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思えば赤い糸だった


※社会人設定


あの時の私の判断は間違っていたのだろうか。じりじりと照り付ける太陽の下、大学までの道のりを颯爽と自転車で走り抜けながら、私は過去のある出来事を思い出していた。それもこれも、この眩しすぎる太陽と青空が記憶を呼び起こさせたのが原因だ。
私は高校時代、野球部のマネージャーをしていた。甲子園を目指して毎日厳しい練習メニューをこなす部員達を、陰ながら応援していたあの頃。生意気ながらも可愛い後輩と、頼れる同級生。キラキラと輝いていた数年前、私には恋人がいた。
とても不器用で、けれど真っ直ぐで嘘を吐けない優しい人。口調はいつも荒々しかったけれど、本当は誰よりも部員やマネージャーのことを大切に思ってくれていたことを私は知っている。そんな彼だから好きになったし支えたいと思った。けれども結果的に、それは叶わなかった。
甲子園まで手が届かなかったあの日。私は彼に何も言ってあげられなかった。頑張ったね、とか、お疲れ様、とか、なんでもいいから声をかけてあげるべきだったのかもしれない。けれども、そんな気休めの言葉なんて彼には、彼らには、きっと意味をなさないと思ったのだ。
それからは私もマネージャーとしての仕事を終え、受験勉強に追われ、彼との時間は自然と少なくなっていった。思えば、甲子園への切符を逃してしまったあの日を境に、私達の関係は少しずつ破綻に向かって行っていたのかもしれない。高校生の恋愛なんて幼くて陳腐で、年を重ねて振り返ってみればどうってことない思い出の1ページに過ぎないのかもしれないけれど、私はまだ、そんなことを言えるほど大人にはなり切れていなかった。


「別れよっか」
「…そうだな」


別れを切り出したのは私の方からだった。けれど、すんなりと受け入れたところを見ると、彼の方も潮時だと思っていたのかもしれない。遠距離になるし、きっとあんな関係のままじゃ遅かれ早かれ同じ結末を辿ることになっていたとは思う。それでも、あの時別れなければまだ彼との関係は続いていたのかな、なんて思う私は相当未練がましい。
大学は夏休み真っただ中。それなのにどうして私がわざわざ大学に来たのかと言うと、野球部にヘルプを頼まれたからだった。大学に入ってからの私は何の部活にも所属せず、たまにバイトをするぐらいの緩い生活をしている。今年で大学生になって3回目の夏。友達と旅行にでも行こうかと話をしていた矢先、どこからか私が野球部のマネージャーをしていたことを聞きつけたらしい部員の1人が、外部との練習試合の時だけヘルプに来てくれないかと頼み込んできたのだ。
普段は部員達だけでどうにか回している雑用も、練習試合の時は人手が足りないらしく、野球部のマネージャー経験のある私なら任せられると思ったらしい。さすがに私1人だけでヘルプというのは辛すぎるので友達を何人か誘い、いつか夜ご飯を奢ってもらうという条件付きで頼みを引き受けた。そして迎えた練習試合の日が今日だ。
駐輪場に自転車を停め、グラウンドに向かう。練習試合の相手はわざわざ関西から来ているらしく、招いたこちら側としては最大限のおもてなしってやつをしなければならないらしい。とりあえずドリンクを作って、あとは何をすればいいか確認してみよう。頭の中で高校時代にどんなことをしていたか思い出しながら歩いていると、すみません、と背後から声をかけられた。立ち止まって振り返れば、そこには見知らぬ男性達の集団。


「野球部のグラウンドってどこですか?」
「もしかして、練習試合の…?」
「そうなんスよー!」
「私もグラウンドに行くのでよかったら案内します」


目指す場所が同じならば話は早い。私は、ぞろぞろと団体様を引き連れてグラウンドを目指す。その短い道中に、マネージャーですか?とか、何年生ですか?とか、やたらと質問をされて少し疲れてしまったけれど、悪い人達ではなさそうだ。
グラウンドに到着し、それでは…と退散しようとしたところで、おい、と。聞き覚えのある懐かしい声が聞こえて足を止めた。声のした方に顔を向けると、そこには高校時代を共に過ごした彼――伊佐敷純の姿。あの頃に比べて、少し背が伸びて逞しくなっただろうか。身に纏うオーラは相変わらずピリピリしているような気がする。


「なんでお前がこんなとこにいんだよ」
「なんでって…ここ、私の大学だし…」
「あれ?知り合いなの?」
「うるせぇ!ちょっとあっち行ってろ!」


仲間達に何やら質問責めに合いバツが悪そうな彼を残し、私はそっとその場を後にした。その声をきいただけで、心臓が飛び跳ねた。いまだにバクバクとうるさい鼓動をなんとか落ち着けながら、私は部室の方へと足を進める。
関西の大学との練習試合とはきいていたけれど、まさか彼の大学とは思わなかった。知っていたらこんな頼み、引き受けなかったのに。会えて嬉しくないわけではないけれど、できれば会いたくなかった。彼もきっとそうだろう。私の顔を見て思い出すのは、あの日の苦い記憶だけに違いないから。
極力、彼との接触はしないように注意を払うつもりだったけれど、そんなことをせずとも練習試合が始まれば話す機会はほとんどなかった。なんだかんだで雑用を任されたので、久し振りに汗だくになりながら身体を動かすことができて清々しく感じる。友達は、もう2度と引き受けない!とご立腹だったけれど、私はまたやりたいなぁと密かに思っていた。
練習試合の結果はうちの大学が散々な結果で終わったけれど、私の目が追っていたのは彼の姿ばかりだったなんて、同じ大学の皆には口が裂けても言えない。彼はあの頃のまま、フルスイングで気持ちよく白球を飛ばしまくっていて、とても楽しそうに野球をしていた。それを見て、よかった、なんて胸を撫で下ろすのはただの独りよがりだ。
無事に練習試合を終え片付けをする。今日の夜ご飯、何にしようかなぁなどと呑気なことを考えているところに落ちてきた黒い影。振り返ればそこに立っていたのは、もう会うことはないだろうと思っていた彼だった。既に帰ったと思っていたのに、まだ残っていたなんて。しかもわざわざ私のことを見つけてまで、一体何だろう。


