稲妻11 | ナノ


 イギリス代表ナイツオブクィーンとの試合に、アメリカ代表ユニコーンが勝利した。ナイツオブクィーンは各国キャプテンの中でも、カリスマ性と統率力に定評のあるエドガー・バルチナスが率いる名門チームである。
 双方のチームレベルは互角であり試合前の下馬評も二分していた。実際の試合の明暗を分けたのは団結力であろう。エドガーを君主に据えた専制形式の構造を持つイギリス代表に比べて、アメリカ代表は選手同士の間に隔たりがなく、繋がりが強固なチームである。息の合ったチームプレイで勝ち取った勝利といえた。
 団結力だけでなく、アメリカ代表は個々の選手の能力も非常に高い。並み居る実力者の中から選ばれた代表選手は皆優秀だったが、中でもチームの要といえるプレイヤー、一之瀬一哉の実力は際立って突出していた。
 アメリカ大会の際も目を見張る活躍を見せた一之瀬だが、この世界大会に来てからは、サッカーに向ける気迫がまるで違った。サッカーの神様に愛された天才プレイヤー。フィールドを駆ける一之瀬の背中に、世界に羽ばたくアメリカの姿をマークは見たのだ。
 一之瀬がいる。ユニコーンはまだ強くなる。このチームならば更なる高みを目指せる。勝利への確かな手応えに、マークの胸は熱く震えた。試合の余韻が未だに冷めやらず、今夜はなかなか眠れそうにない。
 宿舎の窓から見える真夏の夜空に、幾千の星光が瞬いている。ライオコット島の空に浮かぶ星はアメリカのそれとは並びが違う。見上げたそれらはマークの知らない星座ばかりだが、賞賛の言葉も要らないほど綺麗だった。マークの生まれる遥か昔に放たれた、宇宙の彼方から届いた永遠の輝き。ベッドに寝転がったまま、いつまでも眺めていたい気がした。

