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羅針盤の指す方向は


全身の血の気がさあっと引いていくのが分かった。一也君が大きな身体に吹っ飛ばされている瞬間はスローモーション。ベスト4まで進み準決勝で起こった衝撃的な出来事に、私は動揺が隠せない。
一也君よりも一回りも二回りも大きな身体の相手が、全身全霊をかけて突進してきた。だから吹っ飛んだ。一也君が。そりゃあ血の気も引くというものだ。幸いにも一也君に怪我はなかったらしく、それどころかしっかりボールを握ってアウトをもぎ取ったのだから流石としか言いようがない。
最終的に青道は決勝戦進出のための勝利を収めたわけだけれど、私は一也君のことが心配で仕方がなかった。あんな巨体にぶつかられたのだ。怪我がなかったとしても全身が痛いに違いない。
試合が終わったからと言ってすぐに携帯を見るような人ではないということぐらい分かっている。最悪、疲れていたら寝る前ぐらいにメッセージを見ることになるかもしれない。けれど、それでも良い。いつか見て、いつか返事をくれたらそれだけで。


決勝戦進出おめでとう。身体、大丈夫?無理しないでね。ちゃんと休んでね。


彼女というよりお母さんみたいな文章を送ってしまったなと、送信した後に気付いた。でもまあ、言いたいことはシンプルに全て伝えたつもりだから良しとしよう。
予想通りと言うべきか、日が暮れても返事はこなかった。夜ご飯を食べてお風呂に入って、部屋に投げっぱなしにしていた携帯を見て。その時になって漸く一也君から返事が来ていたことに気付く。メールが届いたのは今から5分ほど前。今頃は寮の自室で寝る準備でもしているかもしれない。
痛いけど大丈夫、という相変わらず簡潔すぎる文面に苦笑。本当はもう少しやり取りしたいところだけれど、一也君は元々メールが好きじゃないし、疲れているだろうから早く休んでほしいという意味合いも込めて文面の最後に、おやすみ、という一言を添えた。これで今日はもう何の連絡もないだろう。
そう思って送信した5分後。携帯が震えた。しかもメールじゃない。これは着信だ。もしかして、と思って確認すれば、着信相手はやっぱり一也君だ。メールは面倒だから電話で、というタイプではあるけれど、まさかこんな大変な日に電話をしてくれるなんて。私は嬉しさに心を躍らせながら電話に出る。


「もしもし?」
「どーも」
「どうしたの?」
「別に」
「別に、って…」
「気が向いたから」
「…一也君って意外と電話してくれるよね」
「しねぇ方が良いならしませんけど」
「そういう意味じゃなくて!嬉しいなって思って!」
「電話ぐらいで?」
「うん。だって声が聞けるんだもん」


私の興奮をよそに、ふーん、と。一也君は抑揚のない相槌を打つ。だって、あの一也君が電話をしてきてくれたのだ。どんな理由であっても嬉しいに決まっている。この感動が本人に伝わらないのが非常に残念だ。


「俺は電話なんかじゃ足りないけどな?」
「足りない?」
「そ。足りない」
「えっと…それはつまり…?」
「…外、出れる?」
「へ?」
「あの公園。来れるかってきいてんの」


あの公園、というのは、夏のあの日に待ち合わせをした公園のことだろう。私の脳内であの時の苦い記憶がじわじわと蘇る。でも今はあの時とは違う。一也君との関係は確実に変化した。だから大丈夫。


「うん、大丈夫」
「じゃあまた後で」


電話が切れてからすぐ、私は急いでパジャマから着替えて髪を整えた。お母さんに、少しだけ出てくる、と告げると不審がられたけれど、追求される前に家を飛び出す。だって一也君が待ってるんだもん。のんびりしているわけにはいかない。
猛ダッシュとは言わないまでも小走りで公園に向かったせいで、辿り着いた時には少し息が弾んでいた。ゆっくりと息を整えながら歩き、暗闇の向こう、ベンチに誰かが座っていることに気付く。勿論、その誰かというのが誰なのかは分かっている。


