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鉄朗が必死に連絡してきてくれたことが嬉しくて、最後の望みをかけて会社の近くまで会いに行ったあの日。私は、一瞬でも期待してしまったことを激しく後悔した。鉄朗の腕にぴったりと絡みつく女性は、一目でホテルに行った浮気相手だと気付いた。
別れろなんて言われなくても、もう別れるつもりでしたよ。だから好きにすれば良い。鉄朗は何か言いたそうだったけれど、追いかけて来なかったということは結局そういうことなのだろう。ああいう、ちょっと気が強そうで綺麗で色っぽい人の方が、鉄朗にはお似合いだ。
それからも鉄朗からの連絡は引っ切り無しに続いていたけれど、もう騙されるつもりはない。そろそろ、きちんと気持ちの整理をして連絡先も消してしまおう。そんなことを思いながら自宅マンションに着いた時だった。
ロビーの前に、黒く長細い人影を捉えて、足が止まる。まさかとは思ったけれど、その人影の主は鉄朗で、私は反射的に来た道を引き返した。会いたくない。声もききたくない。乱されてしまうのが分かっているから。
そんな願いも虚しく、走り去る後ろ姿を目敏く見つけたらしい鉄朗によって、私は難なく捕まってしまった。掴まれた手首が、熱い。


「…離して」
「離したら逃げるだろ」
「何の用事?」
「話がしたい」
「もう話すことなんてない」
「俺はある」
「ききたくない」
「これで、最後でも良いから、」


鉄朗が懇願してくるのは、勿論初めてのことだった。こんなみっともないマネなんて、したくなかっただろうに。私の手首を握る力はどんどん強くなっていて、けれど不思議と痛みは感じない。
最後でも良いから、と言った声はなんとなく震えているような気がして、私は背後に立つ鉄朗を恐る恐る見上げた。随分と久し振りに視線を交わらせ、ああ見るんじゃなかったと後悔する。そんな泣きそうな顔なんて、したことないくせに。


「……本当に、最後だからね」


結局私は、鉄朗のことを拒絶できなかった。


◇ ◇ ◇



恐らく、鉄朗が私の家に来るのは数ヶ月ぶりだ。そもそも、会う頻度が少なかったから、この家に来ること自体数えるほどしかないかもしれない。
あまり長居されると鉄朗の香りが残ってしまいそうな気がして、私はコーヒーだけ用意するとリビングで待つ鉄朗の元へ向かった。なぜかソファにも座らず立ち尽くしている鉄朗に、座れば?と声をかける。名前も座るなら座る、と言うので渋々ソファに腰を下ろすと、隣に鉄朗も腰を下ろした。大きめのソファの左右の端に座り、真ん中には不自然な空間があって、まるで今の私達の関係を表しているようだ。


「話って何?」
「前…うちで話した時も言ったけど。もう浮気しねーし、あの女とも関わらない。だから別れたくない」
「…私も、前に言ったけど。そんな言葉はもう聞き飽きたの。信じられない。だって、何回も裏切られた」
「それは本当に悪かったと思ってる。だから、これで最後にするから…な?」
「無理だよ。もう。私、鉄朗の気持ちが分かんないもん…」


拒絶に拒絶を重ね、鉄朗は押し黙る。私がここまで許さないとなると、鉄朗に為すすべはないはずだ。きっと、諦めざるを得ない。私は早くここからいなくなってほしくてたまらなかった。話が終わったなら帰ってほしい。そうしてくれなければ、堪えている涙が溢れてきそうだから。
私の気持ちをよそに、鉄朗は動かず俯いている。話が終わったなら帰って。そう口を開きかけたところで、鉄朗がぽつりぽつりと話し始めた。


「名前はいつも、俺が何しても怒んねーし、優しいし、だから謝ればなんでも許してもらえるって思ってた」
「…そうだろうね」
「俺のこと好きだって言ってくれるから、自惚れてた。一緒にいるだけで幸せそうに笑うから、俺からは何もしてやらなかった」
「……」
「こうなって初めて、名前をすげー苦しめてたってことに気付いた」


鉄朗なりの懺悔なのだろう。自分のやってきたことを反省してくれたことは、素直に嬉しいと思った。けれど、もう遅い。懺悔など、何の意味もないのだ。今までの辛さも悲しみも苦しみも、消えることはないのだから。
俯いていた私だったけれど、ふと、隣から視線を感じ顔を上げる。交わった視線は、なぜか逸らすことができない。


「傷付けてばっかりで悪かった」
「もう、いいよ」
「みっともないのは分かってる。でも俺は、名前のことを今でも愛してる」
「…え……、」
「これからも、他の女なんかいらねーから。名前だけ愛してる」
「なに、を、」
「結婚したかった」


