稲妻11 | ナノ


 昼休みにたまたま見かけた源田の背中に元気がないように見えたので、つい声をかけてしまった…のが、全ての不運の元凶だったのだと、今となれば然るべき理を経て理解できる。

「おーい、源田ァ」
「……辺見か…何の用だ…?」
「用って訳でもねーけどよ…」
 話し掛けてはみたものの、源田のテンションは思った以上に低かった。覇気もなければノリまで悪い。目元には寝不足なのかひどい隈が出来ていて、髪型も一応セットはしてあるものの普段のような勢いがなく、王子様と騒がれる凛々しい容姿もこれではまるで台無しだ。
 躁鬱の気性が激しい佐久間とは対照的に、源田は精神的に安定していると思っていたので、今までに見たことがないほど弱り切っている姿に、少なからず驚きを覚える。
「お前大丈夫か?悩みがあるなら相談に乗るぞ」
 いつも相談に乗ってもらっている立場の俺としては、こんなときこそ源田の力になりたいと思って、そう提案した。
 すると源田はあろうことか、衆人環視の廊下のど真ん中で、大きな身体を震わせて涙をぽろぽろと溢し始めたのだ。
「げ、源田…っ?!」
 あの源田が泣いたことも大層な衝撃であったのだが、それよりも俺は我が身の保身を案じて青ざめた。
「おい!ちょ、源田ぁ!泣くな!」

 ――まるで俺が泣かせたみたいじゃないか!

 存在自体目立つ源田が泣く姿は、往来の注目を大いに集めた。そして源田と共にいる俺がどんな風にで見られているかは想像に容易い。
 俺は何もしていないのだと言い訳をさせてもらえる状況でもなく「サッカー部二年の辺見渡が、同級生でチームメイトの源田幸次郎を泣かせた」という真しやかな噂は、話に尾ひれを付けまくって、瞬く間に校内に広まることになる。
 大勢の前でいつまでも泣かせておくわけにもいかず、俺は一先ず源田を手近な空き教室に連れ込んだ。


 ある程度泣いたら、源田の嗚咽も収まってきたようだ。濡れる目元を制服の袖で拭うと、涙で滲んでいたフェイスペイントが擦り消えた。泣き腫らして赤く染まる目元に妙な色気を感じて、イケメンは泣き顔も格好いいんだなぁと、場違いなことを俺は考えた。
「つーか、いきなり泣くなよ!ビックリするだろ」
「すまん。今少し…弱っていて」
「弱ってんのは見りゃわかる。らしくねーな、どうしたんだよ…」
 俺の知っている源田幸次郎は、キングオブゴールキーパーの二つ名を持つ、凛々しく雄々しく強い男だ。そんな源田が人目を憚らず泣き出すくらいだから、余程の理由があるに違いない。
「それが、アフロディが…」
「アフロディ?」
 世宇子中のキャプテン亜風炉照美、通称アフロディ。帝国学園に所属している者なら誰でも知っている、良くない意味での有名人だ。
 エイリア学園と戦う雷門中サッカー部の助っ人をしたりと、今ではすっかり改心したそうだが、何故この場面でアフロディの名前が出て来るのかが分からない。
「アイツがどうかしたのか?」
「…辺見になら、話してもいいか。一応隠していたんだが、実は…」
「実は…?」

「俺はアフロディと付き合っているんだ」

「ええっ!?嘘だろ!?」
「こんな嘘をついてどうする」
「じゃあ、マジか」
「ああ、マジだ」
 頭部を漬け物石で叩かれたような衝撃が走った。源田の突然の交際告白に驚きを隠せない。
 老若男女誰の目から見ても格好いい源田は、人気があってとてもモテるけれど、誰かと付き合うことはしなかったし、付き合っているような素振りも見せなかった。
 そんな源田の相手は、あのアフロディ。二人とも男であることはこの際気にしないとして、二人が付き合うまでの経緯が気になりすぎる。
 出会いは?告白は?いつから?ていうかお前らどこまでやった?
 だが今はそんな出歯亀をしている場合ではない。源田の涙の原因がアフロディにあるなら、その話を聞いてやることが先決である。
「…で、お前は何で弱ってんだ?アフロディと喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩なんてしたことない。俺たちはいつもラブラブだ」
「あ、そ…」
 せっかく心配したというのに、逆に天然にのろけられてしまって居たたまれない。はいはい、仲良きことは美しきかな。それなら何があったんだ。
「アフロディが韓国へ行ってしまったんだ」
 問い掛けると、また突拍子もない返事が返ってきた。
「はぁ?韓国?何で??」
「一から話すと長くなるんだが…」
 源田が窺うように俺を見る。多分とても話したいが、俺に遠慮して躊躇っているといった具合なのだろう。どこまでも気遣いのある律儀な男だ。そんなに肩肘張る必要もないだろうと、俺は源田に頷いた。
「長い話だって聞いてやるよ。どうせ五限目はサボるつもりなんだろ?」
「…こんな顔じゃ、授業に出られないからな」
「自覚あったのか」
「そりゃあるさ」
 泣き腫らした目を細めて源田が笑う。こいつはやっぱり、こんな風に笑っている方がずっと男前だ。


