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ビター・ビター・アンド?


「もういい!一也には何もあげないんだから!」
「別に最初から欲しいって言ってないし」
「あっそ!」


私は終始腹が立つことしか言わなかった眼鏡男にくるりと背中を向けると教室を後にした。
なんなんだあの男。ちょっとイケメンでちょっと野球ができるからって調子に乗っちゃって!今回は絶対に私の方から歩み寄ってあげたりなんてしないんだから!
自分の教室に戻った私は次の授業の準備をしながら胸に誓った。今年のバレンタインデーはどんなことがあっても御幸一也にチョコレートをあげない、と。

私と一也は一応恋人という関係だ。ダメ元で告白したらまさかのOKをもらえて、付き合い始めたのがちょうど1年前のバレンタインデーのこと。だから私にとってバレンタインデーには並々ならぬ思い入れがある。
しかし一也の方はというと、私達が付き合い始めることになった日なんて覚えていないのだろう。もしくは、覚えていたとしてもそれほど特別な日だとは認識していない、といったところだろうか。
兎に角、一也にとってバレンタインデーはどうでもいいイベントのひとつなのである。だからあんなことが言えるのだ。思い出すだけで沸々と怒りが湧いてくる。


「一也はどんなチョコが好き?」
「そもそもチョコ自体そんなに好きじゃねーんだけど」
「じゃあ好きなお菓子は?」
「特にない」
「ねえ、バレンタインデーって知ってる?」
「あー…そういうことか。別に何も用意しなくて良いから」
「え」
「下手なもん食うと栄養バランス崩れるし」


さらりと言われた言葉に、私がどれだけショックを受けたことか。私が用意しようとしていたものは一也にとって「下手なもん」として扱われるのだと思ったら、悲しいより先に怒りが込み上げてきた。その結果、冒頭のやり取りになったのである。
バレンタインデーに女性が男性のためにチョコレートを用意するのは、自分の気持ちを伝えたいと思っているからだ。それは逆チョコでも然りだと思う。
義理チョコであればそんなに強いメッセージが込められているわけではないかもしれないけれど、付き合っている男女ならそれなりに想いを込めているものだ。それを一也は「下手なもん」と言ってのけた。女心がわからないにもほどがある。


「ほんっと腹立つ!」
「また御幸君と喧嘩でもしたの?」
「私は売られた喧嘩を買っただけ!」
「よく喧嘩するカップルだねぇ」
「一也のせいだもん」
「ふーん……」


同じクラスで仲良しのミホが、憤慨している私を見かねて呆れた様子で声をかけてきた。私はミホの発言に対し、ありのままの率直な意見を述べる。すると、またか、と言わんばかりの反応をされた。心外である。


「御幸君にムカついてる?」
「当たり前でしょ!」
「前もそんなこと言って喧嘩してたよね」
「だってムカつくもんはムカつく!」
「でも別れようとは思わないんでしょ?」
「……うん」


ミホの言葉に、沸騰しそうなほど熱くなっていた脳が冷めていくのを感じた。
確かに私と一也は事あるごとに喧嘩をする。けれど、別れたいと思ったことは1度もなかった。一也の方はもしかしたらうんざりしていて別れたいと思うことがあったかもしれないけれど、今のところ「別れよう」と言われたことはないから、そこまで取り返しがつかない状況に陥ったことはないのだと思いたい。
私からの告白で付き合い始めた。そして一也の方から好きだと言われたことはない。だからいつも不安が付き纏っている。一也は私のことが好きで付き合っているわけじゃないのかもしれない、と。
そんな不安を抱いているからこそ、一也のこざっぱりしすぎている反応の数々に物足りなさと焦りを感じてしまう。自分ばかりが必死になっているのが虚しくて、もっと違う反応の仕方はなかったのかと不満を抱いてしまう。その行く末が喧嘩のオンパレードである。
好きだからこそ上手くいかない。我ながら、なんとも可愛くない女だと思う。

御幸一也にチョコレートはあげない。そう決めたばかりだというのに、冷静になってみると、その決断は簡単に揺らぎ始める。
チョコレートはあげないとしても、別の何かを準備したらどうだろうか。部活で使えるもの…スポーツ飲料の粉末セットとか。バレンタインデーには似つかわしくないけれど、実用性のあるものの方が一也は喜んでくれそうな気がする。
悩んだ結果、私はなんだかんだ言いつつ一也のためにプレゼントを用意していた。いつも私の方から歩み寄るのが当然になっているのは癪だけれど、ここは私が大人になろう。
そんな思いで迎えたバレンタインデー当日の放課後。私は一也が部活に行く前に用意したものを渡して仲直りしようと意気込んでいた。けれど、その意気はあっと言う間に消沈させられる。


