イナズマジャパンとの試合に4-3でユニコーンは敗れ、一之瀬は件の事故の後遺症の手術のために一時チームを離れることになった。一之瀬が身体の問題を抱えてサッカーをしていたことを、ディランは全然知らなかったから、監督と土門から事の真相を聞かされて心の底から驚いた。
一之瀬の苦しみに気づけなかった自分自身を叱咤したい気持ちになったけれど、それよりもディランが気に掛けたのは、同じく事実を知らされたマークのことだった。試合直後のマークは類を見ないほどの落ち込み様で、フィールドの真ん中で膝を抱えて動けなくなってしまったのを、監督に促されてようやくベンチに下がることができたくらいだ。
ディランとマークは所謂幼なじみという関係にあたる。サッカーでペアを組んで長いこと経つけれど、こんなにも感情を露わにしたマークの姿をディランは初めて見た。敗北の悔しさから泣いた試合は、指折り数え切れないほどあったが、ここまでマークが塞ぎ込むことはなかった。何がそこまでマークを追い詰める原因になったのか、それは火を見るよりも明らかで、今更敢えて問い詰めるまでもない。
宿舎へ戻るや否や部屋に閉じこもってしまったマークは、夕食の時間になっても食堂に現れなかった。スタジアムでの姿が目に焼き付いて呼びにも行けず、ディランは一人で夕食の席に着いた。
空席だらけのテーブルが切ない。マークも一之瀬もいない食卓はパンのないハンバーガーのようだ。野菜とチーズとハンバーグがバラバラに皿に乗っているだけの料理は、きっとハンバーガーとは呼べない代物になっている。ハンバーグをパンの代わりにはできない。自分では二人の代わりにはなれない。
チームのみんなは努めて普段どおりに振る舞っているものの、纏う雰囲気はどこか不安定でぎこちない。昨日までと今日からとでは、ユニコーンを取り巻く環境は、劇的に変わってしまったのだと思い知らされる。
「冴えない顔をしてるな、ディラン」
「ドモン…」
ディランの前に土門が座った。大きなアイガードは表情を読ませないためのものなのに、あっさりと見抜かれてしまっては意味がない。土門の言うとおりディランにも、自分が情け無い顔をしている自覚はあった。
「一人でいるお前は久しぶりに見たぜ。相方が居ないと寂しいよな」
「イエス…お互いにね」
「まさか!ようやく入院してくれて肩の荷が下りたさ」
土門は大袈裟に肩を叩く仕草をした。それは土門なりのユーモアの表現で、土門が本当は心の底から一之瀬の身体の心配をしていたことは、チームの誰もが知っている。
「…ドモンは知っていたんだね」
一之瀬の身体のことは土門だけが知っていた。監督は気付いていた。
「ああ、まぁな。知ったっつーか、わかっちまったって感じかな」
「ミーは全然知らなかったよ」
一之瀬のプレイの印象が普段と違うのも、知り合いと戦うから気合いが入っているのだろう、程度にしか考えなかった。あの事故の後遺症が残っていただなんて、手術をしなければサッカーができなくなるかも知れないだなんて、考えもしなかった。
自分の考えはつくづく甘い。ディランは唇を噛み締める。あんなに一之瀬の近くに居たのに、一之瀬のことを何一つ理解できていなかった。
「一之瀬本人が隠したがってたことし、俺も口止めされてたんだ。知らなくて当たり前だ。お前が気にすることじゃねーよ」
土門の言うことはもっともだと思う。知らされずして知らないことだったし、もう知らされたことなのだから、秘密にされたことを蒸し返したり問い詰める気にはならない。もし自分が一之瀬の立場だったら同じようにしただろう。
それでもディランには一つだけ、未だに気掛かりが残っていた。
「マークは気づいていたのかな…」
今日という日の試合に一之瀬が全力を賭ける意味を、マークが知って応えようとしていたのだとしたら。
「マーク…入るよ?」
夜だというのに明かりは点いておらず、マークの部屋の中は真っ暗だった。返事もないのでマークがどこにいるのかも、そもそも室内にマークがいるのかさえわからない。ディランは多少のすまなさを感じながら、自分の部屋と同じ位置にある照明のスイッチをオンにした。
「…マーク…」
マークは帰ってきたときのジャージ姿のまま、抱えた膝に顔をうずめて、ベッドの上に座っていた。ディランも傍らに腰掛ける。二人分の重さを受けたスプリングが少しだけ軋んだ音を上げる。
「冷めちゃったけど、夕食持って来たよ」
マークは顔を上げてくれない。あんまりにじっとして動かないから寝ているようにも思えたが、二人だけの静寂の中で耳を澄ませば、引きつるような呼吸音が聞こえてくる。ディランの胸はまた痛んだ。マークはまだ泣いているのだ。
「食べたくないなら、食べなくてもいいから…だから、ねぇ…もう泣かないでよ、マーク…」
震える金髪を撫でるとマークの嗚咽が伝わってくる。やはりマークの様子は尋常ではない。敗北が悔しいものとはいえ、たかだかサッカーの一試合である。マークがこれほど落ち込む理由を、ディランには今一つ理解できずにいる。マークのことなら何でも知っているつもりだったのに、今はわからなくなってしまった。掛けるべき言葉も見つからなくて、ただ黙ってマークの側にいた。
「勝てなかった…」
長い沈黙の後で、消え入るような声でマークは呟いた。
「オレたちの、ユニコーンのサッカーが…カズヤとのサッカーが…負けたんだ…」
心情を吐露するマークの、膝を抱える腕が震えていた。
