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黒尾鉄朗の場合
彼氏と同棲するのは、果たして正解だったのだろうか。私はここ最近、そんなことばかりを考えている。というのも、私には大学時代から付き合っている彼氏がいるのだけれど、社会人3年目に突入しようかという3月から、話の流れで同棲することになったのだ。
その時は彼氏と同棲というものがキラキラして見えて、お互いの両親への報告も、家具や家電を揃える買い物も、意気揚々と済ませた記憶がある。同棲し始めたばかりの頃だって、毎日彼氏の顔を見ることができて、同じ空間で過ごす毎日に幸せを感じていた。
それが、いつからだろう。お互いに仕事が忙しくなってきて、夜ご飯はできるだけ一緒に食べようと言っていたのに、それが叶わなくなってきたことが始まりだったかもしれない。朝、おはようの挨拶はするけれど、身支度でバタバタしていてほとんど会話はないし、日中に連絡を取り合うこともなくなった。夜ご飯は各々で済ませてしまうことが多くなり、休日ぐらいしかまともな会話はできなくて。キラキラして見えたものは、今や私の足枷になっているのではないかとすら思う。
秋も深まってきた11月。同棲を始めてから半年以上が経過して、私は悩んでいた。果たしてこのま彼と同棲を続けていて幸せになれるのか。20代半ば、女としてはここでどう選択するかが重要となってくると思う。
彼のことを嫌いになったわけではない。けれども、付き合いたての頃のようなドキドキはなくなっていて、同じベッドで寝ていても仕事で疲れているせいかお互いすぐに寝てしまうので、夜の営みもすっかりご無沙汰である。落ち着いた関係と言えば聞こえは良いかもしれないけれど、これは恋愛と呼べるのか。甚だ疑問だ。
今日と明日は本当に久々に私と彼の連休が重なっている。貴重な連休。以前の私達なら、どこか遠出しようとか、1泊2日で小旅行にでも行こうとか、何かしらの計画を立てていたのだろうけれど、連休初日の午前中をほぼ睡眠で消費してしまっている時点でそんな計画は皆無である。


「あー…ねみぃ…今何時?」
「んー…?10時前…」
「昼飯なんかあった?」
「買い物行ってないもん…何もないと思う」
「外出るのもめんどくせぇよなぁ」


布団の中、大きな身体をもぞもぞと動かしながら眠そうな声で言う彼は、いまだに起きる気がなさそう。最後にデートしたのっていつだっけ?もう記憶すら曖昧で、こうなると恋人と名乗ることすらおこがましいような気さえしてくる。
潮時ってやつなのかなあ、と。それまで抱いていた負の感情が、ここにきて急に溢れ出してきた。だからだろうか。それまで悩んでいたこともあってなかなか言い出せなかったことが、至極簡単に口から零れ落ちたのは。


「私達、別れた方が良いのかなあ」
「は?なんで?」
「なんでって…今の生活振り返ればそう思うのも無理ないでしょ…」
「…名前はそうしてぇの?」
「分かんない…けど、」


こんなことになるぐらいなら同棲しなきゃ良かった。


言ってはいけないことだと思っていたから今までずっと飲み込んできたセリフ。彼はそれを聞いて何も言わなくなって。気まずさに耐えられなくなった私は、ベッドからおりて寝室を後にした。
やっぱり、言うべきじゃなかったのかもしれない。後悔しかけたところで、そんなことはないと首を横に振る。今日言わなかったとしても、遅かれ早かれこういうことになっていたはずだ。だからきっと、私の発言は間違ってない。
それから、彼は無言で寝室から出てきてカップラーメンを啜った後、また寝室にこもってしまった。私が1人で適当に買い物を済ませて帰ってきてからも状況は変わらず、夜ご飯は別々に食べた。これはもう、いよいよ終わりかな。自分から切り出しておいていざその時が近付くと泣きそうになる私は卑怯だ。
ベッドの中、無意識に彼へと背中を向けて眠りにつこうとしたところで、なあ、と。彼が声をかけてきた。私は体勢を変えぬまま、何?と声だけで返事をする。


「明日の朝、飯作って」
「…なんで?」
「名前の飯、最近食ってねぇから」
「まあ…良いけど」
「ん。じゃあ、おやすみ」


食べおさめってやつだろうか。彼は背中を向けたままの私に触れることもなくそのまま押し黙って、恐らく眠りについた。朝ご飯なんて、2人で食べるのはいつぶりだろう。何を用意したら良いかな。
微睡みの中、私は彼の好物ってなんだったっけ?と、そう遠くない過去の記憶を辿っていた。


