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目指すは逆回転の未来


夏休み、私は野球部の応援に行った。ケンジ君はレギュラーメンバーではなかったし、もっと言うなら補欠メンバーにも選ばれていなかったけれど、練習試合には時々出ていたので、それを応援する目的で。
もしかして御幸君もいるかな、なんて淡い期待を抱きながらグラウンドを眺めてみたけれど、そこに御幸君の姿はなく。野球部は多いし、もしかして御幸君は練習試合にも出られないのかな。いや、それは有り得ないか。スカウトされてこの青道高校に入学した御幸君のことだ。もしかしてレギュラーメンバーに選ばれてるとか?
ケンジ君の応援に来ているはずなのに、私はなぜか御幸君のことばかり考えていた。ケンジ君はグラウンドを見ればそこにいる。けれども、私の瞳にはきちんと映っていない。
私の彼氏はケンジ君。だから私が見つめていなければならないのはケンジ君だし、1番に応援しなければいけないのもケンジ君だ。そんなの、当たり前なのに。御幸君と再会してから、私はおかしくなってしまった。
頭では分かっている。もう過去の記憶とは決別しなければならない、と。けれども、心の奥底にはどうやっても「一也君」が燻っているのだ。なんと未練がましくて諦めの悪いことか。しかし私にとって「一也君」への想いはそれほどまでに強く根付いていたのだと思う。


「かずやくん、」


ケンジ君に手を振りながら呼んだその名前は、誰に届くでもなく、むわりとした熱気に吹き飛ばされていった。


◇ ◇ ◇



1年生の夏はあっという間に過ぎ去って、秋も冬も飛び越えて、何をしたのかあまり記憶のないまま、私は高校生になって2度目の春を迎えた。1年前はピカピカだった制服もだいぶくたびれてきて、自分の身体に馴染んでいるような気がする。
この1年で何か変わったことと言えば、少し背と髪が伸びたことぐらいだろうか。ああ、あと、ケンジ君と別れた。それぐらい。
ケンジ君と別れたのは夏休みが終わって暫くしてからのことだった。別れを切り出してきたのはケンジ君の方。でも、別れを告げたのは実質、私のようなものだった。


「名字は、俺のことそんなに好きじゃないんだと思う」
「そんなことないよ」
「ずっとそんな気はしてた。練習試合、観に来てくれたのは嬉しかったけど、俺のことそんなに見てなかったよね?」
「…そう、かな……」
「俺は御幸にはなれない」
「え」
「…ただの幼馴染みじゃないことぐらい、なんとなく分かるよ」
「ごめん…」
「今までありがとう」


ケンジ君は最初から最後まで、とても良い人で、とても爽やかだった。私の小さな嘘や下手くそな取り繕いに付き合ってくれて、その上、責めもしなくて。頑張れよ、と応援までしてくれた。
そんなに分かりやすく御幸君を追いかけているつもりはなかったけれど、知らず知らずのうちに探していたことは事実だ。ケンジ君には、それがバレバレだったのかと思うと恥ずかしい。けれども、折角ケンジ君が頑張れと言って背中を押してくれたのだ。躊躇っている場合ではない。
別れてから1ヶ月ほどして、私は御幸君を呼び出した。ちょうど冬が近付いてきた頃で、風が冷たかったことをよく覚えている。
告白スポットとして有名な体育館裏でも、屋上でも、裏庭でもなく、私が指定したのは、あの春の日に再会を果たした通学路の近くにある桜の木の下。御幸君は寮生だから迷惑だということは重々承知していたけれど、自分の気持ちを伝えるならここが良いと思ったのだ。
夜の練習が終わってからで良いから、待ってる。一方的すぎたので来てくれないかもしれないと思っていたけれど、御幸君はきちんと来てくれた。それだけで嬉しかった。


「わざわざこんなところに呼び出して、何?」
「私、御幸君に伝えたいことがあって…」
「へぇ」
「入学式の日、ここで会ったの覚えてる?」
「ああ…そんなこともあったな」
「会えて、嬉しかった」
「…あっそ」
「御幸君は何とも思わなかった?」