 今日の試合での疲労を癒やすことを考慮して、明日の全体練習の始まりは午後からとなっている。度が過ぎなければ夜更かしをしても平気だろう。夜空を見上げたマークが星を指差して数えていると、入り口の扉が開く気配がした。
「誰?」
「…マーク」
「カズヤ」
 暗闇から静かに現れたのは、先程思い浮かべていた一之瀬だった。昼間の試合で活躍した一之瀬は、流石に疲れた様子をで夕食を取り、ミーティングの後は早々と自室へ戻っていた。一之瀬はすっかり寝入ってしまったものだとマークは思っていたから、真夜中の訪問は意外だった。
「話がしたいんだ、大丈夫かな?」
 チームメイトであり恋人である一之瀬の訪いを、突然だからといってマークが断る道理はない。マークは腹筋を使ってベッドに身を起こすと、隣に一之瀬を招き入れた。ベッドサイドに座ったマークに倣って一、之瀬もその横に腰掛ける。二人分の体重を受けたスプリングが、きしりと乾いた音を立てた。
「カズヤ、話ってなに?」
 ひどく思い詰めたような一之瀬の横顔に、マークはただならぬ不安を覚えた。ミーティング後にふらりと去ったのも気になって、明日になったら自分から訪ねようと思っていたのだ。そんな一之瀬から話があるというなら聞きたかった。
「…今日の俺のプレイ、どうだった?」
 率直な感想を聞きたいんだと、一之瀬はマークに言う。一之瀬が自分のプレイに対して客観的視を求めるとは、マークは少し意外だった。
「すごかったよ。強気で大胆で、それでいて正確で…フィールドが全てカズヤのものみたいだった。世界に来てからカズヤはますます強くなったね」
 一之瀬と共に中盤の双璧を成しているマークは、そのプレイの一挙一動を間近で目にしている。同じミッドフィルダーというポジションにありながら、一之瀬が見ているものは遥か遠くにあるとマークは気づいた。一之瀬は自分の手の届かない場所にいるのだろう。今日の試合でマークは思い知った。観客を魅了する華麗なプレイは天才と呼ぶに相応しいものだった。
「ありがとう。他に何かない?」
「そうだな…カズヤはもっと…スマートなプレイをするイメージだったから、少し驚いたかな…」
 イギリス戦の一之瀬の姿には確かに魅せられた。しかし一方でマークは微かな違和感も抱いていた。アメリカ大会までの一之瀬のプレイは、マークのよく知った「一之瀬一哉」のものだったけれど、ライオコット島に来てからの一之瀬は、何処か変わったようだった。明確に変化を指摘できないから、口にしたことはなかったが。
「前の方が良かった?」
「そんなことない…今のカズヤが一番だよ」
 マークはいつだって目の前にいる一之瀬だけを見続けてきた。昔の方が良かっただなんて、そんなことを言われるのは心外だった。一之瀬はむきになるマークを「変なことを聞いてごめん」とやんわりと制して、ようやく少しだけ微笑んだ。
「マーク」
「なに?カズヤ」
「マークは俺が好き?」
 改めて聞くまでもないことだ。マークが一之瀬に傾倒していることは、誰の目から見ても明らかであるし、本人たちも了承している。挨拶のように日常的に「好き」と使うことはあったが、敢えて尋ねたり尋ねられたりすることはなかった。
 一之瀬の眼差しはマークに明確な答えを求めていた。素振りや態度ではなく、言葉での返事を欲しがっていた。
 だからマークは答えた。言葉にすることに躊躇いはなかった。
「…好き、オレはカズヤが大好きだよ」
 友情として、愛情として、一之瀬以上にマークが慕わしく思っている存在はない。マークのはっきりとした肯定に一之瀬は安堵したように破顔して、前触れもなくその唇を奪い取った。
「んっ…!」
 マークの顎を捉えた一之瀬は、可憐な唇に噛みついて容赦なく蹂躙した。戸惑う舌を巧みに捕らえてきつく吸い上げる。息継ぎも満足にさせてもらえない激しいキスに、マークの舌の根がじんじんと痺れた。一之瀬は渇きでも癒やすかのように唇を貪った。思考まで浚われていくようだった。
 散々吸われて腫れた唇を一舐めしてから、一之瀬はようやくマークを解放した。はぁはぁと息を切らすマークの頬は上気して、艶めかしく色づいている。一之瀬の仕掛けたキスがそうさせた。
「や…カズヤ…いきなり…」
「悪い…でも、興奮が冷めなくて眠れないんだ。マークを抱きたい…駄目かな?」
 キスの余韻が冷めないマークの耳元で、とびきり甘い声で一之瀬は囁いた。あからさまに身体を求められて赤面する。いやらしく腰を撫でる手のひらの感覚にマークは震えた。いつも優しくて器用な一之瀬が、こんな風に強引に迫るのは珍しい。
 こんなにも一之瀬を急かすものの正体をマークは知らない。しかし一之瀬が自分に縋ろうとするなら、その衝動は受け止めたいと思った。たとえ何も生み出さない不毛の慰めだとしても、マークは一之瀬の支えになりたかった。
「いいよ…カズヤの好きにして」


 一之瀬の手がマークの寝間着のシャツを捲り上げる。一之瀬の指が素肌を掠めるだけで、マークは小さく声を上げてしまう。敏感すぎるマークを一之瀬は優しく叱りつけた。
「隣、土門がいるから…あんまり声は出すなよ」
「ぅん…」
 しかしライオコット島に来てからというもの、練習続きでまともに触れてもらっていない。久々に与えられる刺激をマークは上手くやり過ごすことができない。一之瀬に肌を撫でられる度に生まれるぞくぞくとした感覚に全身が痺れた。
「んっ…ぁん…」
 このまま隣室の土門に気づかれるような、大きな声を上げててしまいそうな気がする。マークは自らの手で口元を覆った。
 必死に口を抑えて声を上げまいとするマークを見て、一之瀬はくすっと意地悪に笑った。実のところ、この壁の向こうに人が居ようと居まいと構いはしない。マークの口を塞ぐ適当な理由が欲しかったから、一之瀬は釘を刺したのだ。
 そして一之瀬の思惑どおりマークは自ら声を戒めた。ご褒美でも与えるように一之瀬はマークの頭を撫でた。
「マークはいい子だな…そう、そのまま…静かにしていてくれよ…」

