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※社会人設定


社会人になって2年が経過しようとしている3月某日。名前は急いで待ち合わせ場所へ向かっていた。今日は待ちに待った、恋人である赤葦とのデートの日。デパートの化粧品売り場で接客業をしている名前は、一般企業に勤めている赤葦と違って土日休みではない。つまり、2人の予定が合うことはほとんどなかった。そんな中、やっとのことで手に入れた土曜日の休日。赤葦にそれを伝えると、久し振りにデートでもしようという話になった。
名前はデートを楽しみにしすぎるあまり、昨晩、服やアクセサリー選びにかなりの時間を費やしてしまい、その結果、肝心なデート当日に寝坊してしまったのだ。化粧品売り場で勤めている以上、自分の化粧を手抜きするわけにはいかない。寝坊したにもかかわらず念入りに化粧を施せば、遅刻してしまうのは当然である。
少し高めのピンヒールとふわりと揺れるワンピースは、赤葦に綺麗だと思われたくて悩みに悩んだコーディネートだ。が、走るとなるとピンヒールは分が悪い。名前は走りながらスマホで時刻を確認する。既に約束の時間は15分ほど過ぎているが、赤葦からは何の連絡もない。確かに、家を出る前に、申し訳ないが遅刻してしまいそうだと連絡は入れたが、既読にもなっていないのはなぜだろう。名前は不思議に思いながらも待ち合わせ場所へ急ぐのだった。


◇ ◇ ◇



人通りの多い駅前を抜けて、待ち合わせ場所の時計台に到着した名前は、辺りを見回して赤葦を探した。けれど、どこにも彼らしき人間は見当たらない。スマホには何の連絡も入っていないどころか、30分以上前に送ったメッセージに既読すらついていないし、あの赤葦に限って約束を破るなんてことは有り得ない。名前は何かあったのではないかと心配になり、赤葦へ電話をかけた。


「……もしもし?」
「あ、京治!良かった…何かあったんじゃないかと思って心配してたんだよ?」
「どうして?」
「メッセージ、既読にならないし。待ち合わせ場所に着いたけど、京治どこにもいないし。今どこ?」
「ああ、ごめん。スマホ見てなくて。今からそっち行くから待ってて」


久し振りのデートで彼女がなかなか来ないというのに、スマホを見ないなんてことがあるのだろうか。名前は妙な違和感を覚えながらも、赤葦が来るのを待った。そもそも、何の連絡もなく待ち合わせ場所を離れるなんて赤葦らしくない。一体どこで何をしていたのだろう。赤葦を待つ間、名前は1人、悶々と考えていた。
電話を切ってから5分ほど経った頃。名前の元に赤葦がやって来た。デートの待ち合わせ時刻からは、既に30分以上過ぎている。


「お待たせ。じゃあ行こうか」
「京治、どこ行ってたの?」
「ちょっと野暮用で。それより、時間、なくなるから」


デート前に野暮用ってなんだ。名前は益々不審がる。どうも今日の赤葦は様子がおかしい。大学時代に出会って付き合い始めてからちょうど5年が経つけれど、こんなことは今まで一度もなかった。何か、自分に隠していることがあるのではないか。そんな嫌な考えが浮かぶが、それが何なのかは分からない。
考えていても仕方がないので名前は赤葦の横に並んで歩き出した。さり気なく車道側を歩いてくれるのは、いつものことだ。それから、カフェでコーヒーを楽しみ、観たかった映画を観て、夜ご飯を小洒落た和風居酒屋で済ませれば、時計はあっと言う間に夜の9時を過ぎていた。
名前は、もう待ち合わせでの一件のことを忘れかけていた。きっと赤葦にも急用というものがあったのだろう。そう思い、数時間前の出来事を完全に忘れようとしていた、その時だった。


「赤葦さーん!」
「……なんでここに?」


親しげに赤葦に声をかけてきた1人の女性。恐らく名前や赤葦よりも年下で、ちょっと派手め。媚びを売るのが上手そうなタイプの人間だ。そんな女性が、なぜ赤葦と知り合いなのだろう。名前は怪訝そうな顔で2人のやり取りを見守る。


「赤葦さん、いつもすぐ帰っちゃうんですもん。寂しくて」
「用事ないなら、もう行っていい?」
「つれないなあ…私と赤葦さんの仲じゃないですかぁ!」


名前を無視して繰り広げられる会話に、胸がズキズキと痛んだ。いつもすぐ帰るということは、少なくとも複数回、その女性と何らかの関わりを持ったということだ。赤葦は素っ気ない態度を取っているが、一応彼女である名前の前なのだから、それは当然のことだろう。けれど、もし、その女性と2人きりだったら?赤葦は、一体どんな反応をするのだろう。名前は怒りとも悔しさとも悲しさとも言えない何かが込み上げてくるのを感じた。そしてそんな名前に追い打ちをかけるかのように、その女性はニコニコ笑いながら言葉を続ける。


