×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

ぼくも、きみも、おもい


2度目の約束を交わしてから4年。彼女の記憶は相変わらず戻らないままだが、俺はその事実を忘れてしまうほど気にも留めていなかった。この先、彼女の空白の時間を埋めることはもう叶わないのだろう。そんな気がする。けれどもそれは俺にとって何ら支障のないことであって、それを気にしているとすれば間違いなく彼女の方だった。
俺達は付き合っている。だから、俺はプロ入りを果たして毎日を忙しなく過ごしていようとも、時間がある時には彼女に会いに行ったし、できるだけこまめに連絡もしていた。自分で言うのもなんだが、俺は本来メールだの電話だの、そういったことをマメにできるタイプじゃない。しかし彼女に限っては、そのセオリーを覆さなければならなかった。
昔と同じように、彼女から歩み寄ってくれるのを待っていてはダメだ。手放したくないのなら努力をしなければならない。それがたとえ、どれだけみっともなくてカッコ悪いことであっても、最も大切なものを失わないようにするための手段だというのなら行動を起こすしかないのだ。
そうして高校を卒業してからの4年間は、俺にとっても彼女にとっても忍耐の期間だったと思う。プロ入りを果たしたからといって成功するとは限らない。いくら高校時代にそこそこ注目してもらっていたとはいえ、結果が出せなければ意味がないというのがプロの世界の掟みたいなものだ。俺がその厳しい世界を生き抜いていける保証はどこにもない。だから、自分自身の力で生きていけると自信をもって言えるようになるまでは、彼女を迎えに行くことはできないと高を括っていた。
一方、彼女の方は大学生。恐らく、俺に対して引け目を感じていたんじゃないかと思う。高校卒業直後はそれほど感じていなかったけれど、俺が活躍すればするほど、彼女のそういった感情は大きくなっていくようだった。彼女のことだ。自分では俺に相応しくないんじゃないか、他の女性の方がお似合いだ、とかなんとか考えているのだろうと思った。
だから俺はこの時を待っていた。彼女が大学を卒業し、就職し、無事に社会人となって少し経ったこの時期を。俺はプロ5年目。有難いことに自分の居場所を確立することができ、注目の捕手としてテレビで取り上げられることも増えてきた。もう十分、自分自身の力で生きていける。彼女も学生ではなく社会人となった。もう何にも縛られる必要はない。
突然彼女の家に押し掛けた俺には、ある意図があった。いつも事前に連絡をして訪問すれば、彼女は当然のようにピカピカの部屋に招き入れてくれるし、どれだけ時間をかけて作ったのかも分からないほど立派な食事を用意してくれる。その気持ちは嬉しいと思った。けれども同時に、俺に対する妙な気遣いというか、見えない壁のようなものを感じていた。だから俺は「いつもの名前」が見たくて押し掛けたのだ。
あの事故以来、彼女に会うたびに、俺に申し訳ないとか一緒にいる資格はないだとか、そういう気持ちを少なからず感じていた。そんなことを思う必要はないのに、責任を感じる必要など一切ないというのに、彼女は全てを背負おうとする。そういうところが好きで、そういうところが嫌いだった。というか、腹が立った。俺がそんなことを気にするようなちっぽけな男だと思われているみたいで。


「一也君」
「……なに」
「私、ね、一也君に言わなくちゃいけないことがあって、」


嫌な予感しかしなかった。彼女の表情を見れば分かる。俺から離れようとしている、と。今日この場所に来ていなかったら手遅れになっていたかもしれないと思うと、自分の行動力に賞賛の拍手を送ってやりたい。
俺の方から言いたいことがあると強引に彼女の言葉を遮った。一方的すぎると思われるだろうか。自分勝手すぎると軽蔑されるだろうか。それでも構わなかった。元々、何も言えず、何の行動もできず、ただ彼女を失うことになるぐらいなら、今ここで嫌われるぐらい自分の気持ちを押し付けてやろうと決めていたのだ。どうせなら俺のやりたいようにさせてもらう。
何か反論したそうな彼女を無理矢理言い包めて、自分の方へ引き寄せる。握り締めた俺のシャツをしとしとと濡らす彼女は、約束を守ってくれるだろうか。陳腐で子ども染みた、あの4年前の口約束を。


