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初めて落ちた恋の事情05

ゴールデンウィークが終わり、今日は待ちに待った打ち上げの日だ。俺は幹事という特権を利用して少し早めに退社させてもらい、打ち上げ会場となる居酒屋に来ていた。席は自由に座ってもらえば良いし、人数の変更もない。あとは来た人から順番に会費を徴収して会計さえ済ませることができれば、俺の幹事としての仕事は終了だ。
開始時刻が近付いてきて、ぽつぽつと参加者が集まる中、名字さんも他の女性社員に混じってやって来た。会費を渡してきた際、幹事お疲れ様です、と名字さんに声をかけられただけで、この打ち上げを企画して良かったと心から思った。
そうして開始時刻を少し過ぎた頃。ほぼ全員揃ったところで飲み物を注文し、俺の音頭で乾杯をする。今夜は無礼講で楽しみましょう!と言ったこともあってか、場の空気はとても賑やかでいい感じだ。広い座敷席を貸し切っているだけあって、席は既にあってないようなもので、皆それぞれに酒の入ったグラスを持って思い思いのところへ散らばっている。
そんな中、名字さんは出入り口近くの机の前で、店員さんが運んできた料理をせっせとテーブルの上に並べていた。なんと気が利く子なのだろう。益々好感度が上がってしまうではないか。俺はそれを手伝いながら、さり気なく名字さんの隣に腰を下ろした。


「ありがとう。名字さんって気が利くよね」
「そんなことないですよ。普通です」


何気ない会話を切り出したからだろうか。それとも、職場を離れて飲み会という席だからだろうか。名字さんの仕事中に感じるピリピリした空気は幾分か和らいでいて、俺のことを牽制している素振りは見られない。
ここで調子に乗ると電話事件(俺の中ではそう呼んでいる)の二の舞になり兼ねないので、俺は当たり障りない会話を続ける。
プロジェクトうまくいきそうな感じで良かったね。これからが本番だけどまた頑張ろうね。あ、お酒少ないけど何か飲む?これ美味しいよ。食べる?
名字さんは、はいとか、いいえとか、そうですねとか、ありがとうございますとか、そんな返事しかしてくれなかったが、俺の隣から去っていく気配はない。まあ俺が矢継ぎ早に話しかけているから、逃げたくても逃げられないのかもしれないけれど。
俺は柄にもなく緊張しているせいか、無意識のうちにお酒を飲むペースが早くなっていた。飲んでも飲んでも喉がカラカラに乾いてしまう。さて、名字さんもそれなりにお酒を飲んでいていい感じに酔いも回ってきた頃だろうし、少し踏み込んでも良いだろうか。


「あのさ、今日は無礼講って言ったじゃん?」
「それが何か?」
「……今だけでもタメ口で話してよ」


よそよそしい敬語はもう聞き飽きてしまった。もっと名字さんに近付きたい。その一心で、懇願するように言ってみる。すると名字さんは、少し目を見開いてから視線を落とした。


「急にそう言われても…すぐには変えられませんよ」
「…そっか。まあそうだよね。ごめんごめん」


なんとなく、そう言われるような気はしていた。だから、そこまでショックじゃない…と思うことにしよう。申し訳なさそうにしている名字さんを見ると、なんだか責めているような気持ちになってしまって、俺はわざと明るい調子で謝る。
もうこうなったらヤケだ。俺はジョッキに残っていたビールを一気に飲み干した。なんとなく気まずくなってしまったし、今日のところはこれ以上関わらない方が良いだろうか。周りは騒がしいのに俺達の間には妙な沈黙が流れていて、それに耐えかねた俺が席を立とうとした時だった。
でも、と。名字さんが小さな声で呟くのが聞こえた。立ち上がりかけていた俺は再びその場に座り直して、名字さんの続きの言葉を待つ。


「でも、約束したので…努力はしてみます」
「約束?」
「初めて会った日…応接室で。仕事の時以外はタメ口で話すって…約束、しましたよね?違いました?」


キョトンとした顔で俺を見てくる名字さん。いや、覚えてるよ。覚えてますけど。あの時の俺は押せばどうにかなるかなーという軽い気持ちで言い出しただけだったし、よくよく考えてみればかなり強引に取り付けた、約束とは言い難いものだった。だから名字さんは、そんなこと覚えていないと思っていたのに。
名字さんの口から、約束、という言葉が出てきただけでテンションが上がってしまう。だってなんか、特別な関係みたいじゃないか。


「違わない。約束、覚えてるよ」
「…今後、善処します」
「はは…堅いね。いいよ。ゆっくりで」


なぜだろう。たったこれだけのことで凄く気分が良い。あんなに避けられていたはずなのに、今日はこんなにも普通に話せているし、タメ口で話してくれる努力までしてもらえることになった。お酒の力って素晴らしい。
俺はそれから、他の社員達に乗せられたこともあってかなりお酒を飲んだ。なんて楽しいんだろう!飲んで食べて飲んで飲んで飲んで…気付いたら俺は、頭がクラクラするほど酔っていた。心なしか足元もふわふわしている。
こんな状態でも幹事の仕事だけはやり遂げなければと、俺は会計を済ませると、時間も時間なので皆を店から追い出して解散を告げた。まだ飲み足りないと2軒目に行く人やカラオケになだれ込む人、明日も仕事だからと帰宅する人など、それぞれが思い思いに行動する中、俺はどうしようかなあと考える。
調子に乗って飲み過ぎてしまったし、明日も仕事だ。ここは帰るのが無難かな。俺は2軒目やカラオケのお誘いをやんわり断り、自宅の方を目指して歩き出した。お酒で火照った身体はただでさえ熱いのに、まだ5月とは言え、風は生温くて今日は少し気温が高い。俺は元々緩んでいたネクタイを更に緩めて、とぼとぼと歩く。
名字さんとは、結局あれから話せずじまいに終わってしまった。そういえば店を出た後、名字さんはどうしたのだろう。頭がぼーっとしていたせいで、確認するのを忘れてしまった。でも、名字さんは二次会とか行きそうにないよなあ。