「つい数時間前も会ってたのにぃー」
「あ、馬鹿!」
「数時間、前…?」


あの冷静沈着な赤葦が、明らかに動揺しているのが分かった。名前はそこで全てを悟る。待ち合わせ場所にいなかったのは、この女性と一緒にいたからなのだと。何が野暮用だ。完璧な浮気じゃないか。
名前は涙が出そうになるのを必死にこらえて、赤葦を睨み付けた。いくらなかなか会えなかったからって、浮気なんて最低だ。赤葦に限って、そんなことは有り得ないと思っていたのに。完全に裏切られた。


「私、もう帰るから、あとは2人でごゆっくりどうぞ」
「名前、待って」
「さよなら」


赤葦からの言い訳なんて聞きたくない。名前は赤葦の制止を振り切って足早にその場を後にした。走ったら追い付けるはずなのに、赤葦は追って来ない。なんだ。本当に、浮気なんじゃん。
名前は人気のない路地裏に蹲ると、声を殺して泣き出した。好きじゃなくなったなら、言ってくれたら良い。その方がずっとマシだった。名前は今日のデート中の出来事を思い出す。あんなに楽しかったのに、久し振りに会えて嬉しかったのに、そう思っていたのは自分だけだったんだ。こんなのってない。惨めすぎる。
再び堰を切ったように溢れ出した涙を拭いながら俯いていると、ふと、視界が暗くなった。名前の目の前には1人の男性が立っていて、どうしたの?と声をかけられる。自分に話しかけていると理解するまで数秒。名前は驚きからか泣くのを止めて、その見知らぬ男性を見上げていた。


「折角の綺麗な顔が台無しだね。俺でよければ話きこうか?」
「え、あの、大丈夫、です」
「でも泣いてたよね?彼氏に浮気でもされた?」
「…っ、それ、は、」
「泣いても良いよ…俺が忘れさせてあげる」


そう言って、優しく差し伸べられた手。甘いセリフは、きっと全て自分を騙すための甘い罠だと分かっている。けれど名前は、そんな得体の知れない男性に縋り付きたくなるほど傷付いていた。
名前が恐る恐る手を伸ばし、男性の手を取ろうとした、瞬間。2人の横からぬっと第3者の手が伸びてきて、名前の手を絡め取る。驚いて横を向くと、そこには軽く息を切らす赤葦の姿があった。


「俺の女に、手、出すな」
「…お嬢さんを泣かせたの、キミじゃないの?」
「そうだとしても、あなたには関係ない」
「あ、そ……結構タイプだったけど、まあいいや。面倒なのは御免だから」


赤葦の鬼気迫る表情に気圧されたのか、本当に興味が失せただけなのか、理由は定かではないが、男はあっさり引き下がり、夜の街へ消えていった。はっと我に返った名前は、今更ながら絡み取られた手に熱が集まるのを感じる。


「危なかった…」
「京治には、関係ないでしょ、」
「何か勘違いしてるみたいだから言っとくけど。さっきのは、ただの知り合い」
「デート前に会ってて、あんなに仲良さそうだったのに?」
「…はぁ……余計なことしてくれたな…」


赤葦は溜息を吐いてから小さく呟いた。何が余計なことなのだろうか。そもそも浮気をしておいて、女性だけに罪をなすりつけるのはどうかと思う。
名前は依然として握られたままの手を振り払おうと力を入れた。が、逆に強く握り返された上、路地裏の狭い道の更に奥へと押し込まれてしまった。


「本当はこんなところで渡すつもりじゃなかったけど、仕方ないか」
「…え、これ……って、」
「付き合って5年」
「もしかして、」
「忘れてないし。浮気もしてない。さっきの人、これ買ったところの店員。悪ふざけが過ぎるから今後一生行かないけど」


名前の右手を握ったまま、赤葦は空いている方の手でポケットから出したそれを、名前の左手の薬指に器用に嵌めた。サイズはぴったり。
名前は付き合い始めたばかりの頃に赤葦と悪ふざけで約束したことを思い出す。もし5年先も同じように付き合ってたら結婚しようか、と。言い出したのはどちらだっただろうか。まさか本気だったなんて、覚えていたなんて、思わないじゃないか。名前の緩む涙腺からは、先ほどとは違う意味の涙が溢れ出して止まらない。


「京治、ごめ、わたし、勘違いして、」
「俺が悪かったよ。まさかこんなギリギリに受け取りになると思わなくて。あの店員のことも。なかなか指輪、渡してくれないし」
「もう、いいの。京治、大好き、ありがとう…っ!」


思わず飛び付いた名前を、赤葦はゆっくりと抱き締めて。5年前と同じようにふざけた調子で、結婚しようか、と囁いた。
記憶とリアルのキューピッド

10000hits記念お礼の赤葦夢でした。無駄に長い上、強引な展開で申し訳ない。浮気疑惑からの仲直りを目指したつもりが甘さのカケラもなくなってしまった。