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及川徹の場合
土曜日の昼下がり。おやつの時間より少し前のこと。お菓子を買ってきたんだ、と。外出先から帰宅するなりご機嫌な様子で台所のテーブルの上に白い箱を置いた徹は、コートを脱ぎながらそんなことを言った。徹がこうして気紛れに何かを買って来るのは珍しいことではない。けれども今日の徹は、いつもより明らかにテンションが高そうだった。そんなに好物のお菓子があったのだろうか。それとも出先で何か良いことがあったとか?不思議に思いながらも、徹の笑顔を見ていれば理由なんてどうでもよくなってしまって、私は白い箱に手を伸ばした。


「開けても良い?」
「良いよ」
「わ…アップルパイ?」
「それが違うんだな〜」
「でもパイだよね?」
「そう。ガレット・デ・ロワ」
「何それ」
「フランスではお正月に食べるんだってさ」
「ふーん」


フランスのお正月のことなんてちっとも知らない私は、もう1度白い箱の中を覗き込む。見た目は本当にアップルパイみたいでシンプル。けれども味はアップルパイと全然違うのだろう。何にせよ、なんとも洒落たものを買ってきたものである。でもまあ確かに、つい最近お正月を終えたばかりだから、徹の話が本当だとすれば時期的にはちょうど良い食べ物なのかもしれない。私は早速切り分けようと包丁を取り出す。
すると珍しくも徹が、俺が切り分けるよ、と私の隣にやって来た。いつもなら、早く切って切って!と子どもみたいに見ているだけだというのに、一体どういう風の吹き回しだろうか。機嫌が良すぎて少しおかしくなっちゃったのかな、などと失礼なことを思いながらも、折角の申し出を断る理由もないので包丁を手渡せば、徹は意外と上手にサクサクとパイを切り分けていく。お皿ちょうだい、と言われるまま渡したケーキ用の白いお皿の上に載せられた1切れのパイ。うん、美味しそうだ。
紅茶を淹れてから徹と向かい合わせに座り、2人で優雅な午後のティータイム。サクッと軽い音をたててフォークでパイをパクリと一口。どうやらアーモンドクリームが入っているようで、そこまで甘すぎることもなく、とても美味しい。パクリ、パクリ。どんどんフォークをすすめる私の正面で、徹はまだやっと一口を食べ終えたところのようだ。


「美味しそうに食べるね」
「美味しいもん」
「それは良かった」
「なんでこのお菓子を買ってこようと思ったの?」
「お正月だからちょうど良いかなって」
「よくフランスのお正月の文化なんか知ってたね」
「俺、物知りだから」


付き合いは長いけれど、はて、徹の物知りエピソードなんて今までバレー以外で聞いたことがあっただろうか。高校を卒業して4年。プロのバレーボール選手として活躍し続ける徹に、バレー以外の新しい知識なんて入っていなさそうなものだけれど。私はまたサクリとパイを一口頬張りながら、へぇ、と心のこもっていない相槌を打つ。
同棲を始めたのは私が3年制の専門学校を卒業してからのことだから、もうすぐ1年が経過する。付き合い自体は高校の時からだから、もう7年目。時の流れとは早いものだ。正直、徹とはそこまで長続きしないと思っていた。高校を卒業したら別々の道を進むわけだし、プロバレーボール選手になった徹と学生を続行する私とでは生活リズムが違って擦れ違いが多くなるのは明白。そして何より、徹は自他ともに認めるイケメンなので、テレビに映ろうもんなら女性ファンの黄色い声援が飛び交うほど人気があって、私よりもいい女なんて腐るほど寄って来るだろうことは目に見えていたから。
けれども私の予想に反して、徹が私との関係を破綻させることはなかった。そりゃあ危機的状況が全くなかったわけではない。徹の浮気疑惑は何度かあったし、お互い忙しくて疎遠になってこのまま自然消滅するのかも、なんて思うこともあった。けれどもその度に、徹は私を離さなかった。言葉で、態度で、俺はお前が好きなんだよって。こっちが恥ずかしくなるぐらい伝えてきた。だから私も素直になれた。私も徹のことが好きなんだよって、ちゃんと伝えることができた。それが今に繋がっている。
カチャリ。徹がティーカップをソーサ―の上に置く音が静かに響いた。相変わらずお菓子の方はあまり食べ進めていなくて、何がそんなに楽しいのか、頬杖をついてパイを口に含む私の顔をジッと見つめている。とても気が散るからやめてほしい。


