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※社会人設定


仕事というのはなんでこんなにも疲れるのだろう。社会人になってからひしひしと実感した。お金を稼ぐというのはとても大変なことだ、と。
新人の頃はただガムシャラに仕事に向き合って、早く慣れようと必死になっていたから分からなかったけれど、勤め始めて3年も経つと自分の働いているところの忙しさが尋常ではないことに漸く気が付いた。
このご時世、きっとどこに勤めても残業なんて当たり前。そんなこと重々承知だ。けれど、働けど働けど終わらない仕事と毎日向き合うのはそろそろ限界で。私は俗に言う花の金曜日である今日も、夜の9時になろうかという頃にやっとのことで家に帰ることができたのだった。
重たい足を引き摺って玄関の扉を開けると、家の中は明るくて良い匂いまでしている。もしかして、と思い急ぎ足でリビングへ向かうと、そこには私の予想通り恋人である一静の姿があった。


「おかえり」
「ただいま…今日、来るって言ってたっけ…?」
「いや。サプライズってやつ?」


いつもと変わらず飄々とした雰囲気を身に纏いながら台所から顔を出した一静は、悪戯っぽく笑った。一静だって仕事で疲れているだろうに、何時に帰ってくるかも分からない私のために夜ご飯を準備して待っていてくれたらしい。
付き合って1年弱。お互いの性格もなんとなく把握できてきた。きっと一静は、私がそろそろ弱音を吐きたくなっている頃だと察知したのだろう。いつも思うけれど、一静は私には勿体ないほどのいい男だ。


「風呂入ってくる?」
「ううん、先にご飯食べよ。お腹すいちゃった」


一静は私の返事をきくとすぐに夜ご飯を準備してくれた。2人で手を合わせて、一静が作ってくれたご飯を食べる。料理はお互いできるけれど、基本的に2人で食べる時は私が作るから、一静の手料理をいただけるのは中々レアだ。私のために作ってくれたのだと思うと、美味しさもひとしおである。
食事を終えて洗い物をしようとする私を、一静は強引にソファに座らせ、今日はもう働くの禁止だから、と笑う。ほんと、一静は私を甘やかすのが上手だ。
どうせやると言っても聞いてくれないことは分かっているので、私はお言葉に甘えてソファに座り、ぼーっとドラマを眺める。ドラマなんて毎週続けて見ることはできないので、当たり前のことながら展開がさっぱり分からない。


「1週間お疲れ」
「…一静もね」
「はい、ご褒美」
「わ!これ、私が好きなやつ!」


洗い物を終えた一静がテーブルの上にコトリと置いたのは、私の好きな缶チューハイ。隣に座る一静は手に缶ビールを持っていて、既に乾杯の体勢に入っている。
乾杯をしてから喉に流し込んだお酒の美味しさは、1日の疲れを癒すには十分だった。大人になっていい事なんかひとつもないと思っていたけれど、お酒の美味しさが分かるようになったことは唯一の救いかもしれない。
お酒が入ったこともあってか、私の口は勝手に仕事の愚痴を零し始めていて、止めようと思っても止まらなくなってしまった。それを、嫌な顔ひとつせずに聞いてくれる一静は、どれだけ心が広いのだろう。私が逆の立場だったら、きっとこんな風に聞くことなんてできないだろうなあ。
一通り上司や部下の悪口を吐露したところで、私はやっと口を噤んだ。なんだか随分とすっきりしたような気がする。


「ちょっとは回復した?」
「…うん…ありがと。私、もしかして結構態度に出ちゃってるのかなあ…」
「たぶん会社の人は気付いてないと思う。名前、わかりにくいから」
「そう?一静にはすぐバレちゃうのにね」


ぐびぐびと缶チューハイを流し込みながら、私は自嘲気味に笑う。こういう時、本当にいい女だったら弱っていたり疲れている様子なんて見せないんだろう。どうせ働いているなら、カッコいいキャリアウーマンになりたかったけれど、そんなの夢のまた夢だ。
そんなことを考えながら少し落ち込んでいると、突然一静に持っていた缶チューハイを取り上げられた。なんで?と思う暇もなく身体を抱き竦められ、私の目の前は一静でいっぱいになる。


「俺だけが名前の限界に気付けるの、結構嬉しいんだけど」
「…そうなの?」
「特別っぽいじゃん?」
「そりゃあ彼氏なんだから特別だよ」


どれだけ仕事で疲れていても、こうして一静の体温を感じるだけで疲れが吹き飛んでしまうのだから、私ってやつは単純だ。
暫くそうして大人しく抱き締められていたけれど、私は唐突にそういえばと思い出して一静から離れる。明日は確か2人でどこかに遠出をして楽しもうと話をしていた。まったり過ごす時間は正直とても居心地が良いしもう少し抱き締められていたかったけれど、明日に備えて早く休まなければならない。


「お風呂入らなきゃ」
「急にどうしたの」
「明日。どこか遠出してみようって言ってたよね?」
「ああ…」


そんなことか、とでも言いたげな表情でソファから立ち上がった私を見遣る一静は、テーブルに置いていたビールを再び口に運んだ。たったそれだけの動作なのに、一静がやるとやけに色っぽく感じてしまうのはなぜだろうか。


「それは今度でいいから。明日はゆっくりしよう」
「え?でも…一静行くところとか考えてくれてたんじゃ…」
「だから、それは今度でいいよ」


名前が元気な時に行こう、と。優しい声音で言った一静は、私の手を取って自分の足の間に座るよう導いてくる。すとんと腰をおろすなり背後から腰回りに回された腕と、肩にのし掛かる心地良い重み。


「風呂、一緒に入ろうか」
「え?」
「今週末は名前を甘やかすことに決めたから」
「何それ…」
「手始めにお背中流しますよ、お姫様?」


私はお姫様なんて柄じゃないし、そういう扱いをされるのはむず痒くて苦手だけれど。一静にならたまにはお姫様扱いされても良いかもな、なんて浮ついたことを思う。


「お風呂あがったらアイス食べたい」
「そう言うと思ったから買ってきてる」
「一静ってエスパーなの?」
「名前のことに関しては?」


私の王子様は思っていた以上にできる男だったようで。私が望むものを全て与えてくれるつもりらしい。
背中越しにじんわり伝わる一静の心地良い体温が、私の疲れをどろりどろりと溶かしていくような感覚とともに、襲いくる睡魔。お風呂もアイスも捨てがたいけれど、このまま眠ってしまいたいなあと思ったところで、追い打ちをかけるようにゆるゆると頭を撫でられた。


「このまま寝てもいいよ」
「んー…お風呂と…アイス……」
「それは明日でも良いから」
「でも…一静…動けなくなるよ……」
「俺もこのまま寝るから」


背後の一静に身体をあずけてうつらうつらしてしまう私を、尚も撫で続ける一静の手。おやすみ、と囁かれた一静の一言を境に、私は幸福感に浸りながら夢の中へと意識を手放した。
王子様の美学に酔う

ぺぺ様より「社会人、仕事で疲れた彼女を癒す松川」というリクエストでした。癒すというより甘やかしているだけですがご期待に添えているでしょうか?包容力満点の松川…とても滾りました…!この度は素敵なリクエストありがとうございました!
2017.05.09


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