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episode 5
信じる愛


野球は好きだ。けれど、それを職業にできる人間ってのはほんの一握り。例えば、高校時代の同級生のキャプテンでキャッチャーだったいけ好かない野郎とか。そいつと中学時代からの仲で高校時代は敵ながら良いピッチングをするなと認めざるを得なかった我儘王子とか。つまり俺は、そういうタイプの人間ではなかったので、今こうして普通の居酒屋で働いているわけだ。
本当は大学に行って野球を続けようかとも思っていた。けれど、勉強は嫌いだし、夢とか、憧れの職業とか、取りたい資格とか、そういうものもないのに高い学費を払ってまで進学するのはどうかと思って。結局俺は、進学ではなく就職するという道を選んだ。ぶっちゃけ、仕事ぐらいすぐに見つかるだろうと思っていた。けれど、現実はそんなに甘くなくて、高卒で何の取柄もない俺を雇ってくれる会社なんてそう簡単には見つからず。どうにか就職したのが飲食チェーン店だった。
仕事はそれなりにきついし、夜遅くまで働くことも多いので生活リズムは狂うし、何度も辞めてやろうかと思ったけれど、なんだかんだで続いているのは、辞めたって次に働くところなんて決まっていないし、もうこのままで良いかと半ば諦めているからかもしれない。最近はバイトの使えねぇ糞餓鬼を相手に慣れない指導なんてさせられて、正直、ストレスは溜まりまくりだ。
今日もへとへとになるまで働いて家に帰ってきたのは良いのだけれど、俺の家の玄関の前に女が蹲っているのが見えた。生憎、俺には帰りを待ってくれているような可愛い彼女はいないので、ただの酔っ払いかストーカーか、とにかく知り合いでないことは確かだと思う。


「オイ、そこ俺んちなんだけど」
「へ?あ、うそ、ごめんなさい、間違えた…!」
「間違えた?」
「私の部屋、隣だったみたいで…ごめんなさい」


どうやらその女は隣の住人だったらしい。ほんのり酒の香りがするところを見るとやはり酔っ払いか。それにしても、すぐそこに自分の部屋があるというのになぜ入らないのだろうか。放っておけばいいものを、なんとなく気になった俺はその理由を尋ねてしまった。


「実は鍵を落としちゃったみたいで…」
「はあ?」
「管理会社さんには連絡したんですけど時間がかかるって言われて…」
「…それで、ずっと待ってんのかよ」
「はい」


近くのファミレスで時間を潰すなり友達の家にお邪魔するなり、何か他に手立てはあっただろうに、一体どれぐらいの時間ここに蹲っていたのだろうか。寒くも暑くもない時期とは言え、女が1人で何やってんだ。興味本位で関わるんじゃなかったと後悔してももう遅くて、俺はどうも面倒臭いことに自分から首を突っ込んでしまう性分なんだなと、溜息を吐かざるを得なかった。
ガチャリと音を立てて部屋のドアを開く。ああ、部屋の中、掃除してねぇな。別にいいか。


「ほら、入れよ」
「え?いやいや、大丈夫です!」
「どうせ時間かかるんだろ。ああ、お前みたいな餓鬼に手は出さねぇからそこは心配すんな」
「なっ…失礼な…!」
「どうすんだよ。入んねぇなら閉めるぞ」
「え、あ、ちょ、じゃあ…ちょっとだけお邪魔します…」


男の部屋に入ることに抵抗があったのだろうか。まあそりゃあ初対面の男だし、警戒するのは分からないでもない。けれども、見たところ俺より年下っぽいし、隣人の餓鬼に手を出すほど俺は見境ないヤツではない。おずおずと頭を下げて俺の部屋に入ってきたその女は、名字名前と名乗った。
なんとも困ったことに、この日を境に、俺はこの隣人に懐かれてしまうことになるのだけれど、この時の俺はそんな未来など知る由もなかったのだ。


  


私には最近、気になっている人がいる。好きな人、というにはまだ早いような、けれどその人を見るとドキドキしたりテンションが上がったりする程度には特別な存在。その人は私の隣人で、年上の社会人さん。出会いはまあ、私の不甲斐ない失態が招いたもので、第一印象は、なんとなくヤンキーっぽくて失礼な人、だった。
けれども、なんだかんだで優しいところとか、ぶっきらぼうだけれど最終的には面倒見がいいところとか、気付いたら私は彼、倉持さんに惹かれていた。隣人という特権を最大限に活用して、それまではあまりしなかった料理を頑張っておかずをお裾分けに行ってみたり、たまたま見かけた時にはいってらっしゃいとかおかえりなさいとか、声をかけてみたり。倉持さんは、またお前か、みたいな顔をするけれど、いつもきちんと応対してくれる。そんなところがやっぱりお人好しで、キュンとする。ああ、私、やっぱり倉持さんのこと好きなのかも。
大学の食堂で、これもまた面倒見のいいサークルの先輩とお昼ご飯中。一方的に私が話すのを、先輩はただにこやかに聞いてくれている。


