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※社会人設定


名前には、最近、気になる人ができた。それは、名前のひとつ先輩にあたる澤村だ。面倒見がよく信頼もできる澤村は、どの年代からも慕われている。名前にとっても、澤村は良き先輩の1人だった。それがなぜ、気になる人になったのかというと、話は1週間前に遡る。


◇ ◇ ◇



その日、名前は珍しく残業をしていた。普段ならそこまで遅い時間まで残ることはないのだけれど、その日は夜の8時近くになっても仕事が終わりそうになく、途方に暮れていた。
それもこれも、全て部長のせいだ。部長の仕事を押し付けて、自分は接待だと言ってさっさと帰ってしまった。誰かに助けを求めようかとも考えたが、巻き込むのはなんだか申し訳なくて、結局1人で片付けるハメになっている。
お腹すいたなあ。コンビニでも行って何か食べてからもうひと頑張りしよう。そんなことを考えながら席を立った時だった。誰もいないはずなのに部屋の扉がゆっくりと開いて、名前は思わず後退る。まさか、不審者?そんな不安を抱いたのは一瞬のこと。扉を開けた人物を確認して、名前はほっと胸を撫で下ろした。


「澤村さん、こんな時間にどうされたんですか?」
「たまたま忘れ物があって取りに来たんだ。名字こそ、こんな時間までどうした?」
「ちょっと厄介な仕事を頼まれてしまって…残業中です」


名前が事実を素直に伝えると、澤村は訝しげに眉を顰める。そして、ツカツカと名前に歩み寄ると、デスクに置いてあったやりかけの資料を手に取って、何を思ったか自分のパソコンを立ち上げた。


「え、あの、澤村さん?」
「あとこれだけで終わるのか?」
「は?はい…そうですけど、」
「じゃあさっさと終わらせて帰るぞ。腹へったろ」
「いえ!私1人で大丈夫なので…!」
「こういう時は素直に先輩に頼りなさい」


慌てて澤村の手から資料を奪おうとした名前だったが、澤村が優しく微笑みながら頭をポンと撫でてくるものだから、急に力が抜けてしまった。元々優しくて頼りになるとは思っていた。けれど、いざ、こんなシチュエーションになってみると、その優しさは非常に心臓に悪い。まるで自分だけが特別扱いをされているのではないかと、勘違いしてしまいそうになるからだ。
名前は顔がほんのり熱くなるのを感じながらも、澤村の言葉に甘えて手伝ってもらうことにした。そうして、特に会話らしい会話もなくパソコンに向かうこと30分。澤村のおかげで、目標よりも随分早く終わったことに安堵しつつ、名前は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
ただ忘れ物を取りに来ただけの先輩に、仕事を手伝わせてしまったのだ。いくら頼って良いと言われたとはいえ、やはり断るべきだったのではないかと今更後悔する。


「名字、飯行くか」
「え?いえ、そんな…これ以上、澤村さんの時間を奪うわけにはいかないので…」
「気にしなくていいんだぞ。それとも、彼氏でも待ってるのか?」
「そんな!彼氏なんていません!」


なぜか必死に否定するあまり声を荒げてしまった名前に、澤村はぎょっとする。名前自身も自分の声のボリュームに驚いていた。なぜこんなにも必死に否定するのか、意味が分からない。
結局、なんとなく微妙な空気になってしまい夜ご飯に行くことはなかったのだが、帰り際、気を付けて帰れよ、と何の気なしに再び頭を撫でられたことが、名前の脳裏にこびりついて離れなかった。


◇ ◇ ◇



そんなことがあってから、名前は澤村のことを無意識の内に目で追うようになっていた。勿論、澤村はそれまでと全く変わらない様子で名前に接しているから、意識しているのは名前だけだ。
これは恋なのだろうか、と。名前はふわふわした想いを秘めて澤村を見つめることが多くなった。そのせいか、視線がぶつかることが増えてしまい、そのたびに慌てて俯いたりパソコンに向かい始めたりする名前は、はたから見ればかなり挙動不審だ。
そんな名前に声をかけてきたのは、澤村の同期で高校からの付き合いだという菅原だった。菅原は良き先輩の1人で、名前が現在任されているプロジェクトのペアを組んでいる。


「そんなに大地のことが気になる?」
「え?いや、そういうわけでは…!」
「分っかりやすいなぁ名字は」
「からかわないでください!」
「こらそこー。イチャついてないで仕事しなさいよ」


菅原の発言に思わず声を荒げてしまったからだろう。あろうことか想い人の澤村に注意されてしまった名前は、しゅんと落ち込んでしまった。イチャついていたわけじゃないのに否定できる空気でもなく、菅原もごめんごめん、とだけ言って笑っている。
特にそれからは誰かにからかわれることも注意されることもなかったが、名前の気持ちは沈んだままだった。それが作業効率にも影響してしまったのだろう。名前は、今度は自分のせいで残業するハメになってしまった。
時刻は夜の7時を回ったところ。1人、パソコンに向かっていると扉が開く音がした。まさかと思って振り返ると、そこには澤村がいた…なんてドラマチックな展開はなく。名前は失礼だと思いながらも少しがっかりしつつ、自分に近付いてきた菅原を見遣った。


「俺でがっかりしたって顔、しないでくれる?」
「…別に、そんなこと思ってないです」
「名字は大地が好きなんでしょ?」
「そんな!好きとか、そういう、わけでは…」
「たぶん俺じゃなくても気付いてると思うけど」
「え。え?」
「だって名字、自覚はないかもしれないけど、かなり大地のこと目で追ってるよ?」


