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#09




「名前ちゃん!」
「なんですか。そんな大きな声で…今日締め切りの書類ならもう提出しましたけど…」
「そんなんどうでもええねん!」


どうでも良くはないだろう、と思いつつ、血相を変えてやって来た侑さんに、私は顔を顰めた。オフィス内ではできるだけ静かに、と何度言えば分かるのか。もはや聞き入れる気がない人に注意を促したところで意味はないと、私の方が諦めなければならないのかもしれない。


「名前ちゃん、彼氏できたん!?」
「はい?」
「他部署の奴に告白されたんやろ?」
「ああ…もうご存知なんですか…」


確かに、私は昨日の仕事終わりに他部署の人に告白された。けれども、まさか昨日の今日で知られることになるとは思わなかった。侑さんの情報網は恐ろしい。
事実を隠してもバレるのは時間の問題だし、そもそも嘘を吐いたり隠したりする必要もないので、包み隠さず興味なさそうに相槌を打てば、侑さんは、彼氏できたん!?と、先ほどと全く同じ質問を再び投げかけてきた。


「できてませんよ」
「ちゃんと断ったんやな?」
「…まあ」
「あー…良かった…ほんま、びっくりさせんといてや…」


勝手に噂をききつけて、勝手に勘違い?早とちり?しておいて、そんな風に責められるのは納得できない。大体、私が誰に告白されようが、そしてその告白を受けようが断ろうが、侑さんには関係ないではないか。私と侑さんは、ただの同僚。それ以上でも以下でもない。…はずだ。
この3ヶ月の間に起こった出来事、特にここ最近のことが頭を過ぎり、私の中で宮侑という人物の捉え方が変わったことは認めざるを得ない。けれど、どうしても、私はまだ彼を完全に受け入れることができなかった。それは単に私が、彼の浮ついた言動を信じる勇気を持ち合わせていないだけなのだけれど。
どうやら話は終わったようなので、隣の部署にまとめた書類を渡しに行こうと席を立つ。すると、どこ行くん?と。私の腕を掴んで引き留めてきた侑さん。それだけならまだ良かったのだけれど、溜息を吐いて書類を届けに行くだけだと伝えれば、俺も行く、などと言い始め、これでは仕事にならないと頭を抱えざるを得なかった。


「書類を届けに行くだけなのに付いてくる必要ないでしょう?」
「俺がおらんところでまた変な男に捕まったら困るやん」
「困るって…どうして?」
「名前ちゃんは俺のやもん」


いやいや。私、侑さんのものになった覚えないんですけど。なぜ至極当たり前のようにそんなことが言えるのか。毎度のことではあるけれどその自信がどこからくるのか、不思議でたまらない。
さっさと行こ。抵抗する間もなく私の手を引いて隣の部署まで行く侑さんに、私はただ連れられて行くしかなかった。とは言え、さすがに担当の人のデスクまで付いてくることはなかったので、さっさと用事を済ませて帰ろうと担当の人の元に向かう。


「この書類、そちらの部署でも必要だとうかがいまして…」
「ああ!ありがとうございます。助かります」
「それでは…」
「あ、名字さん」
「はい?」
「これ、宜しければそちらの部署の皆さんでどうぞ」
「え。良いんですか?」
「はい。お裾分けです」
「じゃあ…いただきます。ありがとうございます」


もらったのは袋詰めのチョコレート。カラフルな包みと可愛らしい装飾はプレゼント用にも見えたけれど、お裾分けと言うからには特別な意味などないのだろう。1人で食べきるには多そうなので、処理に困っていただけかもしれない。
チョコレートを手に廊下まで戻ってきたところで、待っていた侑さんと目が合った。続いて私の手元に視線を落として、あからさまに顔を顰める。


「それ、どしたん?」
「チョコレートです。お裾分けだそうで」
「…名前ちゃん、そのチョコレート知らんの?」
「有名なんですか?」
「最近発売された雑誌で、女の子にプレゼントして喜ばれるチョコレートナンバーワンに選ばれとったけど。ほんまに知らんかったん?」
「へぇ…そうなんですか」


流行りにはそこまで敏感な方じゃないので全く知らなかったけれど、まさかそんなに有名な商品だったとは。見るからに高そうだなと思ってはいたけれど、改めて、私がもらってしまって良かったのだろうかと疑問を抱く。
返してきましょうか、と軽いノリで相談すると、侑さんは眉間に寄せていた皺をさらに深くさせた。何かおかしなことを言っただろうか。


「たぶんそれ、名前ちゃんにあげるために用意しとったんちゃう?」
「え?なんで…」
「あげる理由はあるやん。色々」
「色々?」
「ほら見てみ。油断も隙もあらへんわ」


