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そしてピリオドが始まる


これはきっと天罰だ。彼との約束を破って他の人になびいてしまったから、それに対する報い。そう簡単にハッピーエンドは手に入らないって、頭の片隅で分かっていたことではあるけれど、多少の罰は甘んじて受け入れなければならないと思ってはいたけれど、それにしたってこれはあんまりじゃないだろうか、神様。そんなに私のことが嫌いですか。


それは一瞬の出来事だった。駅に戻るための横断歩道を渡っている時、大きなクラクションの音と、危ない!という誰かの声が聞こえて、全身に衝撃が走る。痛いとかそういう次元じゃなくて、生きているのか死んでいるのか、私の身体が今どうなっているのか、何も理解できなかった。けれど、今の状態では一也君に会えそうにないなあ、って。ただそれだけは冷静に考えている自分に、こんな状況にもかかわらず笑いが込み上げてくる。
おめでとうって、直接会って言う約束だったのに。私、また約束破っちゃうね。待っててって言われて待てもせず、大切な言葉を伝えるって言って言えもせず。私は、嘘吐きだ。ごめんね、一也君。
遠くで沢山の人が蠢く姿がぼんやり見えたし、ガヤガヤと声も聞こえる。けれど、それらは全部ボヤけていて。私はそのまま意識を手放した。


◇ ◇ ◇



微かに話し声が聞こえる。それから、手が温かい。そういえばちょっと眩しいかも。全てが曖昧な感覚の中、私は重たい瞼を薄っすらと開けた。そして目に飛び込んできたのは見覚えのない天井。あれ、ここどこだっけ?
身体を起こそうとした私は全身の痛みでそれを断念した。痛みのせいだけじゃない。全くと言っていいほど力が入らないのだ。これは一体…?と記憶を呼び起そうとしていると、名前!と。名前を呼ばれた。手を握ってくれていた人物、お母さんだ。ごめんね、ごめんね、と何度も謝る姿に、何でそんなに謝ってるの?と尋ねたいのは山々なのだけれど、上手く口が動かなくて声を発することはできなかった。
それから暫くして、私は信号無視をした車にぶつかられるという事故に遭って一命を取り留めたことを説明された。そういえば、お母さんと旅行に来ていて別行動を取っている時に事故に遭ったような気がする。そうだそうだ、少しずつ思い出してきた。


「お母さんが一緒にいたらこんなことにならなかったのに…ごめんね…」
「それはもう良いから…奇跡的に助かったんだし…」


意識が戻った翌日、私はどうにか会話ができるようになっていた。相変わらず全身は痛いけれど、謝り倒しのお母さんを嗜める程度には回復しているようでホッとする。この調子だと新学期のスタートは出遅れることになってしまいそうだけれど仕方がない。
兎に角今はゆっくり休んで早く元気になってね、と言うお母さんの言葉通り、こうなったら思う存分休ませてもらうことにしよう。そう思って目を閉じ、眠りに落ちた後。お母さんでもお父さんでもない人の声で、名前、と呼ばれて意識が浮上した。誰だろう。とても心地の良い、懐かしい声音だ。
ゆっくりと目を開ける。そして、ベッドサイドの椅子に座っている人物に顔を向けた私は驚いた。


「かずや、くん…?」
「起こしたか?」
「そんなことより、どうして…、」
「まさか事故に遭うなんて…こんなことになるなら動かずに待ってろって言っとけば良かった」


一也君は私の顔を見て安心したような、けれども酷く申し訳なさそうな表情をしている。どうして一也君がここにいるのか、そして一也君の言っていることがどういう意味なのか。私にはさっぱり分からない。


「なんで一也君がいるの?」
「なんでって…おばさんに目覚ましたって連絡もらって、自由時間中に急いで来たカレシに向かってそういう言い方は、」
「カレシ!?」
「は?」
「か、一也君、私の、かれ、かれしって…」


驚きのあまり思いっきり身体をビクつかせてしまったものだから全身が痛い。けれども今は痛みのことよりも一也君の発言の方が重要だ。彼氏って…私と一也君が?いつから?そりゃあ私は幼い頃からずっと一也君のことが好きだったわけだからもしそれが本当のことだとしたら嬉しいけれど、そういう関係になった記憶は1ミリもない。
高校に入学して、一也君と再会したことは覚えている。けれど、その後の一也君との関係については一切思い出せるエピソードがないのだ。けれども、一也君がそんな嘘を吐くとは思えないし、何より驚愕と困惑の色を浮かべたまま固まっている姿を見れば、私が大切な記憶を失っていることは一目瞭然だった。
もっとどうでも良いことを頭から排除してくれたら良かったのに、よりにもよって、どうして一也君との大事な思い出を忘れてしまったのだろうか。事故の時に頭を打ったようだけれど脳に深刻なダメージはなさそうで良かったと、今日の午前中に説明を受けたばかりなのに。
名字さーん、と。とても気まずい空気を払拭するように声が聞こえてきて、検温しても良いですか?と看護師さんが現れた。一也君はそのタイミングで、とりあえず今日は帰るわ…と席を立って帰って行く。お邪魔しちゃってごめんなさいね、と言われたけれど、正直、来てくれて助かった。あんな重たい空気、私の力ではどうにもできなかったから。


「彼氏君、すごいねぇ。今甲子園で試合に出てるんでしょ?」
「え、」
「名字さんのお母さんが言ってたから。青道高校だっけ?4番でキャッチャーなんて漫画の主人公みたいじゃない」


私は、まだ身体痛いよねぇ…痛み止め追加した方が良さそう?などと会話を進める看護師さんに、大丈夫です、と答えるのが精一杯だった。
どうしよう。私、何も知らない。違う。何も覚えていない。高校入学以降の一也君に関すること、全部。なんで、どうして。
悲しくて悔しくて、でもどうすることもできなくて。私の目からは涙が溢れていた。それに気付いた看護師さんがギョッとしながらも、痛いの我慢しなくて良いんだよ?と優しく声をかけてくれたけれど、この胸の痛みに効く薬なんてありはしない。
きっと私は一也君を傷付けてばかりだ。何も覚えていなくても、それだけは何となく分かる。何がどう転んで一也君と付き合えるところまで漕ぎ着けたのか、その過程は全く思い出せない。けれど、そこに行き着くまでに、私は沢山の努力をして、その分、一也君とぶつかったはずだ。お互いに迷ったり悩んだり苦しんだり、そういう経験を積み重ねてきたに違いない。
でも今の私の頭には、それらの記憶が何ひとつないわけで。もし私と一也君が逆の立場だったら、私は先ほどの一也君みたいに自分の気持ちを押し殺しながら立ち去ることなんてできなかっただろう。泣き崩れて、困らせてしまっていたに違いない。


「すみません…大丈夫なので…」
「そう?何かあったら遠慮なく呼んでね」
「はい…ありがとうございます…」


看護師さんにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないと、涙を拭う。けれども、1人になった途端にまた自然とポロポロ涙が溢れてきた。もう、やだ。大好きな一也君との思い出を覚えていないことも、それによって一也君を傷付けてしまっていることも。全部全部、嫌だった。いっそのこと死んでしまった方が良かったんじゃないかって思うほど。