしているのだろう。
「おい源田、どうした」
 辺見が肩を叩いて様子を窺うと、源田は今にも泣きそうな顔をして振り向いた。凛々しい眉がすっかり下がってしまっている。わなわなと震える唇で、源田は辺見たちに状況を伝えた。
「け、携帯…が…」
「携帯?お前の携帯がどうかしたのか?」
「流れた、俺の携帯…」
 消え入るような声で呟いて、源田は便器を指差した。
「流れたって…トイレにか…?」
 源田が力無く頷いた。辺見と成神も便器を覗き込んでみたが、綺麗さっぱり何もなかった。


 目覚めた佐久間が見たのは、大きな図体を体育座りに丸めて、全身から負のオーラを発する源田の姿だった。佐久間は一つ欠伸をしてから傍らの成神に尋ねる。
「…俺が寝てる間に何かあったのか?」
「源田先輩がトイレに携帯流したんだそうです」

 事の顛末はこうだ。源田がズボンを下ろした拍子に、ポケットに入れておいた携帯が便器へ落下した。まずいと思って振り返った際の体の位置がまずかった。運悪く自動洗浄のセンサーに引っ掛かり、源田の目の前で携帯はトイレに流れて行ったそうだ。
 トイレの水流の吸引力たるや恐ろしい。帝国のゴールキーパーとして培われた反射力をもってしても、吸い込まれゆく携帯をい上げることは適わなかった。中学校のトイレにあるまじきハイテクが生み出した一瞬の悲劇だった。
 瞬く間に起きた出来事にどうしていいか分からず、ズボンも半分脱げたままおろおろしているところに、辺見と成神が駆け付けた…ということだ。

「なんつーか、ご愁傷様」
「………」
「無言の源田だ。これは相当ショックだったみたいだな」
「俺だったら死ぬっス!」
 うちひしがれる源田を囲んでわいわいと騒いでいるところに、事務室に知らせに行った辺見が戻ってくる。すっかり気が動転している源田の代わりに、場の処理を請け負ったのは辺見だった。これは何も源田だけの事件ではない。あんな塊を流したままにしておいたら、トイレが詰まり兼ねないからだ。
「救出は絶望的だそうだ。万が一発見できたとしても廃棄処分だな」
「まぁ、そうなるよなぁ」
 トイレだし。うなだれる源田の頭を叩きながら、佐久間が代わりに相槌を打つ。
「あと便器を取り外さないといけないから、今すぐにどうこうすることはできないってさ。まぁ明日まで待てよ」
「そ、そうか…すまないな辺見…」
 そのまま源田はふらふらと部室を出て行こうとする。
「おい、何処に行くんだ?もうすぐ五限始まるぞ」
 呼び掛けに振り返った源田は真っ青な顔をしていた。
「…気分が優れないから、担任に言って、今日は早退する…」
「気をつけて帰れよー」
 言われた側からドアに頭をぶつける源田に、掛けるべき言葉が見つからない。今時の子供らしく少なからず携帯に依存している世代である。一瞬にしてアイデンティティの一部を無くしたショックは理解できる。
「大丈夫かな、アイツ」


 学校を早退した源田が向かったのは、恋人のアフロディの元だった。とはいえアフロディの自宅は帝国から少し離れたところにあるので、着いたのは日が暮れかけた頃だった。突然の訪問に驚かれるのを覚悟していたが、アフロディは全て承知した様子で源田を招き入れた。アフロディの両親は今日も不在のようだ。
「佐久間くんから聞いたよ。災難だったね」
 アフロディと佐久間は仲が良い。源田の身に起こったことは、佐久間づてにアフロディに筒抜けになっているようだ。ということはわざわざ説明する必要もない。ドアを閉じたばかりの玄関先であったが、源田は堪らずアフロディに抱き着いた。
「アフロディ…」
「よしよし」
 子供のようにしがみ付いてくる大きな身体を、アフロディは腕に優しく抱いてやった。アフロディが甘やかした途端に擦り寄ってくる。その態度だけで源田が相当参っているとわかる。こんなに弱った源田の姿を見るのは初めてだ。
「でも、たかだか携帯電話だよ?女の子じゃないんだから…しっかりしないと」
 確かにショックな出来事ではあるが、それにしても過剰ではないか。責めたり詰ったりするつもりはないが、アフロディは少し気になった。常ならぬ源田の動揺には、何か理由があるのではないかと思った。

