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初めて落ちた恋の事情02

プロジェクト始動から約1週間。みんなの頑張りもあって、今のところ仕事は順調に進んでいる。が、俺の心は沈んでいた。理由は簡単。連絡先を教えたにもかかわらず、名字さんから何の連絡もないからだ。確かに、いらなかったら捨てて、とは言った。でもまさか、本当に何の連絡ももらえないなんて思っていなかったのだ。
肝心の名字さんの方は何食わぬ顔でそつなく仕事をこなしているし、俺への態度も出会った時と変わらないから、何も意識していないのだろう。もしかしたら、俺が連絡先を教えたことすら既に忘れているのかもしれない。生まれてこのかた、女性からここまではっきりと拒絶されたことのない俺は、なかなかのダメージを食らっていた。


「及川さん、この資料についてなんですが…」
「え?あ、うん…何?」
「このタイプだとこちらの方が分かりやすいと思うんです。及川さんはどう思いますか?」
「あー…そうだね。良いんじゃない」
「……本当にそう思ってます?」


資料片手に意見を求めてきたのは、現在進行形で俺の脳内を占領している名字さん。他人行儀で丁寧な口調は相変わらずで、それがわざと俺との距離を取っているような気がして、またもやヘコむ。
俺の素っ気ない反応に名字さんは怪訝そうな表情を浮かべるが、誰のせいでこんな態度を取るハメになってしまったのか、考えてほしい。公私混同するなと言われてしまえばそれまでだけれど、今のところ他の人に迷惑はかけていないから大丈夫だろう。そう、俺が素っ気ない態度を取っているのは名字さん限定。
自分でも幼稚だとは思うが、名字さんにだけ違う態度を取っていることに気付いてくれたら、少しぐらい俺に興味を持ってもらえるのではないかと思ったのだ。しかし先にも述べたように、こんな態度を取り続けても名字さんの態度はちっとも変わらないし、気にしている素振りもない。


「期待してたんだけどなぁ…」
「すみません、もう少し自分で考えてみます」
「違う違う、仕事の話じゃなくて…こっちの話。資料はホントに名字さんが提案してきた方で良いと思うよ」


俺の呟きを仕事に対する自分への評価だと勘違いしたらしい名字さんに、慌てて訂正の意を伝える。わざとなのか、それとも本気で勘違いしただけなのか、それも定かではない。
他のメンバーがそれぞれの仕事に集中しているのをいいことに、俺は名字さんの手から資料を奪うと、余白の部分に2度目となる自分の電話番号とメッセージアプリのIDを書き込んだ。さすがにしつこいかな、とは思いつつも、どうしても振り向いてほしくて堪らない。


「はい。今度は捨てられないでしょ」
「……私、及川さんからいただいた連絡先の紙、まだ持ってますよ」
「え?でも連絡…してくれてないよね?」
「気が向かなかったものですから」


その返答に、俺はぽかんと口を開けて固まるしかなかった。連絡がないから、てっきりあんな紙切れ捨てられたとばかり思っていたのだけれど、まさかまだ持っていてくれたなんて。嬉しい反面、連絡先を知っていながら何の連絡もしてくれなかったことにショックを受けた。なんとも複雑な心境だ。
気が向いたら連絡して、というセリフは、暗に連絡待ってるからね、という意味で使ったつもりなのだけれど、どうやら名字さんは言葉通りの意味で受け取ったらしい。これって脈なしってこと?俺、結構イタくない?
冷静に現状を分析した結果、自分が相当残念な状況にあることに気付いてしまった俺は、その場で項垂れた。あの日、運命の出会いかもと浮かれていた自分が、今となっては非常に恥ずかしい。


「連絡、しないといけませんでした?」
「……ううん。気が向かなかったんだから仕方ないよ…」


変に気を遣わせるのも申し訳ないので、俺はとりあえず笑って誤魔化す。名字さんはほんの少しだけ何かを考えていたようだったけれど、そうですか、とだけ言って、その場を去って行った。
俺がもし、連絡して、って言っていたら、名字さんは連絡してくれたのだろうか。今となっては答えなど分かるはずもないことをぼんやり考えながら、俺はまたパソコンに向かうのだった。


◇ ◇ ◇



その日の仕事は、珍しく早く終わった。こういう落ち込んでいる日こそ遅くまで仕事に没頭していたかったのだけれど、人生そう上手くはいかない。定時退社とまではいかなかったが、まだ完全に陽が沈む前に職場を後にできるのは、かなり久し振りのことだ。
仕事で遅くなるのが当たり前になりすぎて、急に時間が空いてしまうと俺にはやることがない。会社を出たところで、昔の仲間達にでも声をかけてみようかとスマホを取り出して、俺は自分の目を疑った。それまで全く気付かなかったのだけれど、スマホの画面には確かに、名字名前さんが友達になりました、と表示されている。しかも、その名字さんからメッセージまで届いているではないか。俺は急いでメッセージアプリを開いて内容を確認する。


“名字です。気が向いたので連絡してみました。明日も仕事頑張りましょう。”