「倉持さん、飲食店で働いてるんですって。今度一緒に食べに行きません?」
「えぇ…名前ちゃん、積極的だねぇ…」
「だって、どんな風にお仕事してるのかなって気になるじゃないですか」
「でもホールとは限らないでしょ?キッチンの方だったら行っても会えないかもよ?」
「ああ…そっかあ…今度きいておきます」
「はは、うん。ついでに遊びに行ってもいいですかってきいておきなよ」
「嫌ですよ〜絶対ダメって言われますもん」


私は空っぽになった食器を眺めながら、今日はどうやって倉持さんに接触しようかと考えていた。よく考えたら連絡先をきいていなかったし、今日はどうにかして連絡先を教えてもらいたいところだ。こんな風に好きな人のことを考えるのは楽しい。恋っていいな。
そういえば先輩は恋をしていないのだろうか。自分からあまり話すタイプじゃなさそうだけれど、きいてみてもいいかな。最近、ちょっと化粧に気合いが入ってる気がするし。そんな軽い気持ちで話題を振ってみたら、案の定、先輩も誰かに恋をしているようだった。先輩の恋も私の恋も、上手くいくといいな。能天気な私は、ふわふわしたまま再び倉持さんへのアプローチ方法を考えだすのだった。


  


「つまり倉持君は、その年下の学生さんが気になってるってこと?」
「気になってるとは言ってねぇっすよ」
「でも、言い寄られて嫌な気持ちはしてないんでしょ?」
「…餓鬼に手を出すのはダメじゃないっすか」


さて、困ったことになった。というのも、ただの隣人で最初は面倒臭い餓鬼だとしか思っていなかった女が、俺の中で違う存在になりつつあるからだ。まあ餓鬼と言ってもそんなに年が離れているわけではない。ただ、学生と社会人ってのはなんとなく隔たりがあるような気がして、手を出すのは憚られるのだ。
アイツは非常に人懐こくてよく笑う。俺みたいな柄が悪そうなヤツにも平気で挨拶してくるし、わざわざ夕飯のおかずをお裾分けしに来てくれることもある。俺だけにそうなのか、誰に対してもそうなのか。俺にはまだ判断できない。ただなんとなくではあるけれど、俺は好かれている。ような気がする。まあ、好かれているというより、犬や猫といった類の動物に懐かれているような感覚ではあるけれど。


「別にいいじゃない。年齢なんて。私の彼氏も年下だし」
「ああ…でもあれは別枠じゃないっすか」
「まあ…そうかもしれないけど」
「あん時、相当悩んでましたよね」
「その節はお世話になりました」
「俺は別に何も」
「倉持君もさ、ごちゃごちゃ考えなくて良いんじゃない?」
「でもアイツが俺のことそういう風に見てるかは分かんないんで」
「信じてみなよ。女の子がそれだけアプローチしてきてるんだからさ」


職場の上司。女性だけれどすごくやり手。仕事以外のプライベートも充実していそうなその人は、綺麗な微笑みを残してホールの方へと消えて行った。信じてみろって言われてもなあ…自分の気持ちも定まっていないのにどうしろと言うのか。残りわずかとなった勤務時間を時計で確認した俺は、今日アイツ来るかな、なんて考えてしまっていた。つまりは、そういうことなのだろう。認めたくはないけれど。


  


バタン、と。隣の部屋の扉が閉まる音がした。つまり、倉持さんが帰ってきたということだ。私はタッパーに詰めたハンバーグを握りしめ、勢いよく外に飛び出す。帰ってきてすぐに来られたら迷惑かな、とか、飲食店で働いているならまかないを食べて帰ってきちゃったかな、とか、色々考えるのは止めにした。どうせ考えたって、私が起こす行動はひとつだけだから。
ピンポーンと、聞きなれたチャイムの音を響かせて隣人の登場を待つ。暫くすると扉が開き、上下スウェット姿の倉持さんが現れた。いつもは、またか…という顔をするのに、今日は特にそんな様子はない。


「今日はハンバーグを作ってみたんですけど、いりますか?」
「いらねぇって言っても押し付けるくせに」
「はは、バレました?」
「まあいいわ、もらっとく」
「はい!じゃあまたタッパーは取りに…」
「もう飯食った?」
「へ?ああ…はい…食べましたけど…」
「デザート。食う?」


今日は何から何までいつもと違う。おかずを渡して、タッパーはまた取りに来ますねって言って、それで終わり。それがいつものパターン。けれども今日は、なんと倉持さんの方からお誘いだなんて。一体どうしたのだろう。とは言え、私にとっては願ったり叶ったりの大チャンスだ。このお誘いに乗らないわけにはいかない。


