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密かに燃える愛の事情07

名前ちゃんにフラれてから、俺は文字通り抜け殻状態で仕事に打ち込んでいた。それ以外に気を紛らわせることがないのだから仕方がない。何度思い起こしても、名前ちゃんにフラれる原因が分からなくてモヤモヤする。
名前ちゃんは俺といる時、結構楽しそうだったし照れた表情も見せてくれていた。あれは全て演技だったとでもいうのだろうか。俺は最初から、名前ちゃんに騙されていたのだろうか。…いや、絶対にそれはない。根拠はないがそれだけは確信している。
そんな悶々としていたある日、岩泉から食事に誘われた。岩泉から食事に誘ってくること自体珍しいのだが、及川と花巻は抜きで、と言われて、そんなことは珍しいどころか初めてのことでかなり驚いてしまう。
これは相当大切な話があるのだろうと踏んだ俺は、個室のある居酒屋を選んで岩泉と会うことにした。別段変わった様子はないようだが、その表情は心なしか緊張しているようにも見える。


「何か相談とか?」


乾杯した後、俺は早速本題に乗り出した。岩泉は少し戸惑ってから、実は相談してぇことがあって…と、バツが悪そうに口を開いた。その口振りからすると、きっとゴールデンウィークにも不穏な空気が漂っていた彼女サンとのことなのだろう。
俺が、彼女サンのこと?と確認すると、なぜ分かった?とでも言いたげな表情で肯定されたけれど、そんなのバレバレだ。俺じゃなくて及川や花巻でも、それぐらい分かると思う。
岩泉はゴールデンウィーク以降の出来事を少しずつ俺に話してくれた。まさかそこまで事態が悪化しているとは思わず驚いてしまったが、随分と傷心中の岩泉の様子にも驚きを隠せない。


「お前ならどうする?」


岩泉は話の最後をそう締め括ると、口を噤んだ。
俺は思わず顔を顰める。どうするも何も、俺は前々から疑問に思っていた。なぜ岩泉はプロポーズしないのか。そんなに好きなら、ごちゃごちゃ考えずにプロポーズしてしまえば良い。


「あのさ、岩泉はなんでプロポーズしないの?」
「は?それは…タイミングってもんがあるだろ…」
「岩泉の思ってるタイミングっていつ?」
「………それは…、」


俺の素朴な質問を受けて押し黙る岩泉に苦笑する。どうせ具体的なタイミングなんて考えていなかったのだろう。この数ヶ月を見ていれば、そんなことはとっくにお見通しだ。
好きだと思える相手と5年も付き合っていて、ここ最近までは仲睦まじく過ごしていた2人だけに、俺はもどかしくて堪らない。岩泉がいつもの岩泉らしく行動してしまえば済むことだと思うのは、俺の勝手な憶測に過ぎないのだろうか。


「岩泉んとこ、正直ずっと羨ましかった」
「あ?」
「5年も続いてるのに喧嘩したとか聞いたことないし、穏やかそうで良いなーって」
「…おう」
「だから余計にさ、岩泉が何に迷ってプロポーズしないのか、俺には分かんないんだよね」


ビールを舌の上で転がしながら、俺は自分の思っていたことを岩泉にぶつけた。どうせ遠回しに言ったところで、岩泉にはうまく伝わらない。それならばいっそ、包み隠さず本音をぶちまけるべきだと思ったのだ。
岩泉は困り果てた様子でちびちびとビールを口に運んでいて、やっぱりらしくないなあと思う。岩泉は元々、思ったことを即行動に移すタイプだ。正しいと思ったこと、自分がこうすべきだと思ったことは、迷いなく遂行する。そんなところが、漢前と言われていた所以なのだと思う。
それが、漢気溢れる岩泉はいつしかなりを潜めてしまって、今はこの有様だ。そりゃあプロポーズなんて人生の一大決心だし、ビビる気持ちも分かる。が、ここでいつまで経っても踏み出せないなんて、それこそ岩泉らしくない。


「たぶんだけどさ、彼女サンは待ってんじゃないの?岩泉のプロポーズを」
「……そうなのか?」
「俺は彼女サンじゃないし女でもないから分かんないけど。なんとなくそんな気がする」


いまだに何か悩んでいる素振りを見せて押し黙る岩泉に、俺は尚も畳み掛ける。


「うだうだ悩むのは岩泉らしくないって。漢前代表として、先陣切って独身離脱したら?」
「なんだそりゃ」
「男は度胸…じゃなかったっけ?」
「……そんなこと言ったの、いつの話だよ…」