「何か言いたいことでもあるの?」
「まあね」
「何?」
「先に食べちゃいなよ」
「そんなに見られてたら食べにくいんだけど」
「じゃあ見ないようにするよ」


その言葉通り、徹は自分もゆっくりパイを口に運び始めた。言いたいことがあるなら勿体ぶらずにさっさと言っちゃえばいいのに。そう思いながらも私の手は止まらず、サクサク。また一口頬張る。紅茶を飲んでまた一口…と思ってパイにフォークを突き刺した時だった。カツン、と何か固いものにぶつかった感触がして眉を顰める。パイの中に何か入っているようだ。もしかして不良品?怪訝に思いながらもパイの中を捜索すれば、陶器でできたクマの人形が現れた。こんなものが間違って入り込むことがあるのだろうか。
手に取ってみると、カラン、と乾いた音がした。どうやらまだこの中に何か入っているらしい。そこで私は漸く気付く。これは徹が仕込んだに違いないということに。確認の意味を込めて徹の顔を見れば、アタリ、と笑顔で言われて、私の考えに間違いがなかったことを悟る。こんなの、市販のパイに無理やり仕込むことはできなさそうだし、わざわざ特注で作ってもらったのだろうか。随分と手の込んだことをしてくれる。
クマの人形をまじまじと見つめながら固まっている私に、開けてみてよ、と催促してくる徹は、早く私に中身を確認してもらいたくて堪らないらしい。今度は一体何を仕込んでいるんだと中身を確認した私は絶句した。だってこんなの、どこからどう見たって、


「それが当たった人はその1年間を幸せに過ごせるんだって」
「…わざわざ調べたの?」
「まあ、ちょっと」
「こんなことするために?」
「こんなことって失礼な。サプライズ。名前、好きでしょ?」


クマの人形の入れ物の中から現れたのは、きらりと輝く指輪だった。いつか2人でジュエリーショップに行った時、今後の参考にするからどんなのが欲しいか教えてよ、と言われたことがある。もう何ヶ月も前のことだ。てっきりクリスマスプレゼントにくれるのかと思って期待していたのだけれど、クリスマスにもらったものは前から欲しいと言っていたキーケースだった。それはそれで嬉しかったのだけれど、なんだ、指輪じゃないんだって、ちょっぴりがっかりしてしまったのは記憶に新しい。まさかこんな風に渡されるとは思っていなくて、本当にサプライズだ。
あの時、これ可愛いなあ、と手に取った指輪が、今私の手の中にある。信じられない。まだ少し頭の中を整理できていない私に、貸して、と言ってきた徹はその指輪を手に取って、するりと私の左手の薬指に嵌めた。サイズはぴったり。こういうところ、抜かりないよね。


「1年だけじゃなくて、これから先ずっと幸せにするよ」
「キザだね」
「薔薇の花束も準備した方が良かった?」
「そういうの似合いそう」
「ごめん、花束はないんだ」
「良いよ。これで十分」
「でもその代わりに、」


ちょっと待ってて、と言って席を立った徹が寝室の方へ消えて行って、数分後に持ってきたのは、おとぎ話の中でしか見たことがないようなティアラだった。いつの間に、ていうかなんでそんなもの準備しちゃってんの。薔薇の花束の方が簡単に手に入るでしょ。言いたいことは山ほどあるけれど、得意げな顔をしている徹を見ると何も言えなくなってしまうのが私の弱いところ。
それが当たった人は王冠を被って祝福されなきゃいけないんだよ、なんて、どこまで調べたことを忠実に再現しようとしているのだろうか。そんなことを思いつつ、呆れながらも徹の思うがまま、頭にちょこんとティアラを載せられている私も、満更でもなかったりして。


「可愛い。似合ってるよ、お姫様」
「やめてよ。恥ずかしいから」
「結婚式の時に使ってね」
「考えとく」
「今、幸せ?」
「…うん、とっても」
「良かった。じゃあ改めて、」


俺と結婚してください。
何でもない土曜日の昼下がり。いつもの日常だったはずなのに、急に特別な1日に変わった。徹は魔法使いなのだろうか。ううん、違うね。私がお姫様なら、徹は王子様になってもらわないと困るもの。
勿論、喜んで。
私の返事をきいて、徹は大きな瞳を少しだけ細めて。じゃあ今日はパーティーしなくちゃね、って笑った。それから続けて、夜ご飯の場所はもう予約してあるんだ、って。だからとびっきりお洒落してね、って。こうなる未来を確信していたかのように、ウインクをひとつ。この人は私を幸せにする天才だ。

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