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密かに燃える愛の事情06

名前ちゃんの就職先が決まってから早2週間弱。5月も終わりに差し掛かっていた。きっと仕事に慣れるまでは気苦労も多いだろうから、私生活でも気を遣わせるわけにはいかないと思い、俺は敢えて自分から連絡をしなかった。
何がなくても連絡してほしい、と。あの日俺がお願いしたことに、名前ちゃんは了承してくれた。だからきっと、待っていれば名前ちゃんから連絡が来るはずだと高を括っていたのだけれど、期待とは裏腹に名前ちゃんからの連絡はぱったりと途切れている。新しい職場に慣れるのに必死なのだろう。仕方ないことだ…と、頭では理解できていても心が追い付かない。
そろそろ頃合いを見て、俺から連絡してしまってもいいだろうか。とうとう痺れを切らしてしまった俺は、自分から名前ちゃんに連絡してみることにした。本当に余裕がないなら、俺からの連絡なんてスルーするだろう。


“久し振り。仕事どう?あんまり無理しないようにね。”


シンプルに伝えたいことだけを込めたそのメッセージを送信すると、昼休憩だからなのか、すぐに既読マークがついて暫くすると返事がくる。


“お久し振りです。なかなか連絡できなくてごめんなさい。実は松川さんに相談があって連絡しようかどうか迷ってました。”
“相談なんていつでも乗るよ。またご飯でも食べながらゆっくり話そうか。”


相談、と聞いて嫌な予感がした。新しい仕事を始めたこのタイミングで相談…ね。まあ俺としては願ってもない話なので、この機を逃すまいと何食わぬ顔で食事に誘う。名前ちゃんは、松川さんの良い時にでもぜひ…と返事をくれたので、早速今晩はどうかと提案した。
結局、名前ちゃんからあっさりOKの返事をもらうことに成功した俺は、慌てて昼飯を掻き込むと昼休憩を返上して仕事に取り掛かる。名前ちゃんとの夜ご飯が待っているのだ。残業時間は極力減らさなければならない。いつもならやる気の出ない企業宛の書類作成も、こういう時だけはサクサク進むのだから俺は案外単純だ。
今日の店、どこにしようかな…。そんなことで頭の中を埋め尽くしながら、俺は黙々と作業を進めるのだった。


◇ ◇ ◇



前回と違って早めに仕事を終えることができた俺は、例の如く名前ちゃんと待ち合わせ場所で落ち合うと、近場のお店を目指して歩き出した。道中、久し振りだね、などと当たり障りのない会話をしてみるが、名前ちゃんはどことなく元気がないような気がする。
お店に着いた俺は席に座って飲み物を注文するなり、隣に座る名前ちゃんの顔を覗き込んだ。今日のお店は割とリーズナブルな居酒屋なので、通された席はカウンターだ。いつもより近い距離に少しだけ心臓の拍動が速いような気がするが、気のせいだということにしておこう。


「…で?相談って?」
「あ、あの…え、と……」
「今日元気ないよね?それと関係ある?」
「えっ…私、そんなに元気なさそうに見えました?」


ちらりちらりと視線だけ向けて俯いていた名前ちゃんは、俺の発言を聞いてくるりと顔を向けてくれた。思っていたよりも随分と至近距離に顔があって驚いたけれど、それは名前ちゃんも同じようで、折角向けてくれたばかりの顔を、また俯かせてしまう。
そのタイミングで注文していた飲み物が届き、俺はメニュー片手に適当な食べ物を注文する。食べたいものある?と尋ねると、お任せします…と、店内の賑やかな声に掻き消されそうなか細い声で返事をされた。
注文を聞き終えた店員さんが去ってからとりあえず乾杯をしたまでは良いが、名前ちゃんは何やら相談内容を言い出すのを躊躇っているようだ。きっと、何か余計なことを考えているのだろう。


「もしかして、仕事、微妙?」
「え!」
「やっぱりね…辞めようか迷ってる?」
「……ごめんなさい」
「なんで謝るの」
「だって…あんなに一生懸命サポートしてもらってやっと決まった仕事なのに…こんなに早く辞めようか迷うなんて…」


なるほど、だから言い出しにくそうだったわけか。俺はゆるりと笑みを浮かべると、申し訳なさそうに俯いたままの名前ちゃんの頭をポンポンと撫でた。下心は、たぶんない。子どもをあやすのと同じ感覚だ。
名前ちゃんは突然感じた頭への感触に戸惑っている様子で、目をキョロキョロと泳がせている。