「食べます!」
「じゃあ入れば?」
「お邪魔しまーす!」
「少しは遠慮しろよ」


そんなことを言いつつ、倉持さんの表情は柔らかい。またキュンとした。
倉持さんの部屋は適度に汚い。いや、これは悪口ではなくて、男の人の部屋って感じ満載だなって意味で。ゲームが置いてあったり、カップラーメンの容器が捨ててあったり、最初にお邪魔した時はそんなにじっくり見ていなかったので気付かなかったけれど、部屋の至る所から、倉持さんってやっぱり男の人なんだなと思わせる雰囲気が漂っていた。
ご飯と私があげたハンバーグを食べる倉持さんの前で、私はいただいたプリンを食べる。食事中だから当たり前だけれど会話はなくて、今更のように2人きりであることに緊張してしまう。ああ、そうだ。今日こそは連絡先をきこう。今ならきけるような気がする。私はプリンを全てたいらげるとスマホを取り出して、食事中の倉持さんに声をかけた。


「倉持さん、あの、連絡先教えてもらえませんか?」
「…なんで?」
「なんでって…それは…知りたいから?」
「だから、なんで?」
「えーっと…うーんと…」
「俺の連絡先が知りたい理由って何?」


そんなド直球できかれても。あなたのことが好きだからです、なんて言えないし。上手い答えが見つからない私に、倉持さんは答えらんねぇの?と追い打ちをかける。どうしよう、困った。今日のところは連絡先を教えてもらうのを諦めて退散しようか。後日、何か上手な理由を考えてまた挑戦した方が身のためかもしれない。
いつの間にかハンバーグを完食してくれていた倉持さんは、コップに入ったお茶を一気に飲み干すと私に視線を向けてきた。そういえば今までまともに倉持さんと目を合わせたことはなくて、心臓が飛び跳ねる。


「俺のこと好きだから、だったりして」
「えっ!」
「図星かよ」
「……だったら、何だって言うんですか…」


私は嘘を吐くのが下手らしい。友達にも散々言われてきた。だから、倉持さんの前で取り繕える自信は勿論なくて、俯いて図星だと認めるしかない。
1番最初に家に招かれた時、倉持さんは私に言った。お前みたいな餓鬼には手を出さない、と。その言葉を忘れたわけではない。だから、心のどこかで、どれだけ好きになっても、私が頑張っても、倉持さんは私を女性として意識してくれないような気がしていた。けれども、いつかは、もしかしたら気紛れに振り向いてくれる瞬間があるんじゃないかって。そんな一瞬があることを信じて突っ走ってきた。
けれども、そんな頑張りも無駄に終わるかもしれない。迷惑だ、とか。もう付き纏うな、とか。そんなことを言われたらどうしよう。暫く立ち直れないな。俯いたままの私を沈黙だけが包んで、いよいよ居た堪れなくなってきた頃。ヒャハッと独特の笑い方が聞こえてきて、思わず顔を上げた。なんで倉持さん、そんなに楽しそうなの?


「お前、男見る目ねぇな」
「そんなことないと思いますけど」
「俺なんか好きになっても良いことねぇぞ」
「私はそうは思いません」
「まあ俺も女見る目ねぇから人のこと言えねぇんだけど」


それってどういう意味?首を傾げる私に、倉持さんは自分のスマホを取り出して見せる。連絡先交換するんだろ、って。え、いや、まあそれは嬉しいけど。今、どういう状況?私のスマホを取って勝手に連絡先の交換を済ませてしまったらしい倉持さんに、私はまだ状況把握が追い付いていない。


「これでいつでも連絡できるな」
「そう、ですけど…倉持さんは良いんですか?」
「名前からの連絡なら待ってやってもいいぜ。仕方ねぇから」
「今、名前、え、」
「ついでに彼氏になってやってもいいけど。どうする?」


いやいやいやいや、ちょっと待って。急展開すぎる。彼氏?倉持さんが?私の?なってやってもいいって何?倉持さんは私のことどう思ってるの?なんでそんなこと言うの?気紛れ?遊ばれてる?嬉しさと不安が渦を巻く中、私が混乱していることに気付いたらしい倉持さんは再びあの独特の笑いを零す。
ちなみに俺は好きでもないやつに連絡先教えたりしねぇけど。
何それ。もっと分かりやすく言ってくれないと馬鹿な私には分からないよ、倉持さん。


「餓鬼に手は出さないんじゃなかったんですか…?」
「そんなこと言うなら手ぇ出してやんねぇぞ」
「え!やだ!」
「じゃあ大人しく手ぇ出されとけ」


急に近付いてきた倉持さんの顔。掴まれた顎。視界が暗くなって、そして。
一瞬すぎて何が起こったのか分からなかったけれど、舌なめずりをして満足そうに笑う倉持さんを見て思った。信じて頑張って良かったなって。明日先輩に、彼氏ができましたって、真っ先に報告しなくちゃ。

1周年記念倉持夢でした。倉持は恋愛をする時にちゃんと色々考えて悩んだりするタイプだと思うんですけど、1度決めたことは真っ直ぐ貫く男気も兼ね備えている気がするんですよね…。そうであってほしい。面倒見良い兄貴分は彼女の面倒見も良いかなと思ってこんなヒロインになりました笑。長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。