◇ ◇ ◇



翌朝、少し早めに起きて冷蔵庫の中身を確認する。案の定ろくなものがないので、急に朝ご飯を作ってくれと言われても彼が喜びそうな食事は用意できそうにない。どうせならもっと早く言ってくれたら良かったのに、と思ったところで後の祭りだ。
ご飯と、あるものを適当に切って作った味噌汁と、卵焼き。鮭の切り身を焼いて食卓に置いたら、それなりの朝ご飯にはなったと思うから、まあ良しとしよう。鉄朗の好物が秋刀魚だということは思い出したけれど、そう都合よく冷蔵庫の中に秋刀魚は常備していない。
頃合いを見計らっていたかのように、料理が出来上がったところで彼が寝室からのそりと現れた。美味そうな匂い〜、と言ってもらえたことは素直に嬉しい。


「もうできてるよ。食べる?」
「食う。けど、先に顔洗ってくるわ」


洗面所に消えた彼はすぐに戻ってきて朝食が並ぶ席に座った。2人でこうして向かい合わせに座り朝食をとるのはいつぶりだろうか。懐かしいとすら感じる程度に久し振りであることは確実だ。
手を合わせて、いただきます、と呟いた後ゆっくり食事を始めた彼に倣って、私も食事を始める。味付けは可もなく不可もなく、普通。不味いと言われたことはないから、たぶん食べられないというほどではないのだろう。
テレビもつけず、特に会話をするわけでもなく、お互い食事に集中すること数分。味噌汁を啜った彼が、なあ、と。突然口を開いた。


「なぁに?」
「少し前から言おうと思ってたんだけど」
「…うん、」


これは別れを切り出されるパターンか。私の方から別れを仄めかすようなことを言ったのだから、こうなることは当たり前と言えば当たり前なのだけれど、いざ別れて、と言われるのだと思うと結構辛い。
もう一度静かに味噌汁を啜った彼は、私の名前を呼んで。


「これから先もずっと、俺のために味噌汁作ってな」
「……は?」
「名前の作る飯、美味ぇから。頼むわ」
「え…?あの…ちょっと意味が分からないんだけど…」


私達は今日を境に別々の道を歩んでいくとばかり思って心積もりしていたというのに、あまりにも予想だにしないセリフが飛び出してきたものだから、私の脳では処理しきれない。味噌汁でもコンソメスープでも、作るのはちっとも苦じゃないけれど、こらから先もずっとって、どういうつもりで言ってきたんだ。
戸惑う私に、彼…鉄朗は、ん?と卵焼きを咀嚼しながら小さく首を傾げて、それを飲み込んでからニィッと口角を上げた。


「分かりやすく言った方がいい?」
「…うん」
「俺と結婚してくれませんか」
「……っ、うそでしょ…、」
「良いなら飯食ったら指輪選びに行こうぜー」


なんでそんなこと急に言ってきて勝手に今日の予定決めちゃってるの。私、まだ何も返事してないのに。断られるかもしれないとか、そういうことを全く考えていないなんて、どれだけ自信過剰なんだ。大体、プロポーズならもっとロマンチックなところでするべきなんじゃないの。
不満だらけ。抗議したいことも満載。けれども、私の口からは何の言葉も出てこない。


「飯、冷めるぞ」
「…ほんと、もう…なんで昨日あんなこと言ったのに、今日いきなりプロポーズしてくるかなぁ…」
「あんなこと言われたから、だろ。俺、名前のこと手放す気ねぇもん」
「もう私のことなんて、そんなに好きじゃないんだと思ってた…」


口を突いて出た本音に、鉄朗は目を丸くさせていた。そりゃあそうでしょ。今までの生活を振り返ってみてほしい。すれ違いの毎日のどこに、私に対する好意が表れていたというのか。鉄朗は少しの間黙り込んでから、ごめんな、と困ったように笑った。


「同棲してるから、名前はもう俺のモンだって勘違いしてた。このまま、いつか結婚すりゃ良いじゃんって思ってたし。でもやっぱ、それじゃ不安だったよな」
「鉄朗…」
「ちゃんと名前のこと大切にする。死ぬ前に、俺と結婚できて幸せだったって絶対言わせてやる。だから…俺のモンになって」
「…そんなの、」


良いに決まってるでしょ。


鉄朗はひどく嬉しそうに柔らかく笑って。私もそれを見て、つられて笑った。
これから先のことなんて分からない。昨日までの私みたいに、不安になったり不満を抱いたり、喧嘩をすることだってきっと沢山あるだろう。それでも、鉄朗が隣にいるのなら最後は今みたいに笑えるって、なぜか確信できるから。ちゃんと死ぬまで幸せだって思わせてよね。鉄朗のことは私が幸せにしてあげるからさ。
朝食を綺麗に平らげて、ご馳走さまでした、と手を合わす。食器を洗って、洗濯物を干して、着替えと化粧を済ませたら準備は完了。手を繋いで外に飛び出したら、それが私達の幸せの第一歩だ。

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