幸せにしてやれなくてごめんな。私を見つめながら最後にそう零した鉄朗は、泣きそうになりながら笑った。それを見た途端、堰を切ったように涙が溢れ出す。鉄朗は私がポロポロ零している涙を拭おうとして、けれどその手は、拒絶されるのを恐れてか力なくソファに落ちていった。
なんで今更そんなことを言うのだろう。愛してるなんて知らなかった。結婚したかったなんて微塵も感じさせなかった。そんなに愛されているなんて思わなかった。だって鉄朗は、何ひとつ言ってくれなかったではないか。
たとえばここで許してしまったとして、本当に裏切られないという確証はどこにもない。また同じことを繰り返してしまう可能性は大いにある。それは結婚しても同じことだ。
けれども、鉄朗がいないと分かって過ごすこの2週間は、私にとってどうだっただろうか。たとえ会う時間が少なかったとしても、鉄朗と付き合っていた8年間、私の傍には常に鉄朗がいた。辛いことも悲しいことも苦しいこともあったけれど、楽しいことも嬉しいことも幸せなことも沢山あった。それがこの先、もう増えることはない。そう思って過ごしていた、たったの2週間。
私から別れを切り出した。きっとそれは間違いじゃない。けれど、どうしよう。私の心は、こんなことになってもまだ、鉄朗に支配されている。どうしようもないのは、どっちだ。私の方じゃないか。


「これが最後だよ」
「……それって、どういう意味?」


これで会うのが最後という意味なのか。それとも、これで許すのは最後という意味なのか。それを図りかねているらしい鉄朗は、困惑していた。
私はとんでもなく愚かで救いようのない馬鹿だと思う。けれども、どうしても、大きな身体を縮こまらせて懇願してくる鉄朗を、これ以上拒絶することなんてできなかった。


「浮気、もう、絶対にしないで」
「約束する」
「もっとちゃんと、好きって、愛してるって、言って…っ、」
「何回でも言ってやる」
「鉄朗、」
「何?」
「あの女の人と、セックスして、気持ちよかった?」
「は?」
「私のことなんて、もういらないって、少しでも、思った?」
「…っ、ンなわけねーだろ…っ!」


震える声で紡いだ私の言葉をきいて、鉄朗は苦しそうに顔を歪めると、きつくきつく、潰されるんじゃないかと思うほど強く、私を抱き締めた。その体温が懐かしくて、私の涙腺はまた緩んでしまう。


「絶対、裏切らねーから」
「うん、」
「名前のことだけ愛してるから」
「…うん、」
「もう俺と別れるとか、言うなよ…頼むから」


私の首に顔を埋めたままで縋り付く鉄朗は、母親に見捨てられた子どものようだった。私はきっと、本能的に鉄朗に甘すぎる。だからこうして、無意識の内に頭を撫でてしまったのだろう。
埋めていた顔を上げて私の顔を見つめた鉄朗は、キスしていい?と不安そうに確認してきた。今まで好きなことを好きなようにしてきた鉄朗からの思わぬ一言に、驚きのあまり涙も止まってしまう。


「あの女の人との夜のこと、忘れてくれるなら、いいよ」
「もうそんなのとっくに忘れた」


言って、すぐさま塞がれる唇。ちゅ、ちゅ、と恐ろしく優しい口付けに、こんなキスもできたんだなあ、とぼんやり思う。今までと何がどう違うのかは分からないが、鉄朗が私に触れるたびにふわふわした気持ちになるのは、たぶん高校生以来のことだ。
名残惜しそうに唇を離した鉄朗は、再び私を強く抱き締める。逃げるつもりなんてないのに、まるでもう逃さないと言わんばかりの勢いだ。


「名前、」
「どうしたの?」
「いや、やっぱやめとく…」
「急に弱気なんだね。鉄朗らしくない」
「俺だってさすがに名前にあそこまで滅多打ちにされたらヘコむっつーの…」


自分のせいだけどな、と自嘲気味に吐き捨てた鉄朗が何を考えているかなんてお見通しだ。だてに8年を費やしてきたわけではない。私はそっと鉄朗の腰に手を回して胸元に擦り寄った。きっとこうすれば、鉄朗は動揺する。それで良い。


「ちょっと、離れろ…」
「どうして?」
「男の事情ってモンがあんの」
「しないんだ」
「……さすがに駄目だろ。ヨリ戻してすぐとか…」
「愛してくれるって、言ったくせに。意気地なし」


私から誘うなんて初めてだった。けれど、知らない女の人を抱いたくせに私のことは抱けないなんて、あんまりだと思ったのだ。たとえそれが、私のことを考えてくれているからだとしても。求めて拒否されるのが怖いとか考えているとしても。
鉄朗は、それはそれは驚いた顔をして。けれど、暫くして漸く私の言葉の意図を汲み取ったらしい。


「愛してる」
「うん」
「もっと、愛させろよ」
「…とびっきり甘やかしてね」
「仰せのままに?」


ニヤリと浮かべた笑みは、いつもの鉄朗のそれで。私はゆっくりと落とされるキスに酔いしれながら、鉄朗の匂いに包まれた。これが私の幸せなんだ、と身体に染み込ませていくように。

ぜんぶちょうだい?

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