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5金曜日、真実にて終焉感

翌日は予定通り終業式が執り行われたため、学校は午前中で終了だった。
及川は昼ご飯を食べた後で通常通りバレーの練習がある。名前もそのことは承知していたので、教室でそれとなく最後の挨拶をしようと考えていた。
夏休みに突入したという解放感から、受験生であるということを一瞬だけ忘れたクラスメイト達は我先にと教室を飛び出して行く。そして日直の生徒も帰宅してしまった中、及川と名前は教室に残っていた。お互い、言うべきことがあったからだ。
及川が名前の席に近付く。そして、隣の席に腰かけた。名前も及川の方に身体ごと向き直って、まるでお見合いをしている男女のような雰囲気になる。

言わなくちゃ。今日までありがとう。楽しかったよ。私の我儘に付き合ってくれて嬉しかった。いい思い出になりました。って。

言わないと。本当に今日で終わりにしていいの?無理ってどういうこと?約束だから?俺はもう少しこの関係を続けてみたいんだけど。って。

交錯する思考。どちらも声を発したくても上手にできなくて、数秒間の沈黙が流れる。そして、


「あのさ」
「あの」


漫画やドラマでよくあるやつだった。2人同時に喋りだして、また押し黙る。よくある光景。しかしセオリーと違うのは、これ以上沈黙を続けまいと及川が言葉を紡いだことだった。


「なんで1週間にこだわるの?」
「それは……」
「俺がもう少し付き合っても良いよって言ったらどうする?」
「……ごめんなさい、」


一度も顔を上げていない名前がどんな表情で謝ってきたのか、及川には分からない。ずっとそうだ。分からないことだらけ。何が分からないのかが分からなくて、何を分かろうとしているのか、分かりたいと思っているのかの整理もできない。
何度も思う。好きだって言ったよね?と。付き合いたいって言ったのは好きだからだったはずだよね?と。それなのに、どうして差し伸べている手を取ってくれないのか。何が名前をそうさせているのか。そうだ。1番分かりたいのは、名前の気持ちだ。自分を求めてくれない理由じゃない。
及川は初めて名前に触れた。首を垂れる名前の顔を隠す髪を耳にかけてやる。まるで本物の彼女を慈しむみたいに。


「俺のこと、好きなんじゃなかったの」
「好き、だよ」
「でもこの関係は続けたくないって?」
「……続けられないの」


言おうか言うまいか、ぎりぎりまで悩んでいた。そして悩みに悩んだ結果、名前は伝えずにいようと思っていたことを言う決意をした。
まさか及川に引き留められるなんて思っていなかったから、これは完全に想定外。そもそも、1週間だけ付き合ってほしい、なんてお願いを聞き入れてもらえた時点で、想定外と言えば想定外のことではあったのだが、最後の最後、こんなにも歯切れが悪くなるなんて、やっぱりどう考えたって予想できなかった。


「続けられないってどういうこと?」
「…引っ越すの、私。夏休みの間に」
「え?」
「誰にも言ってないんだけど、夏休みに入ったらすぐ東京に行くことになってる」
「それってまさか…」
「明日の午後には、もう、この街にはいない」


及川は漸く理解した。名前が固執し続けた1週間。それはもう、どう頑張っても抗いようのないタイムリミットだったのだ。
それならそうと、早く言ってくれたら良かった。もっと我儘を言ってくれたら良かった。俺の部活のことなんか無視して、周りの目なんか気にせず、名前の好き放題すれば良かった。しかし名前はそのどれも実行に移さなかった。どうして?結局のところ、及川には名前の真意が分からないままである。