私の手元からチョコレートの袋をひょいっと奪い取った侑さんは、スタスタと歩き出す。別にそのチョコレートに固執しているわけではないけれど、私がもらったものなのに我が物顔で持って行くのはいかがなものか。ていうか、ほら見てみ、ってどういう意味だろう。
侑さんの言動の一部始終がさっぱり理解できない私は、首を傾げながら侑さんの背中を追いかけることしかできなかった。結局チョコレートは勝手に部署の皆に配られてしまったので私の手元に返ってきたのは一粒だけ。元々、皆に配るつもりだったから良いんだけど。でも。取り上げられた意味は、結局分からずじまいだった。


◇ ◇ ◇



そんなことがあってから数日が経過したある日。仕事終わり、例のチョコレートをくれた他部署の人に、少し話があるので時間をくれないか、とお願いされてしまった。きっと仕事のことだろうと思い、何の警戒心もなく指定された資料室に行った、ら。
私はなぜかその呼び出してきた張本人に壁際まで追い詰められ逃げられないという、危機的状況に陥ってしまった。こんな展開、予想しろという方が無理な話だ。


「あ、の、」
「名字さん、俺があげたチョコレート食べてくれた?」
「え?ああ…はい…」
「あのいけ好かない金髪男に取り上げられてたよね?」


いけ好かない金髪男というのは、間違いなく侑さんのことだろう。まさか取り上げられたところまで見ていたとは知らなかった。けれども、皆さんでどうぞ、と言ってくれたのだから、そんなに目くじらを立てることもないだろうに。
後退りすることができない私にどんどん詰め寄ってくるその人は、ただ怖かった。どうしよう。


「俺はずっと名字さんのことを見てた。あの男が現れるまで、名字さんに1番近い存在は俺だったのに…!」
「ちょ、やだ…っ、」
「何しとんの?」


この時ばかりは、その聞き慣れた声に感謝した。どうしてここに?とか、どうしてこのタイミングで?とか、色々な疑問はあったけれど、侑さんはそういう人なのだ。何の前触れもなく私の前に現れて、何の理由もなく私を守ってくれる。そういう人。
他部署の人から私を遠ざけるように間に立った侑さんは、再び、何しとんの?と質問を投げかけた。


「急に出てきて邪魔するな」
「邪魔なんはそっちやろ。名前ちゃん怖がっとるやん。分からへんの?」
「正義のヒーローのつもりか」
「そんな大それたもんちゃうけど、」


そこで言葉を切った侑さんがくるりと私の方を向く。堪忍な、と。私にしか聞こえないほどの小さな声で囁いてきた直後、身体をぎゅっと抱き締められて、心臓がキュッと締め付けられたような気がした。
抵抗などできなかった。抵抗する気も起こらなかった。つまり私は無意識のうちに、侑さんを受け入れていた、ということ。


「俺ら、こういう関係やから」


こういう、とは。どういう関係なのだろう。分からない。分からないけれど、侑さんの言葉を否定することはできなかった。だって、助けてもらっているわけだし。そう、これは演技だ。だから、何もドキドキする必要はない。
視界が侑さんによって遮られているせいで真っ暗なので、足音と共にバタンと扉が閉まる音がして、やっと彼が出て行ったことが分かった。と、同時に、この状態でいる必要がなくなったことに気付いて、咄嗟に侑さんの胸を押し退ける。


「何もされてへん?」
「はい…ありがとう、ございました…」
「俺がおらなやっぱり危ないやん」
「…助けていただいてこんなこと言うのもなんですけど、他に助け方なかったんですか」
「んー?アレが1番手っ取り早いし。堪忍な、て先に言うたやろ?」


違う、そんな答えがききたいんじゃない。私が求めているのは。私がその口からききたいのは。


「それに、俺がそうしたかった」
「…なんで、」
「名前ちゃん」


私の名前を優しく呼ぶ侑さんの声音に顔を上げた。そうして目が合った瞬間、私は全てを見透かされていることを悟る。この人は、侑さんは、私の気持ちを既に知っている。もうきっと、誤魔化せない。


「俺に言うてほしいだけなんちゃう?」
「…っ、」
「好きや、て」


ほら、ね。細められた双眸に、私は囚われる。
薄っぺらい言葉なんて信じない。こんなチャラチャラした、誰にでも浮ついたことを言いそうな人のすることに、動揺なんてしない。そうやって頑なに拒んできたはずなのに、少しずつ少しずつ私の壁を溶かしていった侑さん。


「…だったら、なんだっていうんですか」


なかばヤケクソになりながらぶつけた言葉でさえも柔らかく受け止めた侑さんは、再び私を抱き締めた。そんなんなんぼでも言うたるわ、という、嬉しそうな呟きを落としながら。


めざるを得ませんでした