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3水曜日、困惑より寂寥感

水曜日の放課後、及川は帰り支度をしている名前の元に向かった。付き合っているということを堂々と宣言したので、周りには「彼氏が彼女に声をかけに行っている」程度にしか映らない。
いつもなら真っ直ぐに体育館に向かうはずの及川が近付いてきたことで、名前はぎょっとする。昨日の昼ご飯の時と同様、突拍子もなくどこかに連れて行かれるのではないかと、少しばかり身構えたほどだ。けれども部活が第一優先である及川が、今から自分のために無駄な時間を割くとは思えない。となると、それだけ大切な用事があって来たのだろうか。名前は別の意味で身構えた。


「もう帰る?」
「う、うん…私、帰宅部だし……」
「何も予定ないなら練習見に来れば?」
「え」


それはかなり驚くべき提案だった。提案した張本人である及川自身が一番驚いているかもしれない。
今まで自分から女の子に練習や試合を「見に来てほしい」と言ったことがないのは、自分の最も大切にしている「バレーボール」というものを甘くみてほしくなかったからだ。サーブ、レシーブ、トス、スパイク、ブロック。そのどの動きにも意味があり、そのたったひとつの動きが勝敗を分ける。及川はそういう世界で生きてきた。
「サービスエースを取った」という事象にも、そこに行きつくまで血の滲むような努力があるわけだが、応援に来ている女の子達はほぼ全員、そんなことには気付きもしない。というか、気付こうともしていない。きっと過程はどうでもいいのだ。
サービスエースかっこいい!すごい!ただそれだけ。そういう声に対して笑顔を振り撒くことにも、その声を無視して自分だけの戦闘モードに切り替えることにも、もう慣れた。慣れさせた。そういう身体にした。
そんな感じだったから、彼女になった女の子に応援に来てほしいと思ったことはない。けれども名前に対しては、なぜか声をかけてしまった。全く意味の分からない行動である。これは一体どういうことか。及川は行動を起こした後で混乱していた。


「ファンの子が見に来てくれてるんじゃないの?」
「それはそうなんだけど…俺は彼女の名前ちゃんに見てもらえたら嬉しいなと思って」
「……、」


名前の目は完全に訝しんでいた。昨日の昼休憩のやり取りがあって、及川の本性は名前にバレつつある。だから今の及川の言葉が本心でないことは恐らくバレバレなのだ。
及川は自分の発言に益々首を捻る。こんな白々しいセリフを言ってまで名前に来てもらう必要はあるのだろうか。名前は普通に付き合いたいと言ってきた。好きだとも言ってきた。その割に、行動を起こしているのは今のところ自分からばかりである。放っておけばいいのに、なぜかそうすることができない。及川の中で自分自身が迷子になっていた。


「…ちょっと来てもらってもいい?」
「うん」


及川は場所を変えることにした。お決まりの笑顔を傾けて名前を部室棟の方まで連れて行く。そして部室棟の陰になっているところまで来て、漸く息を吐いた。


「俺のこと好きなんじゃなかったっけ?」
「そうだよ。好きだから、付き合ってほしいって言ったんだもん」
「じゃあなんで応援に来ないわけ?」
「及川君、そういうの好きじゃないのかなと思ってたから」
「…それはまあ…そうだけど」
「私、バレーのこと詳しくないし…何も知らない人間に見られてても何とも思わないかなあって」


名前の言っていることは正しくその通りだった。理に適っている。及川の理想とすべき彼女像と相違ない。深入りしてこない。ベタベタしてこない。寄り添っている女を気取らない。干渉してこない。気休めを言わない。自分の理想を詰め込んだロボットか?と思うほど、名前の思考回路は完璧だった。
1週間だけの関係だから、多少の我儘はきいてやろうと思っていた。というか、好きならもっと名前のやりたいことを存分に押し付けてきてもいいのではないかとすら感じていた。しかし名前はそうしない。たった1週間。その限られた僅かな時間を、名前はまるで自分のためというより及川のために費やしているように見えた。


「…なんで1週間って限定したの?」
「期間限定なら、使い捨てのカイロみたいにお手頃な感じで、及川君が付き合いやすいかなって思ったから」
「本当にそれだけの理由?」
「どうしてそんなこときくの?」
「好きなら1週間以上付き合いたくなるでしょ、普通」
「…1週間だけでも、思い出になったらいいかなって、思ったの」


名前の表情に影が差す。しかしそれは一瞬のことで、もしかしたら及川の見間違いかもしれなかった。


「俺のこと好きならバレーやってるところ1回ぐらい見ときなよ」
「試合は見たことある」
「練習あっての試合だから」


及川はもう引くに引けなくなっていた。ここまできたらどうやってでも練習を見に来させたいと思ってしまったのだ。大半はプライドの問題。しかし残りの少しは、単純に、自分が普段どんな努力をしているのか見てほしいと思っていた。
見られたからって「すごいね」とか「頑張ってるね」と言ってほしいわけではない。尊敬されたいわけでもない。どうしてほしい、どう思ってほしいという願望は何もなかった。名前は何も言わずとも分かってくれる。及川にはそんな、妙な自信があったのだ。

待って待って。これじゃあ俺がまるで本当に名前ちゃんのこと好きみたいじゃん。そんなことあるわけないのに。いつもと違うパターンだからって混乱しすぎちゃってんのかな。

及川のそんな心情など知る由もない名前は、さてどうしたものかと考える。練習を見に行きたくないわけではない。むしろ見に行きたい。好きなのだから当然だ。
しかし、見て、すごいなあ、やっぱりかっこいいなあ、と思って、より一層好きになって、それで、どうする?自分で提示した1週間という期限は変わらない。今より好きを重ねて、一体どうしようというのだ。


「今日は、帰る」
「…あっそ」
「明日か明後日には見に行く」
「何それ。今日でも変わんなくない?」
「変わるよ」
「何が?」
「…心持ちが」


名前の発言はいつも曖昧で理解に苦しむ。今回もそうだ。増えていくばかりのクエスチョンマーク。練習を見に来るだけで心持ちなんて必要なのだろうか。及川にはさっぱり分からなかった。
しかし、ここで今日見に来いと無理強いするほど、及川は子どもではない。今までの一連の流れはさておき、そこまで強引な男に成り下がるつもりは毛頭なかった。


「来る時は言って」
「どうして?」
「帰り、送るから」
「え、いいよ。大丈夫」
「大丈夫じゃないし。一応彼女だし」


「一応」という単語にずきりと胸が痛んだのは及川か、名前か、はたまたどちらもか。
名前はきちんと及川が約束通りに彼氏役をしてくれていることが嬉しかった。嬉しくて、切なかった。自分が望んだくせに彼女扱いされる度に胸が苦しくなる。
1週間。その制約が、堪らなく鬱陶しかった。しかしその期限はどうやっても変えられない。例えどれだけ好きだとしても。