 豊かな髪の毛を掻き分けて頭を撫でながら、アフロディは源田に尋ねた。
「そんなに落ち込むのには、何か理由があるのかい?」
「…あの携帯の中には…お前の写真が…」
 返ってきた意外な答えにアフロディは面食らった。
「僕の…?ああ、あの写真か」
 思い当たる節はすぐに見つかった。いつか源田に強情られて、行為中の撮影を許したことがあった。所謂ハメ撮りというやつである。熱に浮かされた表情や繋がっている部分を写真に撮られ、無遠慮にたかれるフラッシュの眩しさに思わぬ高揚を覚えたものだ。あれ以来特に消せとも言わなかったが、まさかそんなに大切にしていたとは少しこそばゆい。
「源田くんは意外とスケベだね」
 冗談半分に揶揄うと、顔を真っ赤にした源田に生真面目に謝罪されてしまった。
「すまん」
「謝らなくてもいいよ、可愛いところもあるんだね」
「…すまん」
 立派な身体を縮こめて恥じらう源田を、アフロディは可愛いと思った。ついもっと虐めたくなって、意地悪な質問を投げ掛ける。
「もしかして君、あれでいつも抜いていたのかい?」
 逡巡しながらも源田はこくりと頷いた。源田も思春期の少年であるから、自慰をするのは何らおかしなことではない。しかしオカズにしているものが、同じく同世代の同性の姿であることは、ある種の倒錯であるだろう。幾ら少女めいた愛らしい美貌を備えていても、アフロディは男なのである。そういう後ろめたさが源田にはあった。
「…軽蔑するか?」
「いいや、君が僕で興奮してくれて嬉しいよ…」
 無論、恋人の源田だからこそ笑って許せる話なのだが、アフロディはその手の好意が嫌ではない質だった。源田の欲望の対象が常に自分にあることが嬉しい。機嫌を良くしたアフロディは更に、源田のポケットの膨らみを見付けて明るく尋ねた。
「その携帯は新しい携帯?」
「ああ、アドレス帳もデータフォルダも空っぽだ」
 どうせあの携帯は使い物にならない。源田は此処を訪れるまでの間に、新たに機種変更してきていた。
「そうか、ならそのデータフォルダは、僕でいっぱいにしてくれていいよ」
「どういうことだ?」
「…玄関では何もできないね、明るいところに行こうか」
 アフロディは蠱惑的に微笑んで、源田の頬に口づけて誘った。



 明るいリビングにそこはかとなく淫猥な雰囲気が生まれていた。パシャリパシャリと無機質な機械音が響いている。
「はぁ、あ…アフロディ…」
 ソファに座らされた源田の股間に、アフロディが顔を埋めて奉仕している。反り立った立派な肉棒に丹念に舌を這わせて愛撫する。普段のように深くくわえ込むことをしないのは、殊更に源田の視線を気にしているからだ。アフロディは今、源田に見せるためにフェラチオをしている。
「好きなだけ撮っていいからね?」
 充血した勃起を愛おしむように唇を寄せる。脈打つ幹を舐め上げて、剥けた先端の窪みを指で弄る。溢れる透明な先走りを吸い上げて、尖らせた舌先でも鋭敏な鈴口を穿り返す。的確に与えられる暴力的な快感に奮えながら、源田は新しい携帯を構えてアフロディの姿を撮影した。次から次へ写真を撮った。

 被写体であるアフロディもまた、自身の顔と源田の性器が合わせてよく写るように、口淫の角度を調整していく。フラッシュの眩しさと無感動なシャッター音の連続に、気分がどんどん高揚していくのがわかった。
 はしたない行為の一部始終が撮影され、真っさらな携帯に次々に保存されていく。源田はいつかそれを見返して、今日の出来事を思い出しながら、自慰に耽ったりするのだろうか。それは想像するに悦ばしく、また妬ましいことだった。源田の欲求の一つを掌握する悦びに胸が震える一方で、写真に撮られた自分自身に嫉妬してしまう。
 自分も大概独占欲が強いとアフロディは内心苦笑した。この酷く人間らしい我が儘な感情は、源田と出会ったことで生まれたものだ。

 矛盾する思いを誤魔化すように、目の前の肉棒を強く吸い上げる。その頃にはもうフラッシュはたかれなくなっていた。巧みな舌技に責められ続けた源田に、カメラを向ける余裕は残っていない。
「っく、あ…アフロディ…出る…っ」
 宣言から間もなく、源田の肉棒はどくりと脈打ち、先端から白濁が勢い良く噴き出した。弾ける直前に性器を離したアフロディは、降り注ぐ熱い飛沫を顔で全て受け止めた。精液が滴り落ちるアフロディの顔から源田は目が離せない。
「す…すまない…」
 顔射してしまったのは初めてで申し訳なさが込み上げる。それでいて新鮮な白濁に濡れたアフロディは壮絶に色っぽかった。たった今出したばかりなのに反応してしまいそうになる。
「ほら、源田くん…シャッターチャンス」
 美貌をザーメン塗れにしたアフロディが、カメラに向かってピースサインをする。普段よりだらし無く緩んだアフロディの笑顔を、言われるままに源田は写真に収めた。


 夢でも見ているような非現実的な光景に冒されていた。頭がぼうっとして上手く考えられなくなる。いつの間にか源田はアフロディに、ソファに押し倒されていた。しなやかな金の髪が源田の頬を柔らかく擽る。
「アフロディ…?」
「撮影会はまだ終わっていないよ」
 唇の端に付着した精を真っ赤な舌を出して舐め取り、今度はアフロディが自分の携帯電話を取り出した。状況が把握できずにぼんやりとする源田の顔を、手始めに一枚撮影する。フラッシュの眩しさに怯えるように、源田は切れ長の目を細めた。カメラを源田に向けたまま、アフロディはにっこりと綺麗に笑って言った。



「僕だけ撮られるなんて不公平じゃないか。僕も君の写真が欲しいな…飛び切り恥ずかしい一枚をね」

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