絵文字もスタンプも一切なくシンプルな文面。色気も素っ気もないし、可愛げもない。けれど、俺の胸は信じられないぐらいバクバクしていて、恋愛初心者の中学生か、と自分でツッコミたくなった。
メッセージが送られてきたのは、今から30分ほど前。居ても立っても居られなくて、俺はメッセージではなくアプリの通話ボタンを押す。冷静になって考えてみれば、メッセージのやり取りすらしたことがないのにいきなり電話をかけるなんて不審がられるに決まっているのだけれど、その時はただ衝動的に、名字さんの声が聞きたくなってしまったのだから仕方がない。


「はい?」
「あ、名字さん?」
「そうですが…どうしました?」
「え。あー…どうもしてないんだけど、」
「間違い電話ですか?」
「いや、間違ってもない」


俺のわけが分からない返答に、名字さんが電話越しにも困惑していることが窺える。電話に出てくれたことは素直に嬉しい。が、やばい。何も考えずに電話してしまったんだった。俺って本当に馬鹿じゃん。
必死に話題を探すこと数秒。俺は苦し紛れながら、思いついたことを言ってみることにした。


「もう仕事終わった?」
「え?まあ…はい」
「ご飯食べに行かない?」
「いいですよ」
「えっ」


まさかこんなに何の抵抗もなく誘いにのってもらえるとは思っていなかったので、俺は思わずドギマギしてしまう。名字さんの中で、いつどこで気持ちの変化があったのかは不明だが、これは完全に脈ありじゃないか。俺は数時間前に落胆していたことも忘れ、浮かれ気分だった。
が、次に名字さんの口から出た言葉によって、俺はまた絶望することになる。


「他にどなたが来られますか?」
「えっ」
「…さっきから及川さん、え、しか言ってないですよ」
「……ごめん…色々と予想外で…」
「それで、お仕事の打ち合わせも兼ねているんでしょう?どなたが来られるんですか?」


前言撤回。やっぱり脈なしだ。名字さんは完全にビジネスの一環としての食事会か何かだと思っている。そりゃあ2人で行こうとは言わなかったけどさあ…普通男からご飯に誘われたら、デートとか期待するもんじゃないのかなあ…。
俺はそんなことを思いながらも、名字さんを騙すわけにはいかないので、誰も来ないよ、となかば投げやりに返答した。名字さんからは何のリアクションもない。さすがの名字さんでも、俺が食事に誘った意味が漸く分かったらしい。


「……どうしてですか」
「何が?」
「どうして私を食事に誘うんですか」
「仲良くなりたいから、かな?」


またもや訪れる謎の沈黙。もしかして行こうか行くまいか迷ってくれているのだろうか。少しでも迷ってくれているのだとしたら、それは脈ありということになるような気がする。
告白したわけでもないのに、こんなにもドキドキしながら返事を待つ俺はおかしいのかもしれない。こんなこと生まれて初めてだ。恋をするって、こういうことなのだろうか。未知の経験に、俺の心臓は鼓動を速めるばかりである。
ドキドキ、ドキドキ。恋する乙女かってぐらいうるさい心臓をなんとか落ち着けながら返事を待っていると、漸く名字さんの声が聞こえた。


「からかわないでください」
「は?」
「及川さんなら他にいくらでも食事に行く相手がいるでしょう?」
「え、そんなことない、いや、あるけど、違う、そうじゃなくて、」
「私、チャラチャラした人は嫌いです」


がん、と。鈍器で殴られたぐらいの衝撃を受けた。何が脈ありかも、だ。全く正反対じゃないか。脈なしどころか、俺は名字さんにとって、嫌いな部類に入るらしい。今まで散々合コンに行ってカッコいいと持て囃され、ちょっといいかも、程度の女性と付き合ってきた見返りが、まさかこんな形で返ってくるとは思わなかった。俺も、もう少しマシな切り返しをすれば良かったものを、焦りすぎていらないことを言ってしまったような気がする。
チャラチャラ…俺、名字さんにそんな風に見られてたんだ…。確かに、思い返してみれば、出会った日に連絡先を押し付けてくるわ、連絡した途端電話してくるわ、挙げ句の果てに突然ご飯に誘ってくるわ、女慣れしていて自信満々だと思われてもおかしくない行動を取ってきたという自覚はある。けど、チャラチャラって…。
既に地中深くまで落ち込んだ気持ちに追い打ちをかけるように、名字さんが言葉を続ける。


「2回も連絡先を教えてもらったのでさすがに連絡しないのは失礼かと思って連絡しただけです。私なんかで遊ぶより、もっといい人を探してください」
「え、名字さん、待って、」
「それではまた明日仕事で。失礼します」
「ちょっと!」


呆気なく切れた電話。俺は地球の裏側まで潜れるんじゃないかってほど落ち込んだ。あれほどうるさかった心臓も、今は萎んでしまったんじゃないかってぐらい静かだ。
遊びのつもりなんか、微塵もない。むしろ、今までにないぐらい本気だった。でも、自分の軽率な言動のせいで、こんなことになってしまった。
明日から、気まずいよなあ…ていうか、嫌いって…ヘコむなあ…。俺の気持ちを代弁するかのように太陽は沈みきってしまって、夜の闇がじわじわと身体を蝕んでいくようだった。