「私で、いいのかなって…ずっと、思ってて、」
「そんな気はしてた」
「約束って言ったって、何の拘束力もないし、」
「まあな」
「一也君は優しいから…私に別れを切り出すのを躊躇ってるんじゃないかって、」
「名前」
「は、い、」
「俺が約束破ったこと、あったっけ?」


この言い方はまるで彼女を責めているように聞こえるかもしれないが、そういうつもりは一切ない。ただ、彼女に再認識してほしかっただけだ。俺がどれだけ片想いを続けてきているのか。重たすぎるほど、鬱陶しくなるほど、彼女を好きでい続けているのか。振り返ってほしかっただけなのだ。俺の覚悟も含めて。


「名前が俺のことを好きじゃないなら仕方ないと思う。納得はできねぇけど、無理強いするつもりもない。縛りつけようとも思ってない」
「そんな…私は、」
「でも、まだ俺のことが好きなのに離れようとすんのだけは許さねぇから」
「……ごめ、なさ、」
「何に対して謝ってんの?」
「好きなままで、ごめん、ね…、」
「……それ、すっげぇ腹立つ」
「え、っ、」


俺の気持ちが伝わりきっていないことに苛立った。どうしたら全てが伝わるか。どうやったら俺の女でいていいと思ってもらえるのか。俺にはその術が分からない。
年齢を重ねても心が成長しきっていない俺は、盛りのついた餓鬼のように彼女の唇を貪る。このまま全身に俺の考えていることが染み込んでしまえばいい。そんな、重たすぎる想いを押し付けるように名前への口付けを続けた。
そうして、どれぐらいの時間その行為を続けていたのか分からない。気付いたら名前はぐったりとしていて、俺の身体にもたれかかってきていた。そこで漸く、やりすぎてしまったことに気付く馬鹿な自分に頭を抱える。歯止めが効かなくなるとこれだからダメだと、昔から反省しているはずなのに。まったく、成長してねぇな、俺は。


「ごめん、やりすぎたな」
「…かずや、くん、」
「もう謝んなよ」
「どうしよう」
「何が?」
「好き」
「……は?」
「私じゃ一也君に相応しくないって、ちゃんと分かってて、離れなくちゃって思ってたのに…好き、なの、」


馬鹿みたいなことを言う女だと思った。相応しくないとか離れなくちゃなんて、思う必要ねぇって言ってんのに。ただ好きって、そう思ってくれているだけで、その言葉と感情さえあればいいのに。ふざけんなよ。
少し前に流れた涙の痕をなぞるように、新たな雫が頬を伝う。それが落ちきる前に指で掬い取って、痕を消すように頬に手を添えれば視線が交わって、自然と頬が緩んだ。つられたようにぎこちなく笑う彼女は、また泣き出してしまいそうだ。


「離れていいって言った覚えねぇんだけど」
「…うん、そうだね」
「俺が今日、何のためにここに来たか分かってんの?」
「私に会うため?」
「そりゃそうだけど。そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「迎えに来たって言ったろ」
「うん……うん?」
「あれ、結婚しようって意味なんだけど?」


時が止まった。…ような気がした。それほどまでに彼女は放心状態で、数秒間微動だにしなかったのだ。いや、そんなに驚くことじゃねぇだろ。これだけ長く付き合ってて、しかも迎えに来たって言ってんだから、そういう意味かもって少しは察しつくと思ってたんだけど。


「聞こえてる?」
「き、聞こえてる……」
「で?返事は?」
「え、今?ちょ、ちょっと待って…、」
「今じゃなかったらいつ返事してくれんの?嫌ってこと?」
「ちが、そうじゃなくて、心の準備が…っ」
「じゃあ心の準備ができるまで待っとくわ」
「っ、一也くんっ、」


どうやら時間がほしいらしいということは察したので、彼女を抱きかかえて寝室へ向かう。飯と風呂は後回し。俺は試合終わりにシャワーを浴びたので適度に汗は流せているだろうし問題ない。あとは彼女が本気で嫌なら抵抗してくれるはずだから、全てを彼女の気持ちに委ねることにして。俺としては、できれば返事を待つ間も、重たい愛情を感じていただきたい。そんな傍若無人極まりない願いを込めて、彼女をベッドに横たえた。