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※「ラスト・ロマンス」第4話以降、悲恋結末


マンションの前で名前を待ち続けてどれぐらいの時間が経過したのだろう。暗闇の中、漸く待ちわびていた人物のシルエットが浮かび上がって、俺は喉をごくりと鳴らした。こんなに緊張するのはいつぶりだろう。もしかしたら高校時代、名前に告白する時以来かもしれない。
あと数メートルでマンションに辿り着くというところで俺の存在に気付いたらしい名前は、進めていた歩みを止めて俺を見遣る。驚愕と戸惑い、そして俺には読みとれない別の感情が入り混じった複雑な表情を浮かべ立ち竦んでいた名前の第一声は、どうして、だった。
俺はゆっくりと名前に近付いて、無防備なその手に触れようと自分の手を伸ばす。けれども、やめて、という名前からの拒絶の言葉に動きを止めた。ああ、俺は、こんなにも傍にいる名前に触れることすら叶わない。


「帰って」
「これが最後でもいいから、俺の話を聞いてほしい」


男として、人として、みっともないことをしているという自覚はある。しかし、どんな手段を講じてでも名前を失いたくないのだから仕方がない。もうなりふり構っていられる状況ではないのだ。


「何を聞いても、私の気持ちは変わらないよ」
「…分かってる。それでも、言わせてくれ。頼むから」


分かってる、なんて嘘だ。本当は心のどこかで期待している。俺が縋り付けば名前は許してくれるんじゃないかと。俺は浅はかで甘っちょろい考えしか持ち合わせていない大馬鹿野郎だから、どこまでも優しい名前にいつまでもしがみ付いてしまう。なんでこうなる前に気付かなかったんだと、何度自分を責めても責め足りないけれど、俺にはもう責めることしかできなかった。
俺に突き刺さる名前からの視線は、どこまでも冷たくて鋭くて。心臓が凍りそうだ。


「……分かった。これで本当に最後だからね」


名前の返答に心底ホッとする。と同時に、やっぱり名前は俺のことを許してくれるつもりなんじゃないかという期待が膨らんでしまった。我ながら、本当に救いようがない。
俺の横を通り過ぎてマンションへ入って行く名前の後を追い、俺はいつぶりか分からぬほど懐かしい名前の部屋へ足を踏み入れる。当たり前のことながら名前の香りでいっぱいのこの空間は、俺にとって至福だ。


「話って…?」
「分かってるだろ。俺が言いたいことぐらい」
「……分かってるから聞きたくなかったのに、頼んできたのは鉄朗の方でしょ…?」


泣きそうでいて凛とした瞳は、揺らいでいるくせに鋭い。どんな時でも俺のことを想って注がれていたはずの眼差しは、もうなかった。たらり。背中に嫌な汗が伝う。


「何度も言ってるけど、俺は名前と別れたくねぇ。浮気もこれで最後にするし、あの女とも関わらない。約束する。だから、」
「鉄朗」


考え直してくれ。これからも俺の隣にいてほしい。
そう続けるはずだった言葉は、名前が俺の名前を呼んだことによって紡ぐことすら許されなかった。
触れられそうでいて手の届かない距離にいる名前を見つめる。それは今の俺達の関係を如実に表しているようで、謎の焦燥感に襲われた。あと一歩近付けば届くのに、その一歩が踏み出せない。
散々拒絶され続けているくせに、これ以上拒絶されるのが怖いだなんて。俺は自分が思っていたよりもずっと臆病者だ。


「もう、遅いんだよ。全部」
「…名前、」
「どうして、もっと早く気付いてくれなかったの…、」


静かながらも叫んでいるみたいに響いたその声音が、俺の心臓を容赦なくぐさりと突き刺す。だらだらと血が溢れ出ているのを感じているみたいに熱い胸。いっそこのまま死んでしまった方が楽なんじゃないだろうか。そんな馬鹿な考えすら浮かんでしまう。
そこまで考えて、はっとした。この後に及んで、俺はまだ自分の愚かさを恥じていないではないか。まるで自分が悲劇のヒロインになったかのように傷付いたフリをして。俺よりも心臓がズタズタに引き裂かれているのは、名前の方なのに。そんなことにも気付けねぇから、俺は駄目なんだよ。


