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bonheur tatonnement


鉄朗からの衝撃的なプロポーズを受けてから、早3週間。私と鉄朗は、なかなかに忙しい毎日を送っていた。鉄朗は相変わらず仕事に追われているが、週末にはなんとか時間を作ってくれて、お互いの両親に挨拶に行った。
うちの両親は、それはそれは驚きながらも役者・黒尾鉄朗の名演技にまんまと騙されて、すんなりと祝福してくれた。騙されたと言うと人聞きが悪いけれど、事実なのだから仕方がない。
勿論、鉄朗のご両親への挨拶にも行った。初めて行った時に失礼な帰り方をしてしまったこともあってド緊張していた私だったけれど、なんと私は鉄朗のご両親に気に入っていただけたらしく、鉄朗のことをお願いね、と言われてしまった。どこをどう気に入ってもらえたのかは全くもって分からないが、結果オーライだ。
そんなこんなで、結婚準備は着々と進んでいる。今日は2人で指輪選びにやって来た。実はこの日を楽しみにしていた私は、朝から上機嫌だ。


「好きなの選べよ」
「えー…どれが良いのかなー…」


きらびやかな指輪達を前に、私はどれが良いのか分からず目移りしてしまう。すると、綺麗な店員のお姉さんがにこやかな笑顔を携えて私達の元にやって来た。婚約指輪をお探しですか?それとも結婚指輪ですか?と尋ねられ、私は背後の鉄朗の方へ振り返る。
婚約指輪と結婚指輪の違いがイマイチ分かっていない私は鉄朗に助けを求めているのだが、鉄朗は知らん顔だ。おい。他人事だと思ってるのか。


「ちょっと鉄朗、一緒に選んでよ」
「指輪とか正直どれが良いか分かんねーし興味ねーわ」
「ひっどい!一生ものなんだよ?高いしさぁ…」
「だから、そーいうのは女が好きなの選べばいーんじゃねーの?」


いや、まあそうなんだけどさ。私は小さく溜息を吐いた。確かに、こういうのは女の私が選ぶのがセオリーなのだろう。けれども、なんというか、こういう時は一緒に選ぼうとする気持ちっていうのが何より大切だと思う。いくら自分の気に入るものを選んだって、鉄朗と選んだものじゃなければ意味がないのだ。
私がなかばどんよりした空気を漂わせてしまったからなのか、綺麗なお姉さんは少し困っている。駄目だ。こんなところで赤の他人である店員さんを困らせるわけにはいかない。私は必死で作り笑いを浮かべた。


「あの、結婚指輪ってペアでつけるやつですよね?」
「はい。ご夫婦様でつけていただくものになっております」
「ふ、夫婦…」
「結婚指輪でしたらこちらからこちらに取り揃えておりますが…試しにつけてみられますか?」
「え!いえ、ちょっと待ってくださいね…えーと…」


夫婦という聞き慣れない単語に、私は無駄にテンパってしまう。目ぼしい指輪もないのに適当につけるのは憚られるし、どうしよう。
とりあえずショーケースの中で光り輝く指輪達を順々に見ていると、シンプルながらも目を惹くデザインの指輪に目が止まる。それに目敏く気付いたらしい店員さんは、試しにどうぞ、とショーケースの中からそれを出してくれた。
え、これ、本当につけていいのかな。まだ買うって決めたわけじゃないのに。私が躊躇っていると、それまで黙って見ていただけの鉄朗が指輪を手に取って、私の左手の薬指にするりと嵌めてしまった。


「いーじゃん。邪魔にならなそうだし。変にキラキラしてねーし。サイズこれで良い感じ?」
「え、あ、ちょっと大きい、かな?」
「どうせならサイズ測ってもらえよ」
「あ、うん?」


よく分からないが、店員さんが指のサイズを測ってくれて、ぴったりサイズの指輪まで用意してくれた。まだこれに決めたわけじゃないのに。


「これの男性バージョンもあります?」
「勿論でございます。どうぞ」
「どーも。…おー。いー感じじゃね?」


鉄朗は自分の左手の薬指を物珍しそうに眺めながら、そんなことを言ってきた。一生に一度しか買わないであろう結婚指輪。結婚を決めた時にも思ったけれど、大切なことに限って鉄朗のノリが軽いと思ってしまうのは、私の価値観の問題なのだろうか。もっと吟味して決めても良さそうなものを…このままいくと、なんとなく良いかも、で私の目に止まったこの指輪に決定してしまいそうだ。


「あの、他のもまだ見ていいですか」
「どうぞ、ごゆっくりご覧ください。気になる商品がございましたら何なりとお声かけくださいませ」
「まだ見んの?」
「だって…他にもいいのがあるかもしんないじゃん」
「第一印象で良いなって思ったやつが良いんじゃね?」
「鉄朗、早く帰りたいだけでしょ…」


