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- ナノ -

episode 1
未来で待ってて


早く大人になりたい。こんなことを思っている時点で、俺はきっと子どもだ。既に成人はしている。けれども大学3年生というとまだ学生なわけで、つまり、社会人である名前さんには到底及ばない。
名前さんは元々、同じ大学の先輩だった。俺が1年生の時の3年生。年齢的には2つしか変わらない。けれど、大学生から社会人になった名前さんは急に大人びて見えた。俺が知らない広い世界を知っていて、知らないやつらと知らない話をしている。そんな当たり前のことに、何度嫉妬しただろう。
付き合ってほしいと言ったのは俺からだった。卒業間際、悔いが残らぬようにとダメ元で告白したら、はにかみながら了承してくれた。付き合い始めてからは、1人暮らしであるお互いの家を行ったり来たり。時々名前さんの妹が県外から遊びに来るから、彼氏との愚痴や惚気話を聞いてやったりもしていた。
誰かと付き合うこと自体は、初めてじゃない。名前さんと出会う前に付き合っていた子は何人もいたし、その子達のこともそれなりに好きだったと思う。けれども決まっていつも同じことを言われて終わりを迎えるのだ。自分ばっかり好きみたいで辛い、と。俺は俺なりに、その子のことを大切にしていたつもりだし、好きだから付き合っていた。けれど、相手はそうは思わなかったのだろう。
それが1度ならず2度3度と続けば、さすがの俺だって自分に何かしらの問題があるのだと思うようになった。けれども、何をどう改善すればそんな事態を免れることができるのか。答えを見出せぬまま付き合い出したのが名前さん。付き合い始めてまだ1年に満たない程度ではあるけれど、今のところ、俺達の関係は順調だ。…と、思っていた。名前さんに、別れを告げられるまでは。


「鉄朗君のこと、嫌いになったわけじゃないの」
「なのに別れんの?」
「…ごめん」
「理由は?」
「……ごめん、なさい」


謝るばかりで俺の納得する返事は何ひとつ得られないまま、俺達は終わった。しかもその数日後、今まで街中で名前さんに遭遇したことなんて1度もなかったのに、同僚か、もしくは先輩らしき男の人と楽しそうに話をしながら歩いている姿を目撃してしまったのだ。嫌いになったわけじゃない。けど、好きではなくなった。つまりはそういうことだったのだろうと、勝手に結論づけることしかできない。
名前さんは優しい。俺ができるだけ傷付かないように別れを告げる方法を考えたのだろう。他に好きな人ができた、なんて言ったら、俺が傷付くとでも思ったのだろうか。何も知らされなかった方がよっぽど傷付くんですけど。所詮、俺はまだ大学生の餓鬼で。スーツに身を包んで仕事をこなすオトナの男には太刀打ちできなかったのだ。


  


「えっ!お姉ちゃんと別れたの?」
「聞いてんのかと思った」
「聞いてたら連絡してないよ…気まずいじゃん」


名前さんの妹は、彼氏と喧嘩をして腹が立ったからという理由で東京に遊びに来たらしい。なんとも安直な考えだ。姉妹なのに名前さんとは全然性格が違う。妹ちゃんが東京でお気に入りだというカフェに呼び出された俺は、散々愚痴を聞かされた後で傷を抉られた。
仲の良い姉妹なのに、恋愛関係の話はしないのだろうか。名前さんの方は自分からすすんで話しそうにないよなあ、と、1ヶ月以上前に別れた時のことを思い出す。明らかに自滅だ。


「なんで別れちゃったの?」
「それはこっちが知りたいですぅ」
「え?お姉ちゃんの方が別れようって言ったの?」
「はいそうですけどなにか?」
「……意外だなと思って」


驚きを露わにしたと思ったら随分と歯切れの悪い切り返しをされた。甘そうなココアを啜る妹ちゃんは、ふーん、へーぇ、などと、いまだに首を傾げている。なんだ、その反応は。


