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※「jeunesse de tard-floraison」続編


鉄朗の海外出張が終わり、諸々の研修も落ち着いた頃。私達はついに婚姻届を提出した。会社にも報告したので私の社員証は黒尾名前になり、職場の人達は名字さん…じゃなくて黒尾さん!と呼び間違えることが多く、混乱しているようだ。呼ばれる側の私だって、つい最近まで名字だったのに、婚姻届を提出した瞬間から黒尾と呼ばれるようになって、なかなか順応できていない。鉄朗とは所属部署が違うので、滅多なことがない限り同じフロアに黒尾が2人いることはないのだけれど、黒尾さん、と呼ばれる度に鉄朗が来たのかと振り返っては、自分が呼ばれたのか…と困惑する日々が続いている。けれども、そんな困惑も幸せの一欠片に過ぎないと思ってしまうのだから、結婚とは不思議なものだ。
そして私達は、とうとう1週間ほど前から新しいマンションを借りて一緒に住み始めた。お互い自分の借りていた部屋の契約満期となる時期を見計らっていたため、結婚が決まってから一緒に住み始めるまでには結構時間がかかってしまったけれど、漸く新婚生活というものが始まったのだ。
まだダンボール箱が残るリビングは、それでも仕事が終わってから2人で少しずつ片付けた甲斐あって、最初の頃に比べると大分綺麗になってきた。ソファやテーブル、テレビボードなんかは買い揃えたいね、なんて話をしたけれど、とりあえず今はお互いに持っていたものを厳選してレイアウトしている。
今日は嬉しい金曜日。先週引っ越してきたばかりなので、片付けに追われることなく過ごす週末は今週が初めてだ。私は珍しくもエプロンを身に纏って台所に立ち、夜ご飯の準備をしていた。鉄朗は会議で少し遅くなると言っていたから、まだ帰って来ないだろう。
私はお世辞にも料理が上手とは言えない。人並み程度…いや、それ以下だと思う。疲れた鉄朗を笑顔で出迎えて、ご飯できてるよ、なんて声をかけるのが理想ではあるけれど、私にはそれを実現させられるだけの技量がない。こういう時、花嫁修業としてクッキングスタジオにでも通っていれば良かったなあと思ったのだけれど、そんなの今更遅すぎる。
私はスマホのレシピページと睨めっこしながら真剣に料理に取り組んだ。今日の献立は、鉄朗の好きなサンマの塩焼きと、それに合う野菜の煮物、そしてお味噌汁。……の、はずだった。が、なぜこんなことになったのだろう。サンマはなんとなく焦げているし、煮物も味噌汁もレシピ通りに作ったはずなのに味がどうもパッとしない。調味料を入れれば入れるほど纏まりがなくなって、もはや味見のしすぎでどんな味なら正解なのかが分からなくなってしまった。
どうしよう…今から作り直すなんてとてもじゃないができないし、食材を無駄にしてしまう。けれども、こんな微妙な料理を鉄朗が食べたら、お前よくこんなの作れるな、とか皮肉を言われそうで凄く嫌だ。悔しいことに鉄朗は、手際良く美味しいご飯を作れるハイスペックなヤツなので、馬鹿にされても言い返せない。今日までは適当に外ですませたり鉄朗がちゃちゃっと簡単なものを作ってくれていたので今日はあっと驚かせてやろうと思ったのに、これでは私の不出来さを露呈するだけになってしまう。
こうなったらこれはどこかに隠しておいて、1人でこっそり消費しようか。そんなことを考えていた時だった。ガチャリとドアが開く音が聞こえて、私は慌てて玄関に向かう。そこには当たり前のことながら鉄朗がいて、私の姿を見るやいなや、目をパチパチさせて驚いたような表情を浮かべた。


「その格好…どした?」
「え?あ、いや、たまには私がご飯作ってみようかなーって…そんなことより、帰る前に連絡してって言ったじゃん」
「あー…わり、忘れてた」


鉄朗は全然悪いと思っていない様子でそう言うと、そのまま玄関に立ち尽くしていた。なんで入って来ないんだろう。


「入んないの?」
「おかえりなさいのチューは?」
「は?」
「折角エプロン姿でお出迎えしてくれたんだし、ついでにやってくれても良いじゃん?」


私は思わず固まった。鉄朗は本気で、そんな恥ずかしいことを私がするとでも思っているのだろうか。いやらしく笑う鉄朗は完全に私の反応を見て楽しんでいて、一向にそこから動く気配がない。


