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初めて落ちた恋の事情06

プロジェクトが軌道に乗って喜ばしいことではあるのだが、そのおかげで取引先の企業との連携作業はほとんどなくなってしまった。つまりそれは、仕事で名字さんに会える機会がめっきり減ってしまったということで。俺は毎日、覇気のない生活を送っていた。
打ち上げの帰り道、勢い余って名字さんに本気で好きだと伝えたものの、酔っていたばかりに信じてもらえなかった。俺としては、酔っていたとは言え名字さんに対する気持ちはホンモノだったので、あんなに辛辣な対応をされたのはショック以外のなにものでもない。まあ確かに、伝えるタイミングとして最悪だったという自覚はある。
今までの俺だったら、もっとスマートに女の子にアプローチして、スムーズに距離を縮めて、今頃楽しい恋人ライフを送っている頃だと思うのだが、名字さん相手には全く上手くいかない。これは一体どういうことだ。それだけ俺が名字さんにハマりすぎて冷静さを欠いているということなのだろうか。
俺は意を決してスマホを取り出すと、名字さんとのトーク画面を開いて、今度は粗相がないようにと慎重に言葉を選びながら文字を打っていく。今ここで何もしなければこの関係は変わらない。ならば、玉砕覚悟でぶつかるしかないと腹を括ったのだ。


“打ち上げの時は迷惑かけてごめんね。お詫びと言ってはなんだけど、俺の奢りで、2人で夜ご飯でもどうかな?”


内容、おかしくないよね?2人でご飯ってちゃんと打ったから以前のように仕事関係の食事と間違えられることはないだろうし、チャラチャラした文章にならないように頑張ったし。…よし、これでいこう。俺は送信ボタンを押して、はあああ、と深く息を吐いた。メッセージを送るだけでこんなに緊張したのは初めてだ。
それからの俺はというと、返事がないか気になって仕方がなくて、あまり仕事に集中できなかった。ミスはしていないものの、今日の及川君は調子でも悪いのか?と、上司に心配される程度には作業効率が悪くなっていたらしい。そんなこんなで漸く仕事がひと段落した俺は、やっとのことでスマホを確認することができた。
恐る恐る画面を見ると名字さんからの返事が来ていて、俺は会社であることを忘れて小さくガッツポーズをする。無視されなかっただけでも万々歳だ。


“及川さんに奢ってもらうほど迷惑をかけられた覚えはないので遠慮しておきます。”


…うん、なんとなく断られるだろうなって思ってたけどさ。よそよそしすぎない?先ほどガッツポーズをした自分が恥ずかしくなるほど、見事に玉砕である。いや、ここで諦めたらダメだ。どうにかして名字さんに俺が本気であることを伝えなければ。
俺は必死になって文字を打ち込む。


“ごめん。お詫びしたい気持ちがあるのは本当だけど、俺が名字さんと2人でご飯に行きたいだけなんだ。1回だけで良いから、付き合ってよ。”


自分でも情けないとは思うが、もはや素直に気持ちを伝える以外の方法が思い浮かばない。送信すると数分で既読マークがついて、俺は固唾を飲んでスマホを見つめる。まだ仕事は残っているが、それどころではない。


“1回だけですからね。明後日の夜なら空いてます。”


なんということだろう。難攻不落と思われた名字さんが、条件付きとは言え、俺と2人で夜ご飯に行ってくれるというのだ。これほど嬉しいことはない。たとえ今は1回だけだと言っているとしても、その1回でどうにかすれば2回目があるかもしれない。俺は俄然やる気になってきた。


“明後日の夜、そのまま空けといてね!仕事終わったら連絡するから絶対にご飯行こう!”


興奮が抑えきれぬまま文章を打ってしまったので最初に送った文面とはえらい違いになってしまったが、この際それはどうでもいい。俺は鼻歌を歌いつつデスクに戻ると、上機嫌で仕事を片付け始めた。明後日、どんなお店にしようかな。好きな食べ物って何だろう。仕事をしつつも頭の中は明後日の方に飛んで行ってしまって、俺はその日からの2日間、浮かれ気分のまま過ごしたのだった。


◇ ◇ ◇



約束の日の夜。気取りすぎない方が良いかなとか考えていたくせに、俺が最終的に選んだお店はそれなりにきちんとしたイタリアンレストラン。仕事終わりの名字さんと合流して挨拶もそこそこに歩き出し、到着したお店を見るなり名字さんは僅かに眉を顰めた。やっぱり、ちょっと気合い入りすぎ?


「てっきり居酒屋かと思ってました」
「イタリアン嫌い?」
「…いえ」
「良かった」


名字さんは、こうなったらもう好きにしてくれと言わんばかりに、俺が開いたドアの向こうに入って行く。案内された席に座ってお互いに料理を頼み、乾杯をして、訪れた沈黙。名字さんはどこを見つめているのか、その視線はずっとテーブルの上に注がれたままだ。


「強引に誘ってごめんね。付き合ってくれてありがとう」
「…1回だけということでしたから」
「あのさあ、なんでそんなに俺と距離を置こうとするの?それとも誰にでもそんな感じ?」


この際だからウザがられるのを覚悟で思い切った質問を投げかけてみる。すると名字さんはチラリと俺の方に視線を向けた後、すぐに目を伏せて大袈裟に溜息を吐いた。


「及川さんの方こそ、どうしてそんなに私にこだわるんですか。及川さんなら選り取り見取りでしょう」
「…俺は確かにチャラチャラしたヤツかもしれないけどさ。名字さんのことは本気なんだよ、これでも」