「一也君、お待たせ」
「ああ…早かったな」
「ちょっとだけ走ってきた」
「そんなに俺に会いたかった?」
「うん!」
「……あ、そ」


一也君は呆れたように、けれどもどこか嬉しそうに表情を和らげて、隣に座るよう促してきた。私はそれに応じてベンチへと腰掛ける。
そういえば慌てて飛び出してきたので秋のこの肌寒い空気の中ではやや薄着過ぎる格好で来てしまった。上着を羽織ることも忘れているなんて、私はどれだけ必死だったんだ。


「今日はお疲れ様。怪我してないの?」
「まあ…たぶん?」
「たぶんって…どこか痛むの?」
「大丈夫だって。多少痛くても決勝は絶対に出る」


痛くない、と断言しないところを見ると、まだ身体のどこかが痛むのかもしれない。もしそうだとしたら無理をしてほしくないと思う。けれども一也君の並々ならぬ決意を込めた発言を聞くと、無理しないで、とか、ちゃんと休まなきゃ、とか、そんな甘っちょろい気休めみたいな言葉をかけることはできなくて。私の口から出てきたのは、そっか、という頼りない相槌だけだった。
せめて、頑張ってね、と激励の言葉を言うべきだったのかもしれないけれど、そんなことを言わずとも一也君は頑張るに決まっている。だから、一也君のやりたいようにやれば良い、と。投げやりな気持ちというわけではなく、ただそれだけ思った。その結果が、そっか、という一言だけである。


「頑張って、とか、無理するな、とか、言うかと思った」
「それは思ってるけど…私がそれを言っても言わなくても一也君は頑張るし、勝つためなら無理しちゃうでしょ?」
「俺のこと、結構分かってんだな」
「一也君は昔から変わらないもん」
「…変わっただろ」
「そう?」
「少なくとも、ガキじゃなくなった」


一也君の大きな手が私の頬を滑った。戸惑いながらそちらへ顔を向ければ、そこには、あの頃のような男の子ではなく男性となった一也君が私を見つめる瞳があって、どくどくと心臓が煩くなる。
知ってるよ。一也君があの頃よりも魅力的になったってことぐらい。確かに、見た目は変わった。うんと素敵になった。ガキじゃなくなったという一也君の発言にも頷ける。でも、中身は変わらないでしょう?
視線が交わり続ける時間の分だけ心臓の鼓動が速くなっていく。そうして心臓が爆発してしまうんじゃないかと思い始めた頃、私が目を伏せるのとほぼ同時に頬に添えられていた手が顎へと移動した。これから起こるであろうことを予想した私は、目をギュッと瞑ることだけで精一杯だ。


「なに期待してんの?」
「…え、」
「すげぇ間抜け面」
「誰のせいで…、っ!」


目を開けて、睨むつもりで向けた視線。けれどもそれは、ニヤリと不敵に笑う一也君によって戦意を削がれてしまった。そしてそれだけではなく、私が先ほどまで期待していたことをサラリとやってのけるのだから敵わない。こんなの、また目を瞑るしかないじゃないか。
ほんの数秒。けれどもそれが随分長い時間に感じられた。やがて、くっ付いていた唇が離れて、顔も離れて、最後に一也君の手も離れていく。閉じていた目をゆっくり開けても、そこにもう一也君の瞳はない。


「一也君はずるい」
「やられっぱなしは性に合わないんで」
「やられっぱなしって…私、何もしてないんだけど…」


むしろ私の方がやられっぱなしなんだけど、と首を傾げる私に、自覚ねぇからタチが悪いんだよ…とボヤく一也君。ますます意味が分からない。どうにも噛み合わないけれど、なんだかんだでリラックスした雰囲気の一也君を見ていたらどうでも良くなってしまって。ここに来た時は寒いと思っていたはずなのに、いつの間にかそんなことすら忘れていた。
昔から変わってないって思ったけど、前言撤回。一也君、変わったよ。ずるい男になった。悔しいことに、良い意味で。