名前は引っ越しが決まった時、最後に何がしたいかを真っ先に考えていた。この場所での最後の思い出。そう考えた時に間髪入れずに思い浮かんだのが及川の顔だった。
及川は来るもの拒まず去るもの追わずで有名だ。フリーの時に告白すれば自分でも一定期間彼女になれるかもしれない。しかしそれはタイミングが重要だった。最後の美しい思い出にしたい。だから自分と別れた後に他の女の子と付き合う及川の姿は見たくなかった。それが名前にとっての、我儘。
だから名前は夏休みに入る前の1週間に恋人ごっこをお願いした。6月下旬には及川にはまだ彼女がいたからイチかバチかの賭けみたいなものではあったが、タイミングよくというべきか、7月に入ってすぐに別れたと聞いた時には、もう実行するしかないと決意した。
本当は期間限定と言っても、1ヶ月とか2週間とか、1週間よりもっと長く付き合えたらいいなと思っていた。しかし、長期間にすればするほど、及川に愛想を尽かされて「この遊びは終わりにしよう」と言われそうな気がして怖かった。いくら及川から別れを告げることはほとんどないらしいと噂で聞いていたとは言え、うざったくなったら別れを告げられるだろう。及川には選ぶ権利がある。だから名前は1週間にした。どんなにうざったかったとしても1週間ならきっと我慢してくれる。そう信じていた。
しかし、蓋を開けてみればどうだろう。及川は自分ともう少し付き合っても良いと言ってくれている。実現不可能とは言え、名前にとってはこの上ない幸せな思い出となった。それこそ、もう「十分」だと思った。


「だから、あの、本当に…ありがとう」
「…いい思い出になりました、って?」


納得しきっていない及川の声に誘われるように、名前はこの日初めて顔を上げた。及川の作り物のように綺麗な顔を見る。そして、その表情に驚いた。愛想を尽かしました、みたいな呆れた表情でも、勝手なこと言うなよ、みたいな怒りの表情でも、もうどうでもいいや、みたいな投げやりな表情でもなく、今にも泣きだしそうな悲しみの表情を浮かべていたからだ。
及川が悲しむ理由なんてこれっぽっちも思い浮かばない。これじゃあまるで、本当に、別れを惜しんでいるみたいじゃないか。去るもの追わずだと聞いていた情報と違う。綺麗に、美しく、後腐れなく、さようならを言えるはずだったのに、どうして。
名前の動揺は及川に伝わっていた。自分も自分自身の言動に動揺していた。上手く表情が作れない。なんだそうなんだ、最後の思い出に俺と付き合えて良かったね、って。へらりと笑って別れを告げればいいだけなのに、そうすることができない。
1週間。違う。まだ1週間も経っていない。今日を入れてもたったの5日。一緒に過ごした時間で換算するならもっと短期間だ。それだけの時間で、自分の中でどのような変革が起こったのか、及川には理解できない。できないけれども、これだけは分かった。

俺は、名前ちゃんに惹かれていた。

「好き」ってどんな感情だったっけ?あったかくて心地良くて、そういう、優しい感情じゃなかったっけ?こんなに苦しいものなんだっけ?全然、分かんないな。分かんないけど、知りたかったな。知りたいな。ちゃんと。「好きだよ」って、言いたいな。名前ちゃんに。

そう思った。初めての感情だった。でも、もう、遅い。


「…東京なんだ、引っ越し先」
「うん…」
「ってことは大学も東京?」
「そのつもり」
「……分かった」


及川の「分かった」の一言に安堵した反面、これで終わりなのかと気分が沈みかけた。しかし、そんな落ち込んだ姿を見せてはいけない。名前は表情を崩さぬよう必死に耐える。自分が望んだことだ。望んだ以上の結果だ。嘆くのはおかしい。


「1週間…楽しかった」
「俺も」
「バレー、頑張ってね」
「うん」
「……好き、でした」


好き「でした」。「好き」の過去形。
そう言うことで、名前は自分に踏ん切りをつけた。これで及川への気持ちは終わりだと、ピリオドを打った。及川はそれに対して何も言わなかった。ただ、ちゃんと笑った。泣きそうな顔で、笑った。

そうしてやがて、教室内には名前だけとなった。机に突っ伏して、泣いた。ここで過ごす最後の時間だから許してほしいと、誰に頼んでいるのか分からない願い事をしながら、静かに泣いた。美しくて甘酸っぱい思い出。そんなもの、どこにもなかった。後悔はしていない。けれども、涙は止まらなかった。
名前は、生まれて初めて、失恋した。