 ――源田の話を要約するとこうだ。
 源田の恋人のアフロディは実は韓国人であり、この度開催されるフットボールフロンティアインターナショナルに、母国である韓国の旗を背負って出場するため、一時的に向こうに帰国したのだという。

 あのアフロディが韓国人ということにも驚きだが(どう考えたってアジア系じゃねぇだろアイツは…)、恋人の進退について語る源田の意外すぎる子は、更なる衝撃を俺に与えた。

「アフロディはメンクイだから、向こうのチームメイトに物凄いイケメンがいたら、韓国に永住してしまうに違いない…」
 大きな手で顔を覆いながら、源田がさめざめと嘆く。この女々しくて面倒臭い生き物は何なんだと、俺はうんざりした。少なくとも俺の知っている、帝国の守護神の姿はない。
「なんだ、その飛躍した妄想は…いくらなんでもアフロディに失礼だろ」
「だって不安なんだ…チームメイトにイケメンがいなくて無事だったとしても、韓国チームが勝ち進んでアジア代表になったら今度は、世界のイケメンたちがアフロディを待っているんだぞ!?薔薇をくわえたフランス男とか!パスタをくわえたイタリア男とか!」
「イタリアとフランスの男性に謝れ」
 あの生真面目な源田にこんな一面があったとは。全く今日は驚いてばかりだ。一度スイッチが入った源田は本当に手が付けられないのだと知る。
「ああ、とても心配だ…アフロディ、俺を捨てないでくれ…」
 今は日本にいない恋人に向けて、祈るように懇願する源田幸次郎。これが帝国の守護神のありのままの本音かと思う。
 源田は少し前にネオジャパンの一員になり、イナズマジャパンに日本代表の座を賭けた試合を挑みに行っていたが、まさかそれもアフロディのためなのではなかろうか…と、思わず疑いたくなるような溺愛ぶりだ。
 源田はアフロディのことが、相当大好きらしい。

 アフロディがメンクイかどうかはさておき、源田はもっと自信を持てばいいのにと思う。性格も容姿も家柄も。こんなに素晴らしく揃った理想的な男を、俺は源田の他に知らないくらいなのに。
「そう悲観的になるなよ。お前レベルのイケメンはそうはいないぞ」
「…本当にそう思うか?」
「思う思う。鏡見てみろ。それにアフロディを愛してるなら、あいつのことをもっと信じてやってもいいと思うぜ?」
 俺はアフロディについて詳しく知っているわけではないが、ああいう飛び抜けたタイプは大抵、自分が認めたものしか側に置きたがらないのであるだよく似た例が帝国にもいるからわかる。彼らの人選は贅沢であり、そして大変細やかなものである。
 だから審美眼に叶った源田は簡単に捨てられるはずがないし、選ばれたことを誇りに思ったらいいのだ。
 それからこれは持論になるが、恋人はむやみやたらに疑うもんじゃない。どっしり構えて戻ってくるのを待ったらいい。それが男の甲斐性というものだ。
「アフロディだってお前を愛してるんだからさ」