「もう泣かさねぇから。約束は絶対に守るから。信じてくれ」
「……もう、信じるの疲れちゃったよ」


ごめんね、と。名前はちっとも悪くないのに、なぜか謝ってきた。俺はどこまでも駄目な男だ。縋り付くことに必死すぎて、名前の悲痛に歪んだ表情に気付くことすらできなかったなんて。
衝動に駆られるまま、名前との距離を埋めるべく一歩近付き、立ち尽くす名前を胸の中におさめる。拒絶をされなかったことに安堵したのも一瞬のことで、いつもなら背中や腰に回ってくるはずの細い腕がいつまで経ってもだらりと垂れ下がったままなことに気付いて、絶望した。
一方的に抱き締めてもただ虚しいだけだということを、身をもって知る。温かいはずの名前の体温が、なぜかひんやりとしているように感じるのは俺の気のせいだろうか。


「話はもう終わり?」
「名前、本当にこれで……これで、」


終わりなのか?と。問うことは躊躇われた。終わり、という単語を口に出すことが怖かったのだ。それを肯定されるのが、なんとなくでも分かっていたから。
無意識に名前を掻き抱く腕に力がこもる。勿論と言うべきか、温もりが返ってくることはない。


「最後だって、言ったでしょう?」


静かに、けれどブレることなく凜とした響きをもった声音が、残酷にも俺の耳に届く。どんな表情をしているのかと思い抱き締めていた腕の力を緩めてその顔を見れば、眉尻を下げつつも馬鹿みたいに綺麗に笑う名前がいて、息が止まりそうになった。
こんな時に笑うなよ。ああ、こんな時だから、か。名前は、俺がどうやったら傷付くか知っている。そして同時に、どうやったら傷付かずに済むかも知っているのだ。


「今までありがと…、っ、」


自らの唇を名前のそれに押し当てて、離す。ごめん、なんて何回言っても足りない。好きだとか愛してるとか、そんな言葉だけじゃ伝えられないぐらい俺の心を支配していた最愛の女。その相手を手放すことになったのは、全て俺のせいだ。
ありがとう、なんて言うな。それはこっちのセリフだろ。けれど俺が紡ぐのは、ありがとうじゃない。何度繰り返しても足りない、謝罪の言葉だけだ。


「ごめんな。幸せにしてやれなくて」
「…、」
「ごめんな…、」


まだ、愛してて。
言いかけた言葉は、口から零れる寸前で飲み込んだ。今更どの口が、愛してる、なんて言えるのか。名前の言う通り、もう全て遅いのだ。
名残惜しくてたまらないけれど、抱き締めていた身体を離す。後ろ髪引かれる思いで玄関まで進んだ俺を、律儀にも見送ってくれる名前は、やさしい。やさしいから、こんなにもつらい。至福に感じていたこの空間が、俺を苛むのも、つらい。


「じゃあ、な」
「鉄朗、」
「ん?」
「私、ちゃんと幸せだったよ」


ほら、まただ。優しさがこんなにも痛い。いっそのこと、最低な男だった、もう二度と顔も見たくない、と。俺を切り捨ててくれたら良いのに。名前がそんなことをするようなヤツじゃないってことは分かっているけれど、それを望んでいた。
唇を噛み締めて、最後に頭をポンと撫でる。


「今までより、幸せになれよ」


精一杯の俺の強がりは、名前に悟られていなかっただろうか。無理に口角を上げたからきっと下手くそな笑顔だっただろうけれど、それは仕方がないと思ってほしい。
引き止められることはなく、バタン、と閉じた扉。その向こうで、名前は果たして何を思い、どんな表情をしているのだろう。願わくば、少しぐらい悲しんでいてほしい、なんて。傲慢にもほどがあるな、と嘲るしかなかった。
扉に背中を預けて、ずるずると地面に座り込む。男のくせに、とか。こんな場所で、とか。そんなことを気にする余裕もなく。俺は声を出さないように気を付けながら俯いて、みっともなく泣いた。
好きだった。愛していた。それは今も、きっとこれからも。後悔しても遅いことは分かっている。それでも今俺にできることは後悔だけだから。これからも勝手に想い続けることを、許してはくれないだろうか。
頬を伝った雫が、冷たいコンクリートを濡らす。こういう日は真っ暗な闇に姿を隠してほしいのに、眩しいほど輝く月がそれを良しとしてくれない。ああ、あの月は名前に似ているな、なんて我ながら似合わないことを思って。俺はまた、声にならない叫びを上げた。
ぜんぶ、さよなら。

みあ様より「黒尾中編「ラスト・ロマンス」悲恋バージョン」というリクエストでした。この中編の結末は最後までどちらにしようか迷っていたので別バージョンも書けてとても満足しています!基本的にハッピーエンド至上主義ではありますが、たまにはこういうパターンもいいですね。この度は素敵なリクエストありがとうございました!
2017.07.28


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