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4木曜日、空虚ゆえ焦燥感

昨日は宣言通り、さっさと帰宅されてしまった。そして今日、名前から練習を見に行っても良いかという内容のメッセージをもらった及川は、この数日では一番上機嫌だった。見に来てもらえることが嬉しくて浮かれているわけではない。自分の指示通りに、約束通りに、名前が行動を起こしたことに満足しているだけだ。誰からつっこまれたわけでもないのに、及川は心の中で弁明する。
好きだとか、そういう感情は随分前に行方不明になった。好きだと言われることに慣れてしまって、そしてそれに向き合おうと試みる前に女の子達が離れて行くことが通例となってしまって、もう感情について考えることを放棄してしまったのだ。
イケメンはいいなあ、とか、選り取り見取りだもんなあ、とか、そういう言葉を浴びせられることにも慣れた。慣れざるを得なかった。へらりと笑って、そうでしょー?いいでしょー?とおどける度に、ひた隠しにしている黒い部分がじわじわと広がっていくような感覚に襲われて、いつの間にかその黒い何かにすっぽりと覆いつくされていた。本来の自分を見失っていた。
本当は、好きだと思える相手と出会いたい、なんてロマンチックなことを考えているなんて、誰にも言えやしなかった。それが例え幼馴染の岩泉であっても。

岩泉には高校1年生の秋頃から付き合っている彼女がいる。別れ話のひとつもなく、喧嘩をしたと相談されたのも数えるほど。まさに順風満帆な恋人ライフだ。それを間近で見ていたからこそ余計に、及川はその姿が羨ましくて堪らなかった。
どれだけモテたって、自分がのめり込めなければ意味がない。色んな女の子と付き合っていれば、それこそ運命的な出会いってもんがあるんじゃないかと、これもまたロマンチックでおめでたい考えをしていた及川は、高校3年生になったばかりの春にその理想も捨てた。もう疲れてしまったのだ。
恋愛なんてしなくても死にはしない。今の自分にはバレーがあるし、それ以外は必要ない。そう思い始めた矢先に突然姿を現したのが名前である。こんなにもぐらぐらとした不安定な気持ちにされるのは初めてのことで、もしかしたらこれが恋なのか?と考えたりもした及川だったが、決定的な何かがあるわけでもなく。結局答えには辿り着けぬままだ。


「お疲れ様」
「うん、ありがとう」


部活終わり、タオルで汗を拭いながら美しい笑顔を向ける及川に、名前は胸が締め付けられた。
カッコ良くて、という理由ではない。いや、少しはそういう要素も含んでいるかもしれないけれども、大半は「ああ、この人はまた無理をして笑っているんだな」ということが分かってしまったのだ。まだ出入口付近にはちらほらと女子生徒が残っており、及川の方に視線が向けられている。それを分かっての「笑顔」なのだろう。
名前は随分と前から、及川の上手すぎる演技に気が付いていた。皆がどうしてそれに気付かないのか不思議なほど、及川が無理をしているのは明らかだったからだ。完璧すぎる笑顔に、完璧すぎる声音。完璧すぎる優しさと甘さ。そんなの、どう考えたっておかしいじゃないか。
及川徹はアイドルではない。ただの高校生男子だ。一般人だ。けれどもなぜか、女の子達は及川を芸能人か何かのようだと勘違いしている節がある。理想は壊されたくない。いつもキラキラしたままでいてほしい。名前は密かに、そんな女の子達に振り回される及川を不憫に思っていた。
自分なら分かってあげられる、なんて驕るつもりはなかったが、少なくとも彼女達よりは自分の方がマシだと考えるようになった。ずっと見てきた。そしてその過程で好きになった。もっと知りたいと思った。及川のことを知って、あわよくば本当の彼を曝け出してくれたらいいと思っていた。だから2人きりの時に見せる及川の顔に、名前はこの上なくときめいていた。