「するわけないでしょ!」
「えー。ざんねーん」
「馬鹿なこと言ってないで早く入りなよ」


私は鉄朗を置いて台所に戻ると、出来上がった料理を見つめた。仕方がない。食べられないってほどじゃないと思うし、馬鹿にされることを覚悟の上で今日はこれを出してしまおう。私は腹を括ると、盛り付けた料理をテーブルの上に並べていく。
すると、おかえりのチューを諦めてくれたらしい鉄朗が、ネクタイの結び目を緩めながらこちらに近付いてきた。きっと焦げ気味のサンマを見て、何かしら言ってくるだろう。そう思っていたのに、鉄朗の口から出てきたのは意外な言葉だった。


「すげーじゃん。美味そう」
「え、」
「冷める前に食うか」
「え、あ、うん」


何の嫌味も言わず椅子に座った鉄朗に、私はドギマギしてしまう。嬉しいはずなのに調子が狂うというかなんというか。私はその動揺を悟られぬよう平静を装って鉄朗の正面に座った。
鉄朗は、いただきます、と手を合わせてからサンマや煮物、味噌汁を順番に口に運ぶ。かたや私は、緊張した面持ちでその光景を見つめていた。何も言わず、ただ黙々と箸を進め続ける鉄朗。しかし、何口か食べた後、さすがに私の視線が気になったのか、鉄朗は箸を止めて料理に落としていた視線を私に向けてきた。


「食わねーの?」
「いや、食べるけど…味とか、その…微妙でしょ…?ごめん…」


なんだかんだ言って鉄朗は優しい。私が作ったと分かっているから、きっと文句も言わずに食べてくれているのだろう。私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「なんで謝んの?俺、微妙とか言ってねーじゃん」
「でも…鉄朗の作ったものの方が絶対美味しいし、我慢して食べさせてるの申し訳ないなーって…」
「我慢してねーよ。美味いから食ってんの」


そう言ってパクリと焦げたサンマを口に運ぶ鉄朗の優しさに、不覚にも涙が滲んだ。鉄朗ってこんなにいいヤツだったっけ。絶対馬鹿にされると思ってたのに。美味いとか、そんなわけないのに。


「鉄朗…ありがと」
「んー?何が?」
「色々。私、もっと料理上手くできるように頑張るね」


私は笑顔でそれだけ言うと、いただきます、と手を合わせてから、自分の作った料理を食べ始めた。


◇ ◇ ◇



食事を終え食器の後片付けも済ませた私は、鉄朗が座るソファの隣に腰かける。結局鉄朗は、最後まで何の文句も嫌味も言わずに、私の作った料理を全て平らげてくれた。いつもは意地悪なくせに、たまにこうやって優しさを垣間見せるのだから、鉄朗はズルい。私だって、何か鉄朗が喜ぶことをしてあげたいなって思っちゃうじゃないか。
私は恥ずかしさを堪えて、テレビをぼーっと眺めている鉄朗の頬にちゅ、とキスを落としてから、おかえり、と呟いた。おかえりのチューってどうやってするものかよく分からないし、今更かよって感じだと思うけれど、今回はこれで我慢してほしい。
鉄朗は自分の頬に手を当てて私の方に顔を向けると、暫くそのまま固まっていた。けれど、何をされたのか理解した途端、その口元は弧を描く。ああ、やるんじゃなかった。


「可愛いことしてくれるじゃん。どういう風の吹きまわし?」
「なんとなく!」
「へー?じゃあまた“なんとなく”したくなった時は、コッチにしてな?」


鉄朗の長い指が私の唇をなぞる。無駄に色っぽい仕草に胸がキュンと疼いてしまったのは気のせいだと思いたい。少しずつ近付いてくる鉄朗の顔は、だらしなく口元が緩んでしまっているけれど。どんなアホヅラだって、私は鉄朗のことをカッコいいとしか思えなくなっているから重症だ。ちゅ。リップ音を響かせて触れるだけの口付けを落とした鉄朗は、幸せそうに笑った。
新婚生活って言っても、付き合っていた頃も半同棲みたいなものだったし、今更そんなに新鮮味なんてないだろうと思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。何年、何十年先も、こんな風に小さなことで幸せを感じられると良いなあ。


「名前」
「何?」
「明日…式場見に行くか」
「…うん!」


私達の幸せはまだまだ始まったばかりです。
le fragment de bonheur

楓様より「黒尾長編「jeunesse de tard-floraison」の続編、新婚生活」というリクエストでした。2人の幸せな様子を描いてみたつもりですが如何でしょうか?この長編の黒尾は奥様にベタ惚れだと思うのでこんな感じになってしまいましたが甘すぎですかね笑?ちなみにタイトルは「幸せの欠片」という意味のフランス語です。この度は素敵なリクエストありがとうございました!
2017.04.19


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