「そんなの気にしなくていいのに。3ヶ月の試用期間って、その会社が自分に合ってるか見極めるためにあるんだから、今の内に決断するのは賢い選択だと思うよ」
「……でも、次があるかは分からないですし…」
「そうやって無理に働いてたらいつか限界がくるよ」


まあこのご時世、自分の条件に見合った就職先を次々見つけることはできないかもしれないけれど、まだ20代の名前ちゃんならチャンスはあると思う。こんな仕事をしているからこそ、その辺りの嗅覚みたいなものは人よりも優れている自信がある。


「辞めたら俺に申し訳ないとか、そういうこと思ってるならやめてね」
「……松川さん、読心術でも心得てるんですか?」
「名前ちゃんが分かりやすいだけだと思うよ」


本当に、分かりやすい。人のことばっかり考えて自分のことを後回しにしてしまう感じとか、放っておけないよなあ。運ばれてきた料理を摘みながら、俺は頬杖をついて名前ちゃんを見つめる。たぶん名前ちゃんは俺からの視線に気付いているのだろう。意識的にこちらを向かないようにしているような気がする。


「まあ最終的に決めるのは名前ちゃんだから。辞めたら辞めたで、また俺が就職サポートするし?」
「ふふ…ありがとうございます」
「やっと笑った。そっちのが可愛い」


いつかと同じように口を突いて出た言葉は、紛れも無い俺の本心で。名前ちゃんは、からかわないでください、と言いながら顔を赤らめていく。
なんていうか、さ。これはもう俺、告白とかしちゃっても良いんでしょうか。お酒少し入っちゃったけど頭はクリアだし、今ならすんなりと言えるような気がする。


「あのさ、名前ちゃん」
「はい」
「たぶん薄々気付いてると思うんだけど」
「……はい」
「俺、名前ちゃんのこと好きなんだよね」
「…は、い………」
「俺と付き合ってよ」


言ってしまえば簡単なもので、思っていたよりもずっとスムーズに気持ちを伝えることができたことに僅か感動する。名前ちゃんは俯いたまま、顔を上げない。あれ?てっきり名前ちゃんも俺のこと結構意識してると思ってたんだけど、それって俺の勘違い?


「……ごめん、なさい」
「え、」
「あの、松川さんのこと、嫌いじゃ、ないんです」
「うん」
「でも、ごめんなさい」


全く意味が分からない。嫌いじゃないなら付き合えば良いじゃないか。なんでそこで、ごめんなさいって返事になるんだろう。ああ、もしかして、嫌いじゃないけど好きじゃない、みたいなやつ?


「嫌いじゃないけど、付き合うのは無理ってこと?」
「……、」
「そっか…」


沈黙を肯定と見做した俺は、そっか、と言ったものの、納得はできていない。ただ、ここで無理強いするのは大人気ないよな、というどうでもいい理性みたいなものが働いて、俺は気分を紛らわすために料理をぱくぱくと口に運んだ。
こんなことなら告白なんかするんじゃなかった。名前ちゃんは俺の告白を断っただけに気まずそうだし、こっちはこっちで言うんじゃなかったって後悔してるし、微妙な空気が流れてしまうのも無理はない。


「ごめんね。ちょっとした出来心ってやつだから。忘れて」
「……え、」


いっそなかったことにしてしまおう。そう思って精一杯の強がりで言ったセリフに、名前ちゃんはなぜか酷くショックを受けたような表情を浮かべて見せた。なんでそんな顔してんの。フラれたのは俺の方なのに。


「……相談に乗ってもらって、ありがとうございました。私、帰ります」
「でもまだ料理残ってるから、」
「私、ちゃんと自立します。松川さんに頼らなくても良いように」
「どういうこと?」


引き止めようとする俺の言葉を遮って意味深な発言をした名前ちゃんに質問を投げかけてみたけれど答えが返ってくることなく、名前ちゃんはお金を置いて店を出て行った。さようなら、と。まるで最後の別れを告げるみたいな言葉を残して。


その日を境に、いくら連絡しても名前ちゃんからの返事はこなくなった。うまくいっていると思い込んでいた自分が馬鹿馬鹿しくなるほど呆気なく、名前ちゃんは俺を断ち切ってしまったようで。
自立するってどういう意味だろう。俺に頼らなくても良いようにって、なんでそんなことを言ったんだろう。こんな気持ちになるぐらいなら、みっともなく縋り付いてでも名前ちゃんを自分のものにしておけば良かった、なんて。俺は恋愛において初めて、途轍もない後悔を噛み締めていた。