 五限終了のチャイムが響いている。授業をサボってしまったのはともかく、ホームルームには間に合わないと流石にまずい。
「辺見!」
 しぶしぶ腰を上げた俺を、源田が呼び止める。
「アフロディについてなんだが…」
「ん?わかってるよ、みんなには黙ってればいいんだろ?」
 源田と付き合っているということも、それから韓国代表入りしているということも。過去にアフロディが帝国に対して行った所業を考えると、源田としてはあまり広めたくない関係なのもわかる。
 この男の場合、自らの保身というより恋人に対する風当たりを気遣って、秘密を貫くつもりなのだろうが。彼氏にするには本当に嫌味なくらい、よく出来た男である。
「すまない、恩に着る」
 源田は小指を立てた手を、俺の前にすっと差し出した。
「なんだ?この指…」
「指切りげんまん。俺と辺見の秘密だ」
 ありがとう辺見。そう言って俺の小指を取る源田を、不覚にも可愛いと思ってしまったことは、俺の胸だけに秘めておいた方が良いだろう…。



 その日の放課後。何となく予想と覚悟はしていたものの、俺が部室に顔を出した瞬間に部屋の空気が一変した。ばつが悪そうに目を逸らす奴、奇異を含んだ眼差しを向けながらひそひそ話を始める奴、あからさまな嫉妬の視線を浴びせたり、舌打ちをしたりする奴もいた。
「辺見先輩!聞きましたよ!源田先輩を泣かせるなんて先輩もやりますねっ!」
 中には成神のように、大声で感想を述べてくる馬鹿もいる。
「泣かせてねぇ!あれは源田が勝手にだな…」
「照れなくていいですよぉ!まさか辺見先輩みたいな普通のデコっぱちが、あの源田先輩狙いだとは思いませんでしたけど…でもこれで先輩たちは晴れて帝国公認の仲ですよ!背後から刺されないように気を付けてくださいね!」
 あんまりな解釈のされ方に言葉もない。何がどうなったら、俺と源田が付き合っているという話に飛躍するんだ。大体源田が付き合っているのはアフロディだ。
 そう言えたら楽なのだが、二人だけの秘密だと指切りまでして約束した手前、言い訳にできない。
「ねーねーどっちなんですか?辺源?源辺?それともリバーシブル?」
「成神テメーいい加減黙れ!」
「恥ずかしがらなくてもいいんですよ、俺と辺見先輩の仲じゃないっスかぁ」
 俺の背中にペッタリと張り付いた成神は、ふざけた質問をマシンガンのように浴びせてくる。他の部員の好奇や憎悪の視線が痛い。胃が痛くなりそうだ。

 そのとき部室のドアがガチャリと開いた。俺に集まっていた視線が一気に入り口へ向かう。
「ん?なんだか今日は賑やかだな…」
 そこには渦中の源田その人が、室内を見渡して暢気に佇んでいた。ぱっと素早く俺から離れた成神は、跳ねるように飛んでいって、源田の腕に纏わり付いた。
「聞きましたよぉ、源田先輩!」
 媚びるような成神の声色に嫌な予感しかしない。浅ましい狙いに全く気付いていないだろう源田は気のいい顔をして、腕に引っ付く成神の頭を撫でている。
「へぇ、何を聞いたんだ?」
「真面目な先輩が五限をおサボりした話です」
「…辺見から聞いたのか?」
「いいえ。辺見先輩は照れちゃって何も話してくれないんです」
「そうなのか」
 二人だけの秘密が漏れていないことに、源田がほっとしたのがわかった。それはそうだ。俺が口を割るはずがない。
「先輩たちは授業サボってナニしてたんですか?辺見先輩の感想は?ねぇねぇ!」
「コラァ!成神ィ!」
 いくらなんでもその下品な質問は許せない。大声で怒鳴っても厚かましい成神は怯みやしない。どーでしたかー?などと、間延びした声で源田に感想を求めている。我関せずを装う他の部員も、源田の返答には興味津々のようで、しっかり聞き耳を立てている。
 頼む源田、この馬鹿共の誤解を解けるのはお前しかいない。「辺見には相談に乗ってもらっていただけだ」でも「俺と辺見は付き合っていない」でも、何だっていい…お前自身の口から、俺との不純な関係を否定してくれ。
 そう視線で訴える俺と目が合った源田は、とても眩しい笑顔でこう答えた。

「辺見は優しかったぞ?」

 源田が投下した爆弾発言に部室は騒然となり、更なる誤解が生じたことは言うまでもない。



こんなことアフロディに知られたら、ゴッドブレイクで こ ろ さ れ る !




 おわり

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