「俺のこと、名前さんから何かきいてた?」
「ううん。何も」
「…あっそ」
「でも、珍しく幸せオーラ全開って感じしてたのになあ」
「俺のことでってわけじゃなかったんだろ」
「そうかあ…そうなのかなあ…」


どれだけ妹ちゃんに引っかかることがあろうとも、別れてしまった今となってはどうしようもない。全て終わってしまったのだ。俺はコーヒーを飲み干すと、そろそろ大学に行く時間だと言って席を立った。妹ちゃんは荷物を持って名前さんの家に泊まりに行くらしい。ああ、そういえば俺が置きっぱなしにしていた物はどうなっただろう。もうとっくに処分されているか、と思うと、またじくじくと胸が痛んだ。俺はなかなか名前さんにご執心だったらしい。
店を出て別れる間際、てっちゃん、と。1つとは言え年上の俺を馴れ馴れしく呼んできた妹ちゃん。まあ別に良いけど。もう慣れましたけど。


「お姉ちゃんのこと、ちゃんと好きだった?」
「…まぁね」
「今も?」
「……そんなことより、早く彼氏と仲直りしねぇと逃げられるぞー。イケメンなんだろ?」
「うるさいなあ…大丈夫だもん」


妹ちゃんは簡単にそそのかされてくれたので、俺への追及は終わった。…つーか、好きだよ。どうしようもなく。そう言ったら、何かが変わったというのだろうか。


  


「最近元気ないね〜黒尾ちゃん」
「…オイカーくんはご機嫌のようで」
「あ?分かっちゃった?なんでか知りたい?教えてあげようか?」
「シリターイ。オシエテー」
「棒読みひどいね!」


大学構内の体育館。俺と同じバレー部のオイカーくんこと及川徹は、俺が名前さんと別れたことを知っていてこの絡みをしてくる。非常にウザい。しかも及川がご機嫌な理由は、遠距離恋愛中の年下彼女と上手くいっているからだろうから、余計にウザさが増す。ポンポンと綺麗なトス上げの練習をしながら、黒尾ちゃんはさあ、と切り出した及川の話は、適当に受け流すことにしよう。


「ちゃんと名前さんに好きって言ったの?」
「はあ?そんなの…」


言ったに決まってる。そう言おうとして、口を噤んだ。俺、好きって言ったことあったっけ?冷静に思い返してみれば、自分からそんな風に言葉にしたことはなかったかもしれない。いや、だからと言って、それが今更どうしたというのだ。それに気付いたからと言って、どうしろと?
靴紐を結ぶ手が止まっている俺をチラリと見遣った及川は、トス練習を止めて俺の前にしゃがみ込むと、びしっと指をさしてきた。人を指さすなと、小さい頃、親に教わらなかったのだろうか。


「女の子は好きって言ってもらわないと不安になる生き物なんだよ」
「へぇ」
「どうせもうカッコ悪い状況なんだから、とことんみっともないことしてみれば?」
「…オイカーセンパイ、カッコイー」
「だから棒読みやめなよ!こっちは真面目に言ってあげてんのに!」
「ドウモアリガトウゴザイマース」


やや憤慨気味の及川を置いて、コートに入る。普段ヘラヘラしているくせに、時々急に核心を突くことを言ってくる及川はやっぱりウザい。どうせもうカッコ悪い、か。確かに及川の言う通りだ。
別れを告げられて、その理由も聞かされず、けれど追及しなかったのは俺だ。縋り付くのはカッコ悪い。無意識のうちに、そんな心理が働いたんだと思う。今更気付く方がよっぽどカッコ悪いというのに。癪ではあるけれど、及川のありがたいご教授を実践してみるのも悪くないかもしれない。開き直った俺は、部活終わり、久々に名前さんへメッセージを送った。
合鍵返すの忘れてたから、家で待ってていい?その時返すから。
こんな言い方をしたら名前さんが断れないことは分かっていた。俺はズルい。でもまあこの際だからみっともなく悪あがきしてやろうと決めたのだ。手段は選んでいられない。たとえこの悪あがきが遅すぎるものだったとしても、何もしないよりはマシ。そんなわけで、俺は一縷の望みに全てを賭けることにした。