「勝つチームがあれば負けるチームがある、それがスポーツの習わし…でしょ?」
「わかってる…」
「一回負けたからって、決勝リーグに出られないって、決まったわけじゃないし…次の試合、その次の試合にも勝てば…」
「そういう問題じゃない!」
ディランの手を振り払い、マークは叫んだ。マークに怒鳴られたのは初めてだったから、ディランは驚きで言葉が紡げない。
「オレたちは今日、勝たなければならなかった!次ではいけないんだ!」
必死に「今日」を強調するマークの、真っ赤に泣き腫らした目が痛々しい。
「カズヤの、最後の試合だったかも知れないのに…」
ずっとマークは泣いていたのだろうか。真っ暗な部屋で一人、一之瀬のことを思いながら。
「オレは今日、カズヤを勝たせてやりたかった…」
マークが一之瀬一哉という人間に心酔していることは、ディランもよく知っていた。しかしこれほどまでとは思っていなかった。尋常でない執着。
「カズヤカズヤカズヤって、マークはそんなにカズヤが大事なのかい?」
「大事さ。カズヤは大切な仲間だ。それにカズヤは…オレの…」
それっきりマークは口を噤んだ。俯いた顔に焦燥と躊躇いの色がありありと浮かんでいる。大凡ただの仲間や友人について語るときにする表情ではない。ディランの胸は締め付けられた。マークは口を開けば一之瀬の話題になる。痺れを切らしたディランは、尋ねてはならない質問をしてしまった。
「マークは、何のためにサッカーをしてるの?自分のため?カズヤのため?」
「…決まってる」
マークは顔を上げて無理やりに微笑んだ。答えとしてはそれだけで沢山だったのに。
「もうずっと前からオレにはカズヤの方が大事なものだったんだから」
――その言葉はディランを絶望させるのに十分すぎた。毎日居残って練習して編み出した必殺技も、夢を語らって過ごした沢山の季節も、マークの一言で瞬く間に色褪せていった。二人で積み重ねた時間は唯一無二の尊いものだと、信じて大切にしてきた自分が馬鹿みたいだ。
「…それは本気で言ってるのかい?」
「オレの言葉は本当だ…カズヤがサッカーを諦めるなら、オレもサッカーをやめる。躊躇いはない」
「…っ、マーク…」
散々二人で一人扱いされて来ても、結局自分たちは他人だったのだ。二人を繋げたサッカーは、いつの間にかこんなにも遠いものになっていた。ディランはそれに気付けなかった。…気付きたくもなかった。
絶望の次に訪れたのは、目の前が真っ赤になるような怒りの感情だった。裏切られたし捨てられた。半身として歩みを共にしてきたマークの不義を許せるほど、ディランは大人になり切れていなかった。マークの肩に手を掛けて力任せに寝台に押し倒す。突然のことに見開かれたエメラルドグリーンの虹彩に、必死な表情の自身が映る。
「このまま、マークが抵抗しないなら…」
マークのジャージのファスナーをディランは下ろす。全身がほの暗い衝動に侵されていた。このままだと最悪の形でマークを傷付けてしまうのが目に見えていた。マークが力一杯拒絶してくれることをディランは祈った。湧き上がる激情を御する術をディランは持たない。だから、どうか抗ってくれと願った。
「構わない、好きにすればいい」
「マーク…」
「それでお前の気が済むのなら…」
最後の一線すらマークによって掻き消されてしまった。打ち震えるディランの耳元で、マークがそっと囁いた。
「もう戻れないな…」
今までに聞いたこともなかった声色で。
よく解した後孔に欲望を突き込んだとき、あまりの気持ち良さに一瞬で昇り詰めたディランは、我慢できずマークの中に射精した。ディランが極まるその間も、蕾は断続的に男を食い締めていた。不思議に思ってマークを見れば、今まさに腹部に精を吐き出しているところだった。驚いたことに、お互いに挿入の衝撃だけで達してしまったらしい。
「…んっ、は、あァ…あっ…」
反り返る性器の先端から吹き出す白濁が、マークのしなやかな腹筋と豊かな茂みを汚していく。あまりに淫らなマークの姿にディランは目眩がした。すぐに持ち直した熱でマークの身体を穿つ。
「マーク…!」
「ン、ぁあっ!はっ…ああ…っ
ぴったりと嵌めた腰を揺らせば、何とも官能的な表情を浮かべながら、マークが嬌声を上げる。マークと触れ合った何処も彼処もが、気が狂うほどに気持ち良かった。初めからこうするようにできていた、自分とマークは一つになる運命だったのだとディランは思った。最後の最後で思い知らせるなんて、神様も残酷なことをする。
「ごめん、ディラン…ごめん、ごめん…」
快楽に喘ぐ狭間にマークは謝罪を繰り返す。そんな言葉を聞きたかったわけではない。謝り続けるマークの口元を、ディランは手のひらで優しく抑えつけた。
「お願いだから謝らないで…マーク…」
ミーも謝ってしまいそうになるから。ディランはそう言って、マークの瞼に口づけた。涙の切ない味が唇を濡らした。
――ディランとマークは確かに二人で一人だった。ディランの考えがマークの考えで、マークの考えがディランの考えだった。二人はまるで自分のことのように相手の気持ちを理解することができた。誰よりも近いところにいると自惚れて、安心してしまっていたのかも知れない。二人の世界がいつから分かたれてしまったのか、今ではもう知る術もない。身体の深いところで繋がったとしても、心はどんどん離れていく。
「もう戻れないね、マーク…しあわせだった頃には…」
二人の夢は終わりを迎えたのだ。