 愛撫の手順はいつもどおり丁寧で優しかったのに、マークは一之瀬をこわいと思った。今日の一之瀬には余裕がない。乱暴にしたい衝動を無理やり理性で抑え込んでいる感じだ。
 マークは一之瀬を逸らせるものの正体を知りたかった。一之瀬に触れられながら何度尋ねてしまいそうになったかわからない。しかしその度に心臓を切られるような切ない目で一之瀬が見つめるから、マークも何も言えなくなる。
「…マーク、挿れるよ」
「…ぅ…んっ!ふぅうっ…」
 丹念に解されたそこに熱の塊が侵入する。猛る剛直に身体を貫かれる衝撃に、マークの背中が可哀想なくらい仰け反った。かたかた震えるマークの身体を抱き締めて、一之瀬は緩やかに抜き差しを開始する。
「んぅ、うぅ…ふ…」
 硬い先端で内壁を擦られると何とも言えない感覚が押し寄せる。下肢で生み出される快楽の波をマークは目を瞑って受け止めた。口を抑える手の下には、マークの荒い息使いが籠っていた。
「…ふ…うぅ…ん…っ」
「マーク…」
 性器を優しく握られて新たな快感にマークは身悶えた。幹や亀頭を指で擦られる度にマークは後孔を締めてしまい、貫く男根を強く意識して恥ずかしくなる。マークの睫毛を濡らす涙を一之瀬が舐め取る。
「マーク」
 一之瀬に名前を呼ばれて大きな瞳に見つめられる。今この瞬間だけは一之瀬は自分のもので、一人の男でしかないとマークは思う。
 好きだった。愛しかった。一之瀬のためなら何だってできるししたいと思った。
 こんなにも一之瀬に寄り添いたいと思うのに、心の寄る辺がわからない。名前を呼んで抱き締めたいのに、そのどちらもマークにはできない。
 身体を繋げれば心も繋がるというのは幻想だった。一之瀬の悲しみがわからない。それはとても辛いことだった。
「…く…ふぅ…っ」
「マーク…っ!」
 存外に逞しい腕がマークの身体を抱き締めた。愛しい男の腕の中で、マークはただ打ちつけられる熱に揺さぶられた。
「何も言わないでくれ。何も聞かないでくれ…ただ俺を感じていてくれ、マーク…」
 縋りつく一之瀬の懇願にマークは黙って頷いた。


 幾度目かの絶頂の後で意識を手放したマークは、今は白い瞼を晒しながら一之瀬の傍らで人形のように眠っている。
 酷いことをしたと一之瀬は悔やむ。性欲処理の道具として使われても、マークは一切抵抗をしなかった。言われたとおり口を閉ざして一之瀬の一方的な熱を受け入れた。マークの献身的な身の差し出し方を思い返すと、一之瀬は罪悪感でいっぱいになる。
 けれどマークが居てくれなければ、自分がどうなっていたかわからない。一之瀬は胸に手を当てて唇を噛み締めた。


 ――身体に不調を覚えて病院へ行ったら、事故の後遺症が残っていると言い渡された。今すぐに手術をしなければ命に関わるとも、手術をしたらサッカーができなくなるかも知れないとも言われた。
 一之瀬の心に重くのし掛かったのは後者だった。サッカーができなくなる。それは一之瀬にとって、鳥が翼をもがれるのと同等の意味を有していた。
 サッカーをしたくてもできない絶望を一之瀬は一度味わっている。血の滲むようなリハビリを経て、地獄のような特訓を重ね、再びフィールドに立てるまでに復活した。一度は全てを諦めた男が、強い意思に支えられて全てを手に入れた。しかしあの事故はまたもや自分から、自分の全てといえるサッカーを奪おうとしているのか。
 何もせずに大人しく退くなんて、そんな消極的な選択は一之瀬は絶対にしたくなかった。屈したくない。失いたくない。たとえ自分の先に未来と呼べるものが用意されていなくても、世界の舞台というこの誇らしいフィールドに、一之瀬一哉というプレイヤーがいた証を刻みつけたかった。
 まだ終われない。まだやめるわけにはいかない。一之瀬は手術を後回しにして世界で戦う道を選んだ。時限爆弾のような危険を孕んだ肉体を抱えながら、フィールドを駆ける。これで最後かも知れないと覚悟しながらボールを蹴る。
 悲壮な決意が生み出す感情は、充実感によく似ていた。無我夢中にボールを追うその瞬間だけは、一之瀬は全てをサッカーに注ぎ込むことができた。生きているのだと強く実感できた。


 一之瀬は眠るマークのブロンドを指で梳いた。恋人として、友として、それからプレイヤーとして自分を一心に慕う可愛らしいひと。マークにはいつも笑っていて欲しい。悲しませたくなんてないのに。指からするりと逃げていく金色に、一之瀬は近い将来を重ねて見ていた。
 この秘密はいつまでも隠し通せない。やがて最悪の形でマークに知られるだろう。また泣かせるとわかっていても、今はまだ教えられそうになかった。

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