神出鬼没のアフロディを探して校舎を散策していた辺見渡は、サッカー部の部室に明かりが点いているのを偶然見つけた。防犯上の理由から部室には、文化祭開催期間中は鍵がかけられているはずだった。
「誰かいるのか?」
不思議に思って中を覗き込むと、立ち並ぶロッカーの奥の壁にもたれ掛かるように、源田幸次郎が立っていた。源田は辺見の姿を認めると少しだけ狼狽らしきものを見せた。辺見は源田の様子に微かな違和感を覚えたが、違和感の正体までは判然としない。
「源田!こんなところでどうしたんだ?」
副部長のようなポジションにいる源田は合い鍵を持っているので、部室を自由に開けることができる。真面目な源田に限ってサボリは有り得ないし、それならば何故と、辺見は源田が持ち場を離れて部室にいる理由に首を傾げた。
「ちょっと気分が悪くなって…少し休めば治ると思うんだが」
「えっ、大丈夫か?」
身体の不調を伝える源田の顔色は、言われてみれば確かに赤らんでいる。文化祭の熱気に当てられたのかもしれない。サッカー部の出し物における源田の人気といったら、佐久間と同じかそれ以上のものだったからだ。
「確かにお前は大人気だったからな…わかった。寺門には俺から適当に言っとくから、元気になってから戻ってこいよ」
あらゆる所から引っ張っりだこで、さぞかし疲れたことだろう。源田の体調に配慮して、辺見は言い訳の役目を請け負った。
「すまない辺見」
「ここにいるのもみんなにはわからないようにするからゆっくり休め!」
「ああ、そうする…」
頷いた源田の顔は先ほどより赤くて息も荒い。熱があるのかもと辺見は心配に思ったが、あまり過保護に世話を焼かれても困るだろうと、敢えて深くは突っ込まなかった。
源田は考えなしの馬鹿ではないから、本当に体調が優れないなら一人でさっさと保健室に行っているに違いない。休憩を挟めば回復すると本人が言っているのだから、放っておいても大丈夫な状態なのだろう。
辺見は去り際にもう一つ、探索の本来の目的について源田に尋ねた。
「そういえば佐久間がアフロディを探してるんだが、何処にいるか知ってるか?」
「…いや、俺にはわからない…」
「そっか。もし見つけたら連絡してくれ」
「わかった」
そのままドアは閉じられて、辺見は行ってしまった。部室に残された源田は肩の力を抜いて溜め息をついた。そのままずるずると座り込んでしまいたい気分だったが、それはできなかった。足の間に余計なものがあるから、座れないのだ。
源田は今、スカートの丈がくるぶしまである、ベーシックな白黒のメイド服を身に纏っている。そのスカートの中には今まさに――辺見が探していたアフロディこと、亜風炉照美が匿われていたのである。
週末に帝国学園の文化祭があるから是非とも来いと。アフロディの携帯電話に佐久間からのメールが届いたのは、金曜日の夜のことだった。
佐久間の連絡はいつもいきなりだと呆れると同時に、アフロディは煮え切らない思いに駆られていた。帝国の文化祭があるだなんて初耳だった。そんなことは源田から一言も聞いていない。
アフロディは帝国の源田と付き合っている。月に二、三度しか会えないが、メールか電話を毎日するし、喧嘩も一度もしたことがない。要するにラブラブだ。想い想われで両思いの、蜜月の日々を過ごしている。
お互いの近況は逐一報告し合っていた。大体のスケジュールも把握している。しかし源田は週末に文化祭があるだなんて言わなかった。それどころか今週末は会えるかとの問いに「部活があるから無理だ」と答えてすらいた。 源田に嘘をつかれていた。それがアフロディにはショックだった。
隠し事はしないというのが、二人の暗黙の約束だったのに…。
携帯を握り締めて切ない思いに沈んでいたアフロディだが、やがて意を決したように携帯のアドレス帳を開くと、目当ての電話番号へ向かって通話ボタンを押した――発信先は佐久間の携帯である。
「もしもし佐久間くん?僕だけど、メールにあった文化祭について…詳しく教えてもらえないかな…」
そうして佐久間から帝国の文化祭、ひいては帝国サッカー部の出し物についての詳細を聞いたアフロディは、源田が嘘をついた理由を察した。
「うん、それでは明日行かせてもらうよ…ああ、源田くんには言わないでね、内緒で行ってビックリさせたいんだ…」
佐久間に口止めをして通話を終える。アフロディは早速源田へ今日の分のメールを作成した。殊勝にも「明日も部活頑張ってね」などとハートの絵文字付きで送ってやる。
これで源田はアフロディが教えていない文化祭に現れるとは微塵も思わないことだろう。下準備は完璧だった。
「アフロディ…!どうして!」
文化祭の雰囲気に沸き立つ帝国学園に現れたアフロディを、源田は信じられないという表情で見つめた。アフロディもまた目をぱちくりと丸くして源田を見つめていた。
「源田くん…それ…」
「だから呼びたくなかったんだ…!」
源田は顔を真っ赤して自棄になったように声を張り上げた。レースやフリルの可愛らしい内装がされた仮設の店内で、忙しく給仕に励む源田が身に纏っているのは、白と黒でコーディネートされたレトロな雰囲気のメイド服だった。
帝国学園サッカー部は部を挙げてメイド喫茶を営んでいた。特にレギュラー陣はコスプレ必須で、洞面のようなマスコットからから大伝のような巨漢まで、思い思いのメイド服にサッカーで鍛え上げた身を包んでいた。
――文化祭だろうと帝国サッカー部に敗北は許されない!