  


鉄朗君から連絡が来たのは、別れてからちょうど2ヶ月が経過した頃。一方的に別れを告げたにもかかわらず、鉄朗君は私を責めることもなければ、嫌だと駄々をこねることもなくて、ああ、やっぱりその程度だったんだと、1人で随分ヘコんだ。鉄朗君に言った通り、私は鉄朗君のことが嫌いになったわけではない。もっと言うなら、本当に別れたいわけでもなかった。
鉄朗君は男女ともに友達が多く、その人柄のおかげなんだろうなあと、一種の眩しさを覚えながら遠目に眺めているだけの存在だった。だから卒業式の日に告白された時には、それはそれは驚いた。どうして私なんかを?と思った。けれど、夢じゃないなら。そう思って頷いたら、鉄朗君も嬉しそうに笑ってくれて、幸せってこういうことなのかもしれないと感じたのを、昨日のことのように覚えている。
付き合い始めて気付いたこと。鉄朗君は、とても淡泊な性格だということ。私だって別に、ベタベタした関係を望んでいたわけではない。大切にしてくれていることは感じるし、お互いの家を行き来したりして物理的な距離は近かったと思う。けれど、付き合っているはずなのに、鉄朗君から付き合おうと言われて付き合い始めたはずなのに、私はいつも不安だった。
だから、私が別れようと言ったら鉄朗君はどんな反応をするのか、試してみようと思ったのだ。その結果がこれである。嘘だよ、試すようなことしてごめんなさい。そう言えば良いだけだった。いや、私の行為によって不愉快な思いをした鉄朗君に愛想を尽かされてフラれる可能性は多いにあったかもしれないけれど、それならばいっそ諦めもつく。こんな中途半端な気持ちのままで終わることはなかっただろう。
それもこれも、全て自分が招いたことだ。年上のお姉さんだから、常に余裕を持っていなければならない。いつしかそんな風に考えることが当たり前になっていて、甘え方も忘れてしまっていた。もしかしたら鉄朗君は、そんな私に女としての魅力を感じなくなっていたのかもしれない。考えれば考えるほど益々ヘコむから、もう過去は振り返らないようにしよう。そう思って漸く切り替えることができそうだったのに。


「おかえり」
「…ただいま」
「飯できてるけど食べる?」
「うん…ありがとう」


なぜ別れたはずの鉄朗君が私の家で堂々と待っているのかというと、合鍵を渡しっぱなしだったからだ。それを返すため、という名目で久し振りに会うことになったのだけれど、まさか夜ご飯を準備して待っていてくれるとは思わなかった。こういう優しさに、いちいち絆される。
付き合っていた頃と何も変わらない様子で大学のことを話す鉄朗君の目の前で作ってくれた夜ご飯を食べる私は、一体どう見えているのだろう。うまく会話ができているかもよく分からない。


「で、本題なんだけど」
「…うん」
「これ、鍵」
「わざわざごめ、」


鍵を受け取ろうとした手が空を切って、不自然なところで言葉が途切れる。反射的に鉄朗君の顔を見ると、ゆるりと笑われた。その表情は、まるで私のことがまだ好きだと訴えているみたいで、胸が張り裂けそうになる。そんなはずないのに。


「ごめん、最初から返す気なかった」
「え」
「俺、諦め悪いらしくて。名前さんのこと、やっぱ好きだわ」


鉄朗君はいつも、唐突に夢みたいなことを言う。卒業式の時も、今も。何でもないような顔をして、私の心をかき乱す。ここで、私も、と素直に言っても良いのだろうか。本心でないとはいえ、私から別れを切り出しておいて、私も好き、なんて。矛盾している。