俺はいつか岩泉が言っていたセリフを思い出して、背中を押してやった。誰にいつ、どんな状況で言っていたのかは思い出せない。しかし、なぜかその時の岩泉の凛々しい表情だけは鮮明に思い出すことができて、あの頃の岩泉が今の岩泉を見たら、そんなことを言いそうだなと思ったのだ。
岩泉は苦笑しながらも今一度何かを思案して。やがて、何かを決意したように目をギラギラさせた。やっと、いつもの岩泉に戻ったようだ。


「決めた。今度こそプロポーズする」
「お。……やっとらしくなったな」
「おー。悪ぃな、世話かけた」
「いーえ」


どうやら今度こそ本気らしいことは表情を見れば分かったので、俺は続いて、自分の相談を持ちかけてみることにした。岩泉なら直球で何かしら参考になることを言ってくれるかもしれない。


「その代わりと言っちゃなんだけど、俺の相談にものってくんない?」
「俺が助言できることなんてたかが知れてるぞ…?」
「いーのいーの」


俺は笑いながらそう言ってから、名前ちゃんとの一連の出来事について話した。岩泉は何やら気難しそうな顔をして話を聞いていたが、全てを話し終えたところで信じられないことを口にした。


「松川は優しいよな」
「………それ、フラれた子にも言われたんだけど。優しいって何?どこが?」


まさか岩泉に、優しい、なんて言われる日が来ようとは夢にも思わなかった。俺のどこが優しいのだろう。名前ちゃんも言っていたけれど、俺はちっとも優しくなんかないのに。


「常に自分より相手優先っつーか。フラれた時も、結局は無理強いしたらその子を困らせるって思ったから引き下がったんだろ」
「…まあそれもあるけど。みっともないところ見せるのはどうかなって思ったのもある」
「俺ならたぶん、ちゃんとした理由きくまで納得できねぇ。相手のこと考えてる余裕なんかねぇよ」


岩泉の言葉に、俺は口をポカンと開けてマヌケヅラで固まってしまった。俺にだって余裕なんかない。あの時だって、みっともなく縋りつこうとしたのを必死に堪えたのだ。大人だったら、ここで引き下がらなければならない。そう思ったから。
けれどそれが、裏目に出てしまったのかもしれない。その程度なのだ、と。名前ちゃんに勘違いさせてしまったのかもしれない。俺は思わず笑ってしまった。


「あー…うん、なんか岩泉らしいわ」
「嫌いじゃねぇって言われたんだろ。じゃあ付き合えねぇ理由さえどうにかすりゃ良いだけの話だ」


どうやら岩泉は本調子に戻ったのか、やたらズケズケとカッコイイことを言ってくれる。そう簡単にうまくいくもんじゃないとは思うが、こうもスッパリ言われてしまうと悩んでいる自分が馬鹿馬鹿しくなってしまう。


「…岩泉ってさ、人のことになると急に漢前発揮するよね。……自分はプロポーズできないってさっきまでうじうじしてたくせにさー?」
「ウルセェ」


そのことにはもう触れてくれるなと言わんばかりに、好物の揚げ出し豆腐に手を伸ばす岩泉を見て、俺はふとした疑問を抱いた。


「岩泉は、なんで今の彼女と結婚したいの?」
「は?」


あ、揚げ出し豆腐食べねーんだ。俺の突然の質問に驚いたのだろう。食べかけの揚げ出し豆腐は皿の中に戻されてしまって、岩泉は目を白黒させながら必死に答えを考えているようだ。
相手のことが好きだからじゃねぇのか。
岩泉が照れながらボソボソと言ったセリフを聞いても、俺にはピンとこない。お互い好きだとしても、結婚しないカップルは幾らでもいる。俺は枝豆をむしゃむしゃと食べながら名前ちゃんのことを考えてみた。
名前ちゃんのことは好きだ。結婚したいかと尋ねられたら、迷わずイエスと言えるぐらいには惚れている。しかしそれは、いっときの感情ではないだろうか。後々、結婚しなければ良かったとか思ったりするんじゃないだろうか。
俺にはやっぱり、結婚に踏み切るまでの定義ってものが分からない。


「好きで付き合ってても結婚まではいかないパターンもあるじゃん?何がどう違うんだろうなーって思ってさ」
「そんなの、その女を他のやつのモンにしたくねぇって思うかどうかじゃねぇのか」
「………なるほどね」


岩泉の発言をきいて、胸の支えがすぅっと溶けて消えていくような気がした。一生自分のものにしておきたいと思えるほど好きかどうか。つまりは、そういうことなのだろう。さすが岩泉。プロポーズを考えている男の言うことは違う。


「やっぱ岩泉は漢前だわ」
「はあ?」
「その調子でプロポーズも頑張ってください」
「……おう。松川もな」
「はは、じゃあお互いの幸せを願って」


俺の音頭で再び合わせたジョッキ。喉を潤して胃の中に染み込んでいくビールの味は、ここ最近で1番美味いような気がした。