暗闇とは言え、近くの街灯のおかげでお互いの表情は窺うことができた。その時の御幸君の表情は何とも言えない複雑な思いを孕んでいて、私が読み取るには難しすぎたという記憶がある。


「話って、そんなこと?」


さあっと駆け抜けていく冷たい風よりも更に冷たさを増した御幸君の言葉が、私を貫く。そんなこと。久し振りの再会も、御幸君にしてみれば「そんなこと」だったのか。
正直、伝えたいと思っていたことを忘れてしまいそうなほどショックだった。どんなに冷たくされたって、あの時の再会は私達にとって特別なものだと共通の認識ができていると信じていたから。でも、違った。特別だと思っていたのは私だけだったのだ。


「私は…ちゃんと、覚えてるよ」
「…何を?」
「約束。御幸君は忘れちゃったかもしれないけど、小さい頃にした、約束のこと…」
「覚えてたくせに、守ってねぇんだ?」


御幸君の目は、私を軽蔑していた。
迎えに行くからいい子にして待ってろよ。
あの時「一也君」はそう言った。その約束は鮮明に覚えている。けれども御幸君が言った、約束を守っていない、という意味は、イマイチぴんとこない。


「……俺も覚えてたよ。ずっと」
「え、」
「でもお前は俺を待ってなかった」
「そんなこと、」
「いい子にして待ってろよって言ったはずなのにな」
「ちゃんと待ってたよ!」
「彼氏いたくせに?」
「それは…、」


それは…それは?私はその続きで、何を言おうとしたのだろう。冷ややかな御幸君の視線が突き刺さる。
思い返せばケンジ君と一緒にいるところを初めて見られた時、御幸君の表情はひどく歪んでいた。そしてよくよく考えてみれば、その後から態度が一変したようにも感じられる。もしかして御幸君は、私が思っている以上にあの頃の約束を大切にしていてくれたのかもしれない、なんて。今更気付いたって、もう遅い。


「で?話って?」


言えない。ずっと御幸君のことを想っていた、なんて。会えて嬉しかったからまた昔みたいな関係に戻りたい、なんて。あわよくば御幸君とお付き合いしたいと思っている、なんて。今の話の流れからいって、どうやっても信じてもらえないだろう。
震える唇は何も紡ぎ出すことができない。私の方から呼び出したのに黙り込んでしまうのはおかしいけれど、まさかこんなことになるなんて思っていなかったのだ。
何も言わない私を前に、御幸君は大袈裟ともとれるほど大きく溜息を吐いた。きっと私の言動にイライラしているのだろう。それが分かっていても尚、私には為す術がない。


「まさか、アイツと別れたから俺と付き合いたいとか、そんな都合の良いこと言うつもりじゃねぇよな?」
「…っ、」
「………昔から勝手すぎんだよ」


図星だということもすぐにバレてしまい、もっと辛辣な言葉を浴びせられるだろうと身構えていたのに、御幸君の顔があまりにも歪んでいたから。私は、怖いだなんて思えなかった。ねぇ、どうしてそんな顔するの?泣きたいのはこっちの方なのに、まるで御幸君の方が泣きそうだなんて。こんなのおかしい。
沈黙が当たり前となってきた頃。先に口を開いたのは、御幸君の方だった。静かに、淡々と。御幸君は私の心を揺さぶる。


「本気で俺のこと待ってたなら、まだ待てるよな?」
「どういう意味…?」
「来年の4月」
「4月?」
「とりあえずそれまでは保留」
「…保留」
「せいぜい、いい子にして待ってろよ?」


再会して冷え冷えとした空気が流れ始めてからというもの傾けられることのなかった笑みを、この時ようやく見ることができた。口の端を上げてニヤリと不敵に笑うその姿に、胸がキュンと疼く。そうして、もはや反射的にコクリと頷いた私を見て、御幸君は去って行った。
それから数ヶ月。待ちに待っていた4月。私達は春風によって花びらが散ってしまったあの桜の木の下で、再び約束を果たした。御幸君。いや「一也君」。今度こそ、ちゃんと待ってたよ。