私のじとりとした眼差しを受け、鉄朗はそっぽを向く。どうやら図星らしい。指輪選びを楽しみにしていた私は、一体何だったのだろうか。1人で舞い上がって、馬鹿みたいだ。
私は左手の薬指に光る指輪を店員さんに返すと、小さく会釈をしてからその場を後にした。鉄朗が指輪を返却してから慌てて後を追ってくる気配がするけれど、そんなのどうでも良い。私はお店を出ると、家の方へ向けて歩き出した。


「名前、おい、待てって」
「なんでよ…早く帰りたかったんでしょ」
「そんなこと言ってねーだろ」
「でもさっき、否定しなかったじゃん」


私のツッコミに、鉄朗は口籠る。ほらね。やっぱり図星じゃんか。私は鉄朗をひと睨みしてから、また歩を進める。
暫く歩いて、人気の少なくなってきた路地裏辺りで腕を掴まれたため止まりはしたけれど、振り返りはしない。いつも絆されてばかりだけど、今回ばかりは折れてやるもんか。なかば意地になって俯いていると、私の腕を掴む鉄朗の力がほんの少し強くなった。


「指輪、どうすんだよ」
「…いらないもん」
「はあ?いるだろ。結婚すんだから」
「形だけの指輪なんか、ほしくない」


私の声が僅かに震えていることに気付いてしまったのだろうか。鉄朗は、口を噤んでしまった。まだ辛うじて泣いてはいないけれど、目頭はじんわり熱くなってきていて、ちょっと気が緩むと涙が落ちてしまうかもしれない。私はいつも、大切な時に泣いてばかりのような気がする。
こんなので幸せになんてなれるわけないじゃん。俗に言う、マリッジブルーというやつなのだろうか。私の心は、いつにも増して情緒不安定だ。


「…名前、悪かったって」
「何が?」
「さっさと帰ろうとしたこと。それで怒ってんだろ?」
「違うし」
「じゃあなんでだよ…」
「鉄朗は、本当に指輪がほしいの?結婚するから、仕方なく買うつもりなの?」
「は?」


私の質問の意図が分からないのか、鉄朗は珍しく困惑しているようだった。
結婚するから指輪を買う。もしくは、結婚式で指輪の交換をするために指輪を買う。そんなの、違うと思う。実際、結婚していても指輪を持っていない夫婦だっているだろう。それならば、なぜ指輪を買うのだろうか。
これは私の勝手な考えだけれど、指輪はある種の誓いの証みたいなものだと思う。相手のことをずっと好きだよ、愛してるよ、という気持ちを込めて交換してこそ意味があるのではないだろうか。
夢見がちだと笑われるかもしれない。そんな考え、重たいって思われるかもしれない。我ながら、イタイなとも思う。でも、何の感情もなく買われた指輪なんて、私はほしくない。


「指輪、楽しみにしてたんじゃねーの?」
「指輪そのものを楽しみにしてたわけじゃないもん…」
「……あー…分かった。分かったから、そんな顔すんなよ…」
「何が分かったの…」


鉄朗は俯く私の顔を覗き込むなり、その場に座り込む。何やら、あーとかでもなーとか、意味をなさない独り言が聞こえるけれど、何が分かったというのだろうか。
鉄朗がどんな状況だろうが私は依然としてどんよりした気持ちのままなので、目を合わせることはない。つくづく面倒な女だ。これは結婚やめるとか言われても仕方がないかもしれない。


「悪い。今日、最初から指輪買うつもりなかった」
「……やっぱりほしくなかったんじゃん」
「違くて。なんつーか……あー…」
「何よ。はっきり言って」
「名前が欲しそうなやつリサーチだけして帰るつもりだった」


鉄朗の発言に、私は目をしばたたかせる。リサーチ?そんなことする意味がどこにあるというのだろう。一緒に買えばいいだけの話なのに。鉄朗の言わんとしていることが分からず、先ほどとは違う意味でモヤモヤする。
するり。何の前触れもなく鉄朗が私の左手を握るから、咄嗟に視線を合わせてしまった。鉄朗はなんだかバツが悪そうだ。


「あのさ、指輪のことは俺に任せるってどうよ?」
「……え?でも、興味ないんでしょ…?」
「いーから。絶対うまいことするから」
「うまいことって…何それ…」
「だからとりあえず機嫌直せって…な?」
「はあ?」


何を言いだすかと思えば、適当に場をやり過ごそうとしているのが見え見えだ。鉄朗に任せて、何がどううまいこといくというのか。機嫌なんか直るわけがない。
私は握られていた左手を振り払うと、座り込んだままの鉄朗を置いて歩き出した。もう知らない。指輪も結婚もなしだ!私はヤケクソになりながら速足で家を目指す。
こんな私に呆れてしまったのか、鉄朗が私の後を追ってくることはなかった。



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bonheur tatonnement=幸福模索


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