今日はお酒は飲んでいない。打ち上げの日のようにあしらわれる理由はないはずだ。これ以上ないってほど真剣な表情で名字さんを見つめていると、なんともタイミングの悪いことに料理が運ばれてきて、緊張の糸が解ける。店員さんに罪はないが、もう少し待っていてほしかったというのが正直なところだ。
名字さんは俺の発言を聞かなかったことにでもするつもりなのか、いただきます、と手を合わせてから食事を始めてしまったので、俺も渋々料理を口に運ぶ。食事に集中しているのだろうか。名字さんは全く口を開かない。
そんなわけで、無言のまま、あっと言う間に食事は終わってしまって、貴重な2人きりの食事は呆気なく幕を閉じた。お会計をする俺にお金を返そうとしてくる名字さんをやんわり押し留めて店を出ると、生温かい風が俺達の間をすり抜けて行った。これで終わりとか、虚しすぎるんですけど。


「今日はご馳走様でした」
「うん…家まで送るよ。暗いし」
「いえ。大丈夫です」
「俺がそうしたいの」


かなり強引ながらも、少しでも長く名字さんと過ごしたい俺は、若干迷惑そうに顔を顰めている名字さんの隣をゆっくり歩く。そんなに俺、嫌われるようなことしたっけ?やっぱりチャラチャラしてるように見えるから?


「そういえば敬語、抜けないね」
「……そうですね」
「約束したのに。残念。もっと名字さんと仲良くなりたいんだけどなあ」


俺が何の気なしにそう零した時だった。隣を歩いていた名字さんが大きく息を吐いて立ち止まった。俺もつられて立ち止まり名字さんの表情を窺うと、その顔は今まで見たこともないほど冷め切っていて驚いてしまう。
目をパチパチさせている俺をよそに、名前さんは冷たい視線を俺に向けてくる。何?もしかしてしつこすぎて怒ってるとか?


「いい加減、私で遊ぶのやめてもらえない?」
「え…、」
「本気とか言うけど、どうせ誰にでも言ってるんでしょ。そもそも私のこと好きになった理由って何?仕事中に向けた笑顔で一目惚れしたとか言わないでよ?あんなの営業用スマイルだから」
「名字さん…?」
「素の私、こんなのだから。分かったらもうしつこく言い寄ってくるのやめて。遊び相手とか願い下げだから」


あまりの衝撃に言葉を失う。なんというドライな物言いなのだろう。仕事モードの名字さんとは全く違うそのキャラクターに、驚きを通り越して感心すらしてしまう。なるほど、仕事中に見せてくれた笑顔の違和感の正体はコレだったのかと、漸く合点がいった。こんな一面を隠していたなんて、相当大変だったことだろう。
俺は明らかに雰囲気の変わった名字さんを見て、思わず声を出して笑ってしまった。こんなの予想だにしていなかったし、ギャップがありすぎて笑う以外の反応の仕方が分からない。いや、でもなんか、すごい親近感。こっちの名字さんの方が断然良い。
この俺の反応には、名字さんも予想外だったのか、ギョッとしている。


「あーびっくりした。名字さん、急にタメ口になったと思ったら凄いこと言い出すんだもん。ギャップやばいね」
「…だからタメ口で話さなかったのに…」
「仕事モードの名字さんより、俺は今の名字さんの方が好きだよ」


俺は笑いすぎて滲んだ涙を拭いながら、素直に思ったことを伝えた。するとどうだろう。名字さんは、それはそれは驚いた顔をしたかと思うと、呆れたように表情を崩して、笑った。それは、いつもの貼り付けたような笑顔じゃなく、素の表情だったと思う。


「引かないの?」
「いいと思うよ、オンオフ使い分けるの。名字さんほどじゃないけど、俺も多少使い分けてるし」
「…あ、そう」
「ねぇ、さっき遊び相手は願い下げって言ってたけど、本気なら良いの?」
「……イケメン苦手だから」


名字さんの発言に、俺は固まる。この容姿で困ったことは一度もない。が、今この瞬間、俺は自分の容姿を心底恨んだ。まさか整形するわけにもいかないし、見た目はもはやどうしようもない。まさかイケメンであるがゆえにフラれる日が来ようとは思っていなかった。
がっくりと肩を落とす俺を無視して、名字さんは歩き出す。どうやら帰るらしい。俺は慌てて名字さんの後を追う。


「ここで大丈夫です」
「え?でも、」
「及川さんってチャラチャラしてるなとは思いましたけど」
「は?」
「イケメンではないと思いますよ」
「……へ、」
「それでは」


完全に仕事モードに戻ってしまった名字さんはよそよそしい敬語で俺にそう言い捨てると、颯爽と去って行ってしまった。残された俺はというと、その場に根が張ったように動けない。
イケメンじゃないって初めて言われたけど、それってつまり、俺にはまだチャンスがあるってことだよね?わざわざそんなこと言い残して行くんだから、諦めなくて良いってことだよね?
よくよく考えてみたら、俺を諦めさせるためとは言え、あんなにひた隠しにしてきた素の名字さんを見せてくれたのだから、これは大きな進歩なんじゃないだろうか。それにこれはある意味、秘密の共有とも言えるだろう。勿論、誰かに素の名字さんのことを暴露するつもりなんてないけれど、俺だけが本当の名字さんを知っているのだと思うと口元が緩んでしまった。
こうなったら、名字さんが振り向いてくれるまでトコトン攻めてやろう。こっ酷くフラれるまでは諦めてやらない。いつの間にかこんなにも名字さんに夢中になっていた俺は、そんなことを決意しながら、生温かい風を切りつつ、自宅の方向を目指して歩き出した。