菅原の指摘に、名前は愕然とした。自分では不自然じゃない程度に澤村を見つめているつもりだったのだ。それがまさか、周りに気付かれてしまうほど視線を送っていたとは、夢にも思わなかった。
それほど分かりやすい態度を取っていたならば、もしかして澤村本人にも、何か勘付かれているのだろうか。名前は不安になって菅原に尋ねた。


「あの、澤村さん、何か言ってましたか?」
「大地?なんで?」
「だってそんなに見ていたんだとしたら、なんていうか…気持ち悪いとか…思われてないかなって……」
「さあ?そういうことは直接本人にきいてみたら?」


悪戯っぽく笑いながらそう言った菅原が向けた視線の先には、なんと澤村がいた。いつからそこにいたのかは分からないが、今までの会話を聞かれていたのだとしたら?名前は自分が、さあっと青ざめていくのが分かった。
もはや仕事どころではない。一刻も早くこの場を立ち去りたい。名前が慌てて帰り支度をしていると、菅原が近付いてきた。そして名前の耳元で、頑張って、と謎の言葉を残すと、ヒラヒラと手を振って部屋を出て行ってしまうではないか。
ぱたん、と虚しく閉じた扉。1週間前の2人きりの時とは明らかに違う空気に包まれる中、澤村はゆっくりと名前に近付く。


「最近、よく目が合うよな?」
「…あの、それは、その……」
「名字が俺のことよく見てくれてるのは分かったんだけど」
「ごめんなさい…」
「目が合うってことはさ、俺も名字のこと見てるってことなんだけど。気付かなかった?」


怒られるか、注意されるか、拒絶されるか、兎に角ネガティブな展開ばかりを予想していた名前にとって、澤村の発言は耳を疑うものだった。澤村が自分のことを見ている?それはどういう意味だろう。自分と同じような気持ちで、なんて、そんな都合の良い話があるわけないし、それならば、なぜ。
目を白黒させている名前を見た澤村は思わず苦笑いを浮かべる。その距離は随分と近付いていて、あと数歩進めば身体が触れてしまいそうなほどだ。


「俺、結構慎重派なんだ」
「は?」
「大丈夫だって確信が持てないと動かないタイプってこと」
「はあ…」
「で、そろそろかなと思ったんだけど」
「さわ、むら、さん…、」


気付けば目の前には澤村がいて、名前はガタンと音を立ててデスクに座ってしまった。その衝撃で、デスクの端にまとめて置いていたプリントの山がバサバサと床に散らばる。
けれども、澤村は歩みを止めない。デスクに手をついて、名前の顔面ギリギリのところでやっと動きが止まったものの、お互いに少しでも動けば唇が触れてしまいそうな距離である。


「名字は、俺のことが好きってことで良いよな?」
「え、あ、う……は、い、」
「素直でよろしい」
「っ!」


ニコリと笑った澤村は、そのまま名前の唇に自分のそれを押し当てた。ちゅ、と軽いリップノイズが響いて、名前は固まってしまう。突然すぎて目を瞑ることもできなかった。
依然として近い距離のまま微笑んでいる澤村は、とても楽しそうだ。どうやら名前の反応を楽しんでいるらしい。仕事中の優しくて柔らかい雰囲気の澤村はどこへやら。名前の前で意地悪く笑っているのは、どこか色気を放つ肉食獣のような澤村だった。


「さわむら、さん、は、私のこと、どう思ってるんですか?」
「好きだよ」
「っ…、」
「1週間前のアレだって、忘れ物なんか取りに来たわけじゃない。名字のことが気になって様子を見に来たんだ」
「うそ…、じゃあ、私、最初から…」
「俺の作戦にハマったな?」


なんということだろう。自分は澤村の策略にまんまとハマってしまったのか。悔しいやら恐ろしいやら、思うことは多々あるが、それほどまで自分のことを好きだったのかと思うと、名前は嬉しくなってしまった。
それが表情に出ていたのだろう。そんなに嬉しそうな顔するなよ、と言ってきた澤村は唇が触れる直前のところで止まって。


「今度は目瞑るんだぞ」
「…はい、」


ゆっくり目を瞑ると同時に、唇に柔らかい感触。さり気なく握られた手は温かくて、名前はふわふわしてしまう。こんな夢みたいなことがあって良いのだろうか。たとえ全て澤村の策略だったとしても、こんなに幸せなら溺れてしまっても良いかなと思ってしまうぐらい、名前は澤村のことが好きになっていることに気付いた。


「名前」
「え、なまえ、」
「2人の時はそう呼ぶ。名前もそうして」
「……大地、さん?」
「そう。よくできました」
「ん!……大地さんは、キス魔、なんですか、」
「はは…そうかもな?」


妖しく笑って再度軽く口付けた澤村は、デスクに座っていた名前をおろしてぎゅっと抱き締めた。初めて感じる澤村の体温に、名前は酔いしれる。
ここが会社だということをすっかり忘れて抱き合う2人を、菅原がやれやれ…と呟きながら見守っていたのは、また別のお話。
策士、恋に溺れる

10000hits記念お礼の澤村夢でした。策士なイメージで書いたつもりがただの変態キス魔になってしまった笑。澤村ごめんなさい。