メイド喫茶を提案したのは、帝国の参謀こと佐久間次郎である。文化祭の模擬店の人気投票でトップを取るための作戦だった。当然湧き上がるブーイングを沈めたのも佐久間だった。
「今回は鬼道さんが客として来る!帝国サッカー部の名にかけて無様な姿は見せられない!だから俺もメイドになる!お前らもメイドになれ!これは命令だ!従わない奴は俺が尻の穴に皇帝ペンギン1号すっから覚悟しろ!以上!」
佐久間はエキゾチックな雰囲気の見目麗しい美少年だが、気性は決して大人しいとは言えず、女の子扱いされることを大変嫌悪している。その佐久間が自ら率先して女装をすると言うのである。身を挺した佐久間の決意表明に従わざるを得ない状態になり今日に至る。
メイド喫茶『デスゾーン』の売上は、上々だなんて生易しいものじゃない。メイドも裏方もフル稼働で大盛況の大繁盛だ。
それというのもミニスカゴスメイドの際どい格好をした佐久間が、舎弟を引き連れて校内を歩き回り、メイド喫茶の宣伝活動に励んでいるからだ。
そして佐久間が呼び寄せた客をレギュラー全員で刈り取る。帝国サッカー部に相応しい完璧な布陣、まさにデスゾーンだった。
しかし正直言って、誰に受けるのかわからないメイドが山ほどいる。寺門や万丈はまだ笑いが取れるだけマシだが、敏腕レジ打ち係の五条のメイド姿など恐怖以外の何ものでもない。本人が比較的乗り気なのが更なる恐怖を煽っている。
そして自分も五条ほどではないが、色物の類だろうと源田は思っていた。デカいしゴツいし男っぽいし、髪の毛は普段のままだし、成神や洞面みたいに可愛くも振る舞えない。衣装を選べというときに、一番露出が少なくて地味な色合いのメイド服を選択したが、やはり似合わないし女装した自分は気持ち悪いと思う。
こんな姿は恋人のアフロディには見せたくなかった。アフロディは源田を男らしくて格好いいと言ってくれる。情けない女装姿を見せて幻滅されるのが怖くて、源田はアフロディに文化祭の存在を教えず嘘をついた。しかしこうして最悪の形でバレてしまった。
「最悪だ…」
この世の終わりを迎えたような風情で立ち尽くす源田に、アフロディは一歩近づいた。青ざめる表情を覗き込んで呟く。
「美しい…」
そして大勢が見つめる中で、アフロディは源田を抱き締めた。二人を取り巻く観衆から色とりどりの悲鳴が上がる。源田も変な声を上げてしまった。腰を抱く意外と強い腕の力にどきっとする。
「こんなに美しいメイドさんは初めて見たよ…」
「あ、アフロディ?」
「恥ずかしがらないで…君はきれいだよ、誰よりもね…」
慣れた手つきでアフロディが源田の顎を捉えた。深紅の瞳に雄の色が見え隠れしている。微笑みの形を保ったまま、ゆっくりと近づいてくる薔薇色の唇から、源田は目が離せなかった。
「はいはい!メイドさんにはおさわり禁止っスよぉー!」
唇が触れ合う直前で、無遠慮な腕が二人を引き離した。水色のアンミラミニスカメイド姿の成神が、源田とアフロディの間に強引に割り入る。
「成神!アフロディは源田の…」
辺見が言い及ぶが、成神は悪びれない。
「それは知ってますけど、例外を作ったらルールが成り立ちませんから」
成神が正論である。いくら恋人同士とはいえ、メイド喫茶という空間にいる以上、そこでの決まりは遵守しなければならない。メイドに手出ししてはならないのだ。
「ああ、そのとおりだ。すまないねメイドさん」
咎められたアフロディは、軽率な行いを素直に謝罪して身を引いた。その態度がかなり紳士的だったので、帝国一同はアフロディを見直した。影山の悪夢から覚めてみれば、なかなかどうして礼儀正しい奴である。
先ほどまでの強引さは何処へやら、大人しくテーブルに収まるアフロディは、メニューから紅茶とスコーンなどを頼んでいた。落ち着いたものである。
しかし源田の動悸は収まりそうにない。
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