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※社会人設定


オフィスから窓の外を眺めると、そこは一面の黒い世界だった。朝は、今日こそ定時退社するぞ、と意気込んでいたはずなのに、気付けばこんなに遅い時間まで残業してしまったと、いつものように後悔。何をそんなに残ってまで片付けなければならないのかと思われるかもしれないけれど、私だって好きで残っているわけじゃない。午前中はいつも順調に片付いているのに、午後になると予定外の仕事が舞い込んでくるものだから、どうしても後手後手に回ってしまうのだ。
明日は少し早めに出勤することにして、今日はもう帰ろう。そう思ってスマホのディスプレイを見ると、30分ほど前に彼氏からの連絡が来ていた。まだ仕事?というシンプルな文面に、今終わったよ、と返事をする。
彼とは高校3年生の時から付き合い始めたので、かれこれ8年ほど関係が続いているらしい。らしい、とまるで他人事のように言ってしまったのは、最近の私達の関係が少し冷めてきているのを感じたからかもしれない。
彼は基本的に優しいし、おおらかだし、一緒にいて安心する。不満なんてない。けれども、付き合いが長くなればなるほど、熱が奪われていくのはなぜなのだろう。ここ数年、彼と過ごしている時にドキドキしたことはほとんどない。大人だから、キスもハグも、それ以上のこともする。けれど、それはもはやルーチンワークと化しているような気がしていた。
そう感じているのは、きっと私の方だけじゃない。彼の方だって、私の存在にそろそろ飽きてきているように思う。これは私の勝手な思い込みであって、彼自身の言動が変わったわけではないのだけれど。
まあよく考えてみれば、お互い浮気のひとつもせずに8年、よくぞ続いているなあとも思うのだ。だからこそ、次に踏み出せなくてずるずるとした関係が続いているのかもしれない。情、というのだろうか。今更、彼以外の人と付き合う自分を想像できないのは事実だ。


「げ…雨降ってるじゃん…」


オフィスを出た私を待っていたのは大粒の雨だった。そういえばパソコンに向かっている最中、ザァザァという音が聞こえていたような気がするけれど、それはどうやら雨音だったらしい。先ほど窓の外をちらりと見ただけでは気付かなかった。
朝は快晴だったし折り畳み傘を持ち歩くようなタイプじゃない私は途方に暮れる。雨足は弱まるどころか強くなる一方だし、やむ気配はない。これはもう、濡れながら帰るしか選択肢がなさそうだ。
そう思って、もう一度真っ暗な世界で空を見上げた時だった。お疲れ、と背後から声をかけられて振り返る。見なくても声だけで誰か分かる人物なんてそんなに多くない。私の目が捉えたのは、やっぱり彼氏である大地だった。


「どうしたの?会社まで来るなんて…珍しい」
「傘、持ってないだろうなと思って」
「さすが…よく分かったね」


手に持つ傘からは水が滴り落ちていて、この雨の中、わざわざ迎えに来てくれたんだということが分かった。迎えに来てくれたこと自体は有難い。けれど、その手に傘が1本しか握られていないところを見ると、どうやら私達は相合傘で帰らなければならないらしいということを悟って、少し憂鬱になった。付き合いたての頃は相合傘でドキドキしていた気もするけれど、今や、濡れるからなあ…などと思ってしまう私は可愛くない女だ。
そんな可愛くない女に、いつも通り優しい大地は、帰ろうか、と傘を傾けてくれる。いつもより近い距離。でも、ドキドキはない。歩き出してすぐに触れ合った手も絡み合うことはなくて、会話すらほとんどなかった。こんな風に、よく言えば落ち着いた関係、悪く言えば冷え冷えとした関係になったのはいつ頃からだったのだろう。気付いたらこうなっていた、という感じだから修復しようもない。


「雨だし、うちに泊まるか?」
「あー、うん。そうだね。大地の家、うちの職場からも近くて助かる」


私の家は職場の最寄り駅から2駅ほど離れているし、駅を降りてからも少し歩かなければならない。対して大地の家は職場と最寄り駅の間に位置していて、なかなかの好立地だ。しかも、部屋数が多くて広々している上に、家賃もそこまで高くないのだから羨ましい。そんなわけで、私は飲みがあった日やこういう雨の日に、よく大地の家に寝泊まりしていた。
傘を穿つ雨音をBGMに歩くこと数分。綺麗なマンションのエントランスに辿り着いて、漸く窮屈な傘の中から解放された。片腕は少し濡れてしまったけれど、それは大地も同じことだろうと思いふとそちらを見遣ると、私とは比べものにならないほど肩が濡れていることに驚く。確かに、私の方に傾けてくれているなとは思ったけれど、まさかそんなに濡れているとは思わなかった。


