稲妻11 | ナノ


 気分が悪いとまではいかないが、とにかく怠くて疲れて眠い。俺は酒に弱くもないが強くもない。大学に入ってからの度重なる飲み会で自分の限界は把握しているものの、今日は気心の知れた旧友たちとの飲み会ということで、昔話で盛り上がって少し飲み過ぎた。

 居酒屋から駅までの道程は良かったが、仲間と別れた途端に疲労感がどっと押し寄せる。重い足取りで電車に乗り込んだ俺は、崩れるようにボックス席にへたり込んだ。
 終電の二、三本前の車内はがらがらに空いていて、この車両には俺しか乗っていなかった。これなら多少行儀を悪くしても構わないだろうと思い、俺は座席と窓にだらしなく凭れて、電車の心地好い振動に意識を呆気なく飛ばしたのだった。


 床を叩く人の足音によって意識が浮上した。ぼんやりとしか認識できないが、どうやら誰かが向かいの席に座ったようである。空いている席は他に幾らでもあるのに、どうしてわざわざ俺の前を選ぶのだろう。俺は不思議に思ったが、眠気と疲労に麻痺した頭には、同乗者を気にかける余裕もない。
 しかし浅い眠りと軽い覚醒の間を行ったり来たりしながら、俺はあることにおぼろ気に気付き始めた。前の乗客は何かをしている。とても見慣れた動きのようだが、電車内という状況と繋がらなくて断定できない。
 その内に電車の規則的な振動音に混じって、不規則な荒い息遣いが聞こえてきた。熱っぽく感じ入った呼吸音と、下腹部で小刻みに動く手の仕草。

 そこで俺はようやくわかった。
 なるほど彼は自慰をしているのである。

 男なら誰でも当然行う行為だが、電車内でするのは如何なものか。注意すべきなのかも知れないが、今は眠すぎて身体を動かす気になれない。良いことなのか悪いことなのか考えるのも億劫だ。薄目を開けることは出来たので、俺は惰性で彼の様子を観察していた。

 自慰をしているくらいだから間違いなく男なのだが、身体の作りは小柄で華奢だ。もしかすると未成年かも知れない。明るい色のパーカーとチノパンというカジュアルな出で立ちからも、男が年若いことが察せる。
 キャップ帽を被っているのと俯いているのとで顔は窺えないのだが、なんとなく、本当に根拠もなくなんとなくなのだが、美人であるような気がした。

 男はズボンの前だけを寛げて、勃起をゆるゆると擦っている。半開きの唇からは感じているような吐息が漏れているが、絶頂までには時間がかかりそうだ。そんなにもどかしい手の動きでは達するものも達せまい。そう思った俺は殆ど無意識の内に、手を伸ばして彼の性器を握り締めていた。

 まさか俺が起きているとは思ってもいなかったのだろう。目に見えて男は慌てだしたが、なにせ急所を掴まれているので逃げられない。逃げ場をなくした男は声にならない声を上げて怯えているのに、手の中に収めた一物は萎えるどころか大きくなった。
 これは変態だと俺は思った。

 変態相手に何故そういうことをする気が起こったのか、気紛れとしか言う他ない。俺は男の性器をぎゅっと握った。
「ひッ…っ、うっ、ん…っ」
 親指と人差し指で作った輪に男の性器をぴったり嵌めて、激しく上下に擦ってやった。男の身体がびくびくと跳ねる。抵抗はもうない。容赦しようとは少しも思わなかった。酔いも眠気もいつの間にかすっかりさめていた。

 人の物に触れるのは初めてだったので力加減がわからなかったが、少し乱暴にするくらいが男には丁度良いらしかった。溢れる先走りを全体にまぶすように、きつく性器をしごいていく。気紛れに先端部を指先で捏ねてやる。
「あっ…ふああっ、あっ、あん!」
 もう閉じられない男の口からは、情けない喘ぎ声がひっきりなしに上がった。声変わりは済んでいるようだが、それでもなお高めの声音を、俺はかわいいと思った。

 手のひらに収めた性器がぴくぴくと震える。先走りが止めどなく溢れ出す。ここが公共の電車内であることも忘れて、暴力的に与えられる快感に男は喘ぎ、俺は彼を追い詰めるのに没頭してしまった。
「んっ、やあっ、あああっ…」
 弓なりに身体をしならせ、一際感極まった吐息を吐き出し、男は俺の手のひらに熱を放った。俺は手に付いた男の精液をまじまじと眺めながら、俺のと大して変わらないなと暢気に思っていた。

 そのまましばらく射精直後の気怠さに震えていた男だが、我に返ったのか逃げようとした。逃がすはずがない。逃げを打つ薄い肩を掴んで座席に押し倒し、表情を隠し続けていた邪魔な帽子を取り上げた。

 シートに派手に散らばる鮮やかな金髪に目を奪われる。その中心で真っ赤に染まった男の顔はというと、桁外れのとんでもない美人だった。



 そのまま俺は男を抱えて途中下車し、この日は朝帰りをした。

 この夜遭遇した露出狂の痴漢野郎は、本名を亜風炉照美といい、今では俺の恋人である。

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