「御幸君、これあげる」
「俺に?」
「うん。美味しいかどうか分からないけど」
「ま、とりあえずもらっとくわ」


私にはチョコは好きじゃないとか下手なものを食べると栄養バランスが崩れるとか言っていたくせに、クラスメイトの可愛い女の子からのチョコレートは普通に受け取るのか。彼女である私からのものは受け取ってくれないくせに。
いつもは真っ先に襲いくる怒りが、今日はやってこなかった。それより何より悲しくて、悔しくて、私は一体一也の何なんだという虚無感で頭が真っ白になる。
一也のクラスの教室の出入り口で足を止めた私の横を、何人かが不思議そうな顔で通り過ぎていった。そして遂に、一也の視線が私を捉える。私は逃げたい衝動に駆られているにもかかわらず、その場に根が生えたように動けない。
まばらに残っていた生徒達が1人、また1人と教室から出て行くのを見送る間、一也が近付いてくる。何を言われるのだろう。いや、私に何かを言ってくる前に、なぜ女の子からチョコレートを受け取ったのか、先にその理由を説明してほしい。


「何か用?」
「……なにも、」
「用もないのに俺のクラスに来んの?」
「く、倉持に、渡したいものがあって、」
「倉持?」
「そう。今日、バレンタインデーだから」


咄嗟に出てきた倉持の名前。手に持っている一也に渡すはずだったそれは、倉持の手に渡ることになりそうだった。だって、こんな気持ちで一也に渡すことなんてできない。ていうかどうせ受け取ってもらえないし。私、何もあげないって言ったし。
こんな時に限っていつも一也と一緒にいるはずの倉持の姿はなく、どうやら先に部活に行ってしまったようだ。仕方がない。とりあえずこの場所から離れよう。
根が張ったように動かなかった足が漸く動くようになったことを確認し「じゃあ、」とその場を立ち去ろうとした私だったけれど、腕を掴まれたことによってそれは叶わなくなった。私の腕を掴んでいるのは、この場合もちろんと言うべきか一也である。
見上げた先にある視線は鋭く、眼鏡の奥の瞳はギラついているように見えた。怒っている、のだろうか。怒られることなんて何もしてないけど。ていうか怒りたいのはこっちの方だけど。


「何?」
「それ、俺のだろ」
「違うよ」
「本当に倉持にやるつもり?」
「そうだけど」
「俺の彼女なのに?」
「一也は私からじゃなくて他の可愛い女の子からチョコレートもらったでしょ!」


勢い任せに感情をぶち撒けながら掴まれている腕を振り払う。泣きそうだけど泣きたくない。私は必死に唇を噛み締めた。


「嫉妬?」
「違う」
「さっきから違う違うって…違わねーじゃん。絶対」
「ちが、」
「俺は嫉妬してる」
「な…、こんな時に冗談やめてよ…一也が嫉妬って、そんな、まさか、」


後退りする私に詰め寄る一也。ギラついた瞳は相変わらず。この目は怒っているわけじゃなく真剣なだけだと、今更になって気付く。


「さっきもらったやつ、俺は食わねーから」
「じゃあ誰が食べるの?」
「さあ?野球部の誰か?」
「…自分が食べないなら受け取るべきじゃないと思う」
「いちいち断るのも面倒なんだって」
「モテるんだね」
「はっはっは!まあな」


どこまでもムカつく男だ。普通そこは謙遜するところだろう。まあ、この自信過剰なところが御幸一也らしいのだけれど。


「私からのやつ、別に欲しくないんでしょ」
「欲しいわけじゃねーけど倉持にやるのは駄目」
「なんで」
「なんでも」
「じゃあ持って帰る」
「なんでそうなるんだよ…」
「だって、欲しくないと思ってるならあげたくないもん」
「……悪かったって」


バツが悪そうにそっぽを向きながら謝ってくる一也に驚いた。普段どんな喧嘩をしても自分の非を認めない一也が謝ってきたのだ。これは快挙である。


「名前からの、欲しいです」
「無理しなくていいのに」
「してねーから」
「…チョコじゃないよ」
「ん。なんでもいい」


やけに素直に手を出してくるものだから、私も意地を張るのが馬鹿馬鹿しくなって、スポーツ飲料の粉末やら塩分チャージができるらしい飴やら、バレンタインデーには相応しくないであろう色気のないものの詰め合わせを押し付ける。一也は遠慮なく目の前で中身を確認するからデリカシーってもんがない。


「お。これなら使える」
「バレンタインデーっぽくないけどね」
「俺のこと考えて選んでくれたもんの方がチョコなんかよりよっぽどいい」
「それなら良かった」
「あー…俺からも、これ」
「え。……えっ!?」


ごそごそとポケットの中か取り出して渡されたのは小さな包み。私も無遠慮に中身を確認し始めるのだから一也のことはとやかく言えない。
しかし、無遠慮に中身を確認して良かったと心底思った。小さな包みの中は可愛らしいチョコレートの詰め合わせだったのだ。所謂逆チョコというやつらしい。一也に全然似合わなくて笑ってしまう。


「機嫌直った?」
「ふふ、うん」
「単純」
「単純でいいもん」
「あっそ」
「ありがとう。嬉しい」
「そういう顔、ここですんなよ」
「へ、」


一瞬、本当に一瞬唇が触れ合って、離れた。直後、「じゃあ部活行くわ」と言い残し逃げるように立ち去った一也の耳は、ほんのり赤かったような気がする。私はほんのりどころか、顔も身体も真っ赤になっているかもしれないけれど、誰もいないからきっと大丈夫。
喧嘩ばかりしている私達だけど、一也からの好きの一言は聞けないままだけれど、今日のところはこれで勘弁してやることにしよう。