「もうちょっと自主練してもいい?送るから」
「邪魔じゃなければ、待ってる」
「…俺の彼女なら待っててよ」


本音と建前が入り混じったような、中途半端な口振りだった。
及川は自分の願いを聞き入れてくれただけ。夏休みに入るまでの1週間を有効利用しようとしているだけだということは、名前も分かっていた。
自分が提示した1週間という期限。そして夏休み前というこのタイミング。それは及川にとって都合がいいだろうから、という目論見だけで選んだわけではなく、名前自身にも特別な理由があってのことだった。
及川にはその理由を言っていない。言ったところでどうなるわけでもないし、ただ思い出が、美しくて甘酸っぱい思い出が欲しいだけだから。名前は及川に何も告げるつもりはなかった。

及川がサーブを打つ度に体育館が揺れる。
及川のボールを見つめる瞳が好きだ。すうっと、集中力を高める瞬間が好きだ。へらりと笑っている時よりも、好きだよとわざとらしく囁かれる時よりも、怖いぐらい真剣で、少し冷たいと感じるぐらいの眼差しの方が好きだ。及川に面と向かって言うことはできないが、名前は練習風景を眺めながらそんな気持ちを募らせていた。


「お待たせ。帰ろっか」
「うん」


岩泉や花巻、松川に別れを告げた及川が名前の元へ駆け寄ってきて、帰路を共にする。月曜日以来、これで2回目。そしてきっと、次はない。
名前は分かっていた。明日が終業式だということは、1週間は明日で終わってしまうということを。それ即ち、仮初の恋人ごっこは明日で終わってしまうということを。
1週間と言った。けれどもそれは実質、月曜日から金曜日までの5日間ということ。夏休みに突入してしまったら、及川に会う機会はなくなる。

この数日を振り返る。一緒に帰って、お昼ご飯を2人で食べて、ほんの少しいつもと違う及川を垣間見ることができて、練習を見に行って、こうして家まで送ってもらって。恋人というものがどういうものなのか、その定義は分からない。しかし名前にとっては十分だった。
周りから少しの間だけでも「及川徹の彼女」として羨望の眼差しを受け、及川自身にもそれなりに優しくしてもらい、自分が求めていた美しくて甘酸っぱい思い出が絵に描いたように作り上げられた。これ以上の1週間はきっとない。
月曜日と同じく、分かれ道に差し掛かった。あの時と同じように、名前は「ここで大丈夫、ありがとう」と言おうと口を開く。しかしそれを音にするより早く、及川が言葉を発した。甘ったるい声ではない。名前が好きな少しひやりとした声音だ。


「明日、終業式だけど」
「そうだね」
「終わりでいいの?」
「そういう約束だから」
「1週間って土日も含めるのかと思ってた」
「…いいよ。もう、十分」
「十分?」
「それに及川君はバレーの練習で忙しいでしょ?」


まただ。及川はムッとする。
聞き分けが良すぎる。理想的過ぎる。こんなの絶対におかしい。我儘のひとつも言わずにこの恋人ごっこを終えるなんて、この子は間違っている。振り回されたいわけじゃない。我儘を言われたいわけでもない。しかし、自分のことはどうでもいい、みたいな雰囲気を纏われるのは嫌だ。

俺のこと好きって言ったくせに。キスどころか手を繋ぐこともせずに「十分」って?そんなのおかしい。認めない。好きなら求めろよ。

求められることにうんざりしていたはずの自分が、求めてほしいと足掻く。この矛盾が引き起こされた原因の説明はできないが、今はそんなことどうでもよくて。及川はずるい手段を使った。


「土曜日、俺の誕生日」
「……知ってる、けど」
「彼女なら祝うのが当然じゃないの?」
「え、でも、」
「1週間は土日も含める」
「ごめん、及川君。それは無理」


約束だから?そんなのクソ食らえだ。イラつく及川に名前は静かに言う。


「明日で、恋人は終わりにしよう」


自分を好きだと言った女の子。今までに何人もいた。名前だってその中の1人に過ぎない。ちょっと物分かりが良くて、ちょっと変わった性格をしているだけ。そう割り切れたら良かった、のに。
「ありがとう、及川君」と、綺麗でほんのり儚げな笑みを浮かべて分かれ道を颯爽と歩いて行く名前から、及川はどうしても目が離せなかった。追いかけるべきか、迷う。追いかけて、引き留めて、それで、何と言う?縋り付くのか?
焦る。どうすべきか分からなくて。遠ざかる名前の後姿。焦る。どうしよう。
いつも及川は答えに辿り着けない。