「大地、肩…ごめん」
「ん?あー、別にこれぐらいいいよ。名前の方こそ、少し濡れちゃってごめんな」


本当に何でもないことのようにそう言ってエレベーターに乗り込む大地は、デキた男だと思う。自分の方が明らかに濡れているのに謝ってくるなんて、普通だったらあり得ない。お邪魔した大地の家は相変わらず綺麗に整頓されていて、うちとは大違いだなあなんて考えて。
私はこれ以上、彼に何を求めているのだろうかと疑問を抱いた。不満はない。けれども、今の関係はモヤモヤしていて、満足とは言い難い。好きなのに、なぜか揺らいでいる。こんなの、ただの我儘だ。
渡されたタオルで濡れたところを拭き取っている私に、早々に着替えを済ませた大地が温かいコーヒーを淹れてくれた。ほらね、こういうところも完璧。そう、大地はいつも完璧なのだ。隙がなくて、余裕たっぷりで、大人で。そんなところが好きで、けれどそんなところに不安を抱いているのかもしれない。
付き合って8年。大地の取り乱したところは見たことがなかった。必死なところも、悔し涙を流しているところも見たことはある。けれど、いつも弱音ひとつ吐かず、自分の問題は自分で乗り越えている大地。大学生の時も、社会人になった今でも、それは変わらない。大地はこんな私が彼女で、良いのかな。心のどこかでそんな不安がいつも付き纏っている。それが揺らぎの原因なのだろうか。


「風呂、今お湯ためてるから待ってな」
「大地はいつも優しいよね」
「そうか?」
「うん。優しいよ。…でも、疲れない?」
「……どういう意味?」
「いつも私のこと優先してくれるのは嬉しいよ。でも、大地は私に怒ったこともなければ取り乱したこともなくて…私ばっかり余裕なくて。本当の大地って、この8年間で1回も見たことがないような気がして…大地は、私なんかが彼女で本当に満足してるの?」


思っていたことを一思いにぶち撒けた私に、大地はふっと笑う。なんでそこで笑うの?私、結構みっともないこと言ったよね?幻滅してないの?何を今更って、馬鹿にしないの?
一歩、近付いてきた大地は私の手からタオルを奪うと、ふわりと頭を覆い隠すように被せる。髪なんてそこまで濡れていないのにわしゃわしゃと撫でるように拭いてくるから何かと思えば、タオルごと引き寄せられてぶつかる唇。触れるだけのキスとは言え、ちょっと強引なのは珍しいなと思った。


「男ってのはカッコつけたい生き物だから。俺なりに頑張ってたんだけどなぁ…それが裏目に出たか」
「頑張ってたようには見えなかったけど」
「そりゃカッコつけたいのに頑張ってるところなんて見せらんないでしょーが」


照れ隠しなのか、私の頭をくしゃりと、大地にしては乱暴に撫でるその表情が、僅かに焦りを孕んでいるようでキュンとした。
いつぶりだろう。胸がどくりと脈打つのは。触れられた箇所が熱いと感じるのは。その言動全てに見惚れるのは。いつもと何がどう違うのか。明確には分からない。ただ、緩んだ空気とか、はにかむ大地の表情とか、そういう些細なものの全てが違うことだけは分かった。こんなの、いつもと違ってむず痒い。やっぱり私は我儘だ。


「8年も一緒だからな、愛想尽かされないようにこれでも必死なんだよ」
「うそでしょ…」
「最近、誰かさんは俺に冷めてきてたみたいだし?」
「それは…!」
「あ。やっぱり冷めてたんだ?」
「そんなことない!私には大地しかいないなって思ってる!……よ」


勢い任せに吐き出した言葉は、随分とストレートすぎた。恥ずかしい。必死に大地を繋ぎ止めようとする自分が。それでも、こんなどうしようもない、みっともない私でも、大地は決して見捨てたりせずに、ただゆるりと抱き締めてくれるのだ。


「俺は一度も、名前以外を考えたことなんてないよ。名前がいい。満足してる」
「…私も、だよ」
「よろしい。じゃあ、とりあえず」
「とりあえず?」
「これからもよろしくってことで」


大地がニヤリと笑ったのと身体が浮いたのがほぼ同時だった。気付いた時には大地に抱きかかえられていて、おろしてくれと抵抗したところで、落ちるぞー、と指摘されるだけ。お姫様抱っこなんて、今までされたことがない。重いだろうし、誰も見ていないとは言え羞恥心で死にそう。
漸くおろしてもらえたところは脱衣所で、これからの流れが容易に想像できた。


「久し振りに一緒に風呂入るか」
「え…ちょ、ま…っ」
「本来の俺はさっきのキスと名前の言動ひとつで盛るような余裕ない男だけど、それでもいいんだよな?」


私のシャツのボタンを手際よく外していきながら問いかけてくる大地はずるい。ダメだなんて、私が言えるわけないって知ってるくせに。余裕がないと言いつつ私に触れる指先は余すことなく優しいから。やっぱり大地は、デキた彼氏だと思う。
不安なんて、全部全部飲み込んで。まだ8年しか付き合っていないんだもんね。これから先、もっともっと一緒にいるはずの彼に、今日は身を投じてもいいだろうか。雨で少し冷えていたはずの身体は、既に熱くて。今夜はどうも、眠れそうにない。
熱帯夜は雨の後で

かぐら様より「高校時代から付き合っている2人、倦怠期を乗り越えて最後は甘々」というリクエストでした。そもそも澤村は倦怠期とか迎えそうにないキャラだと思っていたので、これが倦怠期といえるかどうか不明ですね…ごめんなさい…。なんだかんだで澤村は甘やかし上手な大人の男だといいなと思って書きました。甘い要素足りなかったら申し訳ないです…。この度は素敵なリクエストありがとうございました!
2017.09.15


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