「及川さん、危ないです」
「え?あ、え?名字さん…?」
「ぶつかりますよ」


言われて立ち止まれば、俺の足元にはゴミ袋の山。名字さんに声をかけられていなければ、俺は危うくゴミの中に突撃するところだった。お礼を言って進行方向を修正し再び歩き始めたものの、半歩後ろを歩く名字さんのことが気になって仕方ない。
なんで俺の後ろにいるの?もしかして俺が酔ってるから心配で追いかけてきてくれたとか?そうだとしたらそれって結構いい感じじゃない?
お酒の酔いとは違う意味でふわふわしてきた俺は、わざと歩く速度を落として名字さんの隣を陣取る。名字さんはチラリと俺の方を見たけれど、何も言わなかった。


「俺のこと、追いかけてきてくれたの?」
「私の家もこっちなので、たまたまです」
「あ、そう…」


なんだ。たまたまか。まあ冷静に考えればそれが当たり前だよな、と少しがっかりしたが、たまたまとは言え一緒に帰れるなんてラッキーじゃないか。俺は無理矢理、良い方向に考えることにした。


「折角だから家まで送るよ」
「……どちらかと言うと私が送った方が良い雰囲気ですよね?」


ほんの少しだけ俺の足元を見た後で呆れたようにそう言った名字さんは、小さく息を吐いた。確かにちょっとフラついてるし、さっきゴミ山に突っ込みそうになったけど。名字さんを送るとなればしっかりできる…と思う。


「なんか…人生ってうまくいかないよね…」
「何かあったんですか?」
「……4月に入ってからうまくいかなくて。仕事以外のことが、さ」


ていうか名字さんのことなんですけどね!と、一思いに言ってしまおうかとも思ったけれど、そんな勇気はなかった。俺の意気地なし。
名字さんは俺の発言を聞いて何かを考えているようで、もしかして勘付いてくれたのかな?と、淡い期待を抱く。いや、駄目だ。期待すると必ずと言っていいほど裏切られてヘコんできたじゃないか。


「及川さんみたいな人は、これからうまくいくんじゃないんですか」
「え…、」


今までの空気から一変、何の抑揚もないトーンで言われたものだから、俺はその場に立ち止まってしまった。今のって名字さんが言ったんだよね?別人みたいじゃなかった?俺の気のせい?…じゃないよね。
名字さんは急に立ち止まった俺に気付いて、慌てて俺の方を振り返った。その顔からは、今まで見たことがないぐらい焦っていることが窺える。


「ごめんなさい、私なんだかぼーっとしてて…、酔ってるんですかね」
「いや…全然、いいけど…」


誤魔化すように笑う表情は、なんというか嘘っぽい。初めて会った時も感じた違和感。笑顔が、笑顔じゃない感じ。あれってやっぱり、俺の勘違いじゃなかったんだ。


「ねぇ名字さん、」
「…何でしょう?」
「俺、名字さんのこと本気で好きかも」
「は?」


もっと名字さんのことが知りたい。こんな貼り付けたような笑顔じゃなくて、心の底から笑ったところを見てみたい。他の誰も知らない名字さんを俺だけのものにしてしまいたい。
そんな欲がムクムクと膨れ上がって、俺は自分の意思に反してうっかり告白をしてしまった。名字さんは案の定、もの凄く怪訝そうな顔をしている。


「及川さん…酔った勢いでそういうことを言うのはやめた方がいいですよ。タクシーひろいますね」
「え、いや、本気なんだけど、」
「酔っ払いの言うことは信じない主義なので」


にっこり。という擬音が付きそうなほど綺麗な笑顔を見せた名字さん。いやもう、なんていうか、笑顔は笑顔なんだけど明らかに目が笑ってないし、たぶん笑うつもりもないんだと思う。
俺が反応に困っている間に、名字さんはさっさとタクシーをひろって、その中に俺を押し込んだ。扱いが突然雑になったんですけど。飲み会の席でのあの柔らかい空気は一体どこへいってしまったのだろう。


「幹事、お疲れ様でした。おやすみなさい」
「名字さん!さっきの!本気だから!」


バタン。虚しくもタクシーの扉が閉まる。どこまでですか?と呑気に尋ねてくる運転手に、なんで扉閉めたんですか、という恨みを込めてじとりとした視線を送ってみたけれど、気分悪いんですか?吐きます?などと言われてしまえば、イライラしている自分がアホらしくなった。俺が大丈夫です…と、返事をしてから自宅の住所を伝えると、車はゆっくりと進み出す。車の窓の向こうに目をやると、名字さんの姿はもう見えなくなっていた。
名字さん…信じてくれなかったなあ。また避けられちゃうのかなあ。ていうか、あのドライな名字さんはなぜ出現したのだろう。俺、なんか怒らせるようなこと言ったっけ?そもそもあんなキャラなの?だとしたらいつもの仕事中の名字さんって何?
タクシーに揺られながら次々と浮かんでくる疑問。けれど、当たり前のことながら答えは見つからない。ただひとつ言えるのは、今日の一件で俺が益々名字さんに惹かれてしまったということだ。


「どう落とすかなあ…」


俺の呟きに、何か落としました?と尋ねてくる空気の読めない運転手は無視だ。俺は車窓越しに流れる景色を眺めながら、明日からの攻め方をひたすら考え続ける。酔っていてクラクラしていたはずの頭は、いつの間にかすっかりクリアになっていた。