「俺は名前さんから見れば餓鬼だと思うし、職場の人みたいにカッコいいやつにはなれねぇけどさ」
「そんなこと、」
「今日みたいに飯作って待っとくぐらいならできますよ?」
「…鉄朗君、ごめん、ごめんね…っ」


無駄に背伸びして強がっていた自分が、心底浅はかに思えた。何を試す必要があったんだろう。何を不安に思う必要があったんだろう。こんなに私のことを想ってくれている人が、他にいるわけがない。
何に対しての「ごめん」なのか分からない様子の鉄朗君は、きっとぐちゃぐちゃになっているであろう私の顔を見て苦笑していた。滲む世界の向こうで、鉄朗君は言う。俺の方こそごめんな、と。その一言で、更に世界が歪んでいく。
ねぇ鉄朗君。私、全然お姉さんじゃないの。年上なんだけど、頼りないし優柔不断だしずぼらだし余裕もないし、無駄に変なプライドだけ持ってるようなダメな女なの。鉄朗君の気持ちを試しちゃうような、最低なやつなの。それでもまだ、好きだって言ってくれる?
恐る恐る全ての事実を伝えると、鉄朗君は暫く押し黙って。はあああああ、と大きく息を吐いて首を垂れた。さすがの鉄朗君も呆れて何も言えないのかもしれない。と、落胆する間もなく、鉄朗君がガタリと席を立つ。戸惑う私に歩み寄ってきた鉄朗君は、そのまま私を椅子から立たせて、ぎゅうぎゅうと抱き締めてきた。少し、苦しい。けど、温かくて安心する。


「不安だったら言って」
「…ごめん」
「1人で考え込むのも禁止」
「うん」
「あと、もう少し甘えて」
「ふふ…分かった」
「名前さん」
「うん」
「好き」
「…私も」


年上だからとか年下だからとか、男だからとか女だからとか、私達は難しいことを考えてばかりで。単純に、好きだって気持ちを伝えていなかったんだね。全身で与えられる愛しいという感情に、胸がいっぱいになる。私、やっぱり鉄朗君と一緒にいる時が1番幸せだなあ。そんな幸せを噛み締めるみたいに、私はぎゅっと鉄朗君に抱き着いた。


  


「ヨリ戻したの?」
「おかげさまで」
「良かったね〜てっちゃん」
「どうも」
「お姉ちゃんのこと、よろしく」
「はいはいお任せください」


妹ちゃんとメッセージでそんなやり取りをしたのは数日前のこと。そして今日はうるさいバレー部のやつに絡まれたので仕方なく報告することにした。


「及川さんにもっと感謝しなきゃ!」
「ソウデスネ。アリガトウゴザイマース」
「ねぇ、黒尾ちゃんは俺に対して棒読みでしか発言できない病気なの?」
「黒尾君、今日も彼女の家に行くんでぇ〜遠距離恋愛中のオイカーくんには申し訳ないんですけどぉ〜先に帰っても良いですかぁ〜?」
「ほんっとムカツク!」


末永くお幸せに!と背中に浴びせられた言葉に、及川の人の好さを感じる。あれ?そういえば及川の彼女って妹ちゃんと同じ県に住んでたっけ?なんて思い出したのは、つい最近、妹ちゃんとやり取りをしたからだろう。
今日の飯、どうすっかな〜などと考えながら名前さんの家を目指す俺は、まだ大学生の餓鬼で帰りを待っていることしかできないけれど。いつかこの先の未来で名前さんから「おかえり」と言ってもらえるように、惜しみない愛を送り続けておこう。


1周年記念黒尾夢でした。年上彼女はあまり書いたことがなかったのでたまにはこういうのもありかな〜と思って書いてみたのですが、思っていた以上に新鮮で満足です。個人的には及川と同じ大学という設定での絡みが楽しかったな〜!と思っています。長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。