「この後、時間あるか」
「え…なんで、」
「話がしてぇ」


話、とは。別れて2年半が経った今になって、何を話すことがあるというのだろうか。動きを止めて何も言えずにいる私の反応を都合よく肯定と取ったらしい彼は、じゃあ後でな、と言い残して遠くの方で待つ集団の中に戻っていった。そんな、勝手な。そもそも後でって、どこで落ち合うつもりなんだ。
言いたいことは沢山あるはずなのに、彼を目の前にすると何も言えなくなってしまう自分が恨めしい。片付ける手がなぜか急ぎ気味になっていることも、彼に踊らされているみたいで癪だ。なんで、今更。たまたま再会しただけなのに、どうして話がしたいなんて言って私の心をかき乱すのだろう。
頭の中がぐちゃぐちゃのまま全ての仕事を終えたところで、タイミングよく震える携帯。まさかと思って画面を確認すると、メッセージの送り主は伊佐敷純。連絡先、変わってなかったんだ、なんて嬉しくなるのは何故なのか。私にはもう、とっくにその理由が分かっていた。けれど、それには気づかないフリをして。私は内容を確認してから暫く固まったものの、自転車に乗ると目的地まで風を切って走った。


◇ ◇ ◇



指定された場所に驚いた。母校のほど近く、寮で生活していた彼と自宅から通っていた私がよく待ち合わせ場所として使っていた公園。いつも座って何気ない会話をしていたベンチに、彼はいた。


「…お疲れ」
「おう」
「……他の人は?いいの?」
「今日はこっちに泊まりだし、練習終わったら自由だから気にすんな」
「そうなんだ…」


途切れた会話と訪れる沈黙。むわりと生暖かい風が吹き抜けて、髪が靡いた。


「髪、伸びたな」
「え…そうかな」
「女らしくなった」
「元々女だし」
「そんなの…知ってるっつーの!だから忘れられねぇんだろうが!ずっと!」


勢いよく立ち上がって私を見下ろす彼の瞳は真剣で、顔はほんのり赤い。蘇るのは、彼に告白された時の記憶。少しだけ年を重ねて大人に近づいたはずなのに、今私の目の前に佇む彼はあの頃と何も変わっていなくて、鼻の奥がツンとした。
馬鹿みたいに真っ直ぐで嘘が吐けなくて、上手く隠し事ができない不器用な人。忘れられないって、何を?なんて野暮なことはきかない。だって私も、同じだったから。けれども、後悔したところで、別れを切り出した私の方から彼に近付くことは許されないような気がして。
本当は会いたくてたまらなかった。再会した時、飛び上がりそうなほど嬉しかった。けれど、苦しかったのも本当。だってもう、あの頃に戻ることはできないから。じわり、じわり。視界が少しずつ滲んでいく。


「練習試合が決まった時、お前の大学だって気付いてもしかしたら会えるんじゃねぇかと思った」
「…、」
「もし会えたら、言うって決めてた」
「……会える確率、低すぎでしょ」
「でも会えただろ」


ほんと、馬鹿みたいに真っ直ぐだ。真っ直ぐでキラキラしてる。


「あの時、すんなり別れなきゃよかったって後悔してた」
「っ…」
「でも、甲子園にも連れて行ってやれなかった俺と遠距離とか、お前にあれ以上無理させらんねぇって思ったんだよ」
「無理なんて、そんな…!」


思ったことない。口から出かけた言葉は、大きな身体に抱き竦められて紡ぐことができなかった。滲んでいた世界が更に歪む。


「忘れようと思って他のやつと付き合おうとしてもすぐお前のこと思い出すし、悪ィけど俺、お前じゃなきゃダメみたいなんだわ」
「…っ、趣味悪いね…純は」
「それはお互い様だ。ばーか」


純の着ているTシャツに涙のシミがじわりと広がる。3年前に比べてやっぱり少し大きく逞しくなった胸に顔を埋めて、恐る恐る背中に手を回すと、懐かしい香りと温度が私を包み込んだ。
私、あの頃と何も変わってないよ。成長してないし、今の純を支えることもきっとできないよ。遠距離であることに変わりはないし、私なんかよりいい人が見つかるかもしれないよ。それなのに私を選んで本当にいいの?
捲くし立てる私の言葉を、うるせぇ!の一言で一蹴する。そういうところ、変わってないね。


「俺は名前がいいんだよ!」
「ありがとう、純。…大好きだよ、ずっと」


滲んだ世界をオレンジ色が染めていく。純の顔もまた一段と赤く染まった気がするのは、気のせいなんかじゃないと思う。照れながらもぶっきらぼうに、愛しい彼が愛を叫んでくれるまで、あと3秒。