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僕らが子どもだった頃


大人と子ども。その線引きは誰がどのようにするのだろうか。学生じゃなくなったら?成人したら?果たして人はどの段階で大人だと胸を張れるのだろう。そんな小難しいことを考えているのは、私がまだ子どもで、大人である彼に特別な感情を抱いてしまっているから。私は別に世間の皆様に「大人になったね」と認めてもらいたいわけではない。ただ彼に「子どもだから」という理由で拒絶されたくないだけなのだ。
私はよく坂ノ下商店に寄り道をして帰っていた。特別なラインナップがあるわけでもない古びたお店。コンビニに寄った方がずっと良いものが買えるだろう。それでも私はその昔ながらの古びたお店に3年間通い続けた。理由は簡単。私のお目当ては商品ではなく、そのお店の店員さんだったからだ。
店員さんは一言で言うとちょっぴりガラが悪くて、ついでに口も悪い人だった。イケメンでもなければカッコいいスーツをパリッと着こなしているわけでもなくて、いつもくたびれたエプロンを身に着けて、店番中にもかかわらず堂々と煙草を吸いながら気怠そうにしている、そんな人。私が3年生になってからはうちの高校のバレー部のコーチをやり始めたらしく学校で見かけることも多くなったけれど、それでもガラの悪さは変わらなかった。
普通に考えたらそんな人をお目当てにしている私は相当な変わり者だと思われるだろう。けれども彼は荒っぽい身形や言動とは裏腹に、実は面倒見が良くて優しい心の持ち主なのだ。小さな子どもが来た時には煙草を吸うのを止めて、抱っこして上の方に陳列してある商品を見せてあげたり、母ちゃんには内緒だぞ、って言いながら駄菓子をサービスしてあげていたし、脚の弱いおばあさんが来た時には近くのバス停まで荷物を運んであげていた。学生達にだって結構親しまれているのを知っている。
明確に、いつ、どの瞬間から意識し始めたのかは分からない。ただ、少しずつ少しずつ、じわりじわりと彼への気持ちが募っていったのは事実で、私が常連客となって彼とくだらない会話ができるようになってからは、益々その感情が大きく膨らんでいった。そう、私は彼に恋をしてしまったのだ。


「烏養さん」
「またお前か」
「うん。また来ちゃった」
「こんなとこで何やってんだ。今日は卒業式だったんだろ」
「そうだよ」
「こういう日は友達と集まったりするもんじゃねぇのか」
「そうだねぇ。普通はそうかも」
「だったら、」
「私、普通じゃないから。烏養さんに言いたいことがあって来たの」


何ヶ月も前から決めていた。卒業式が終わったら告白するって。好きです、って。ただそれだけを伝えようって決めていたのだ。私が高校に通っている間は、告白しても「お前は高校生だろ」って断られるのが目に見えていたから、ずっと気持ちをひた隠しにしてきた。
けれど、卒業式を終えた今。少なくとも私は高校生じゃなくなって、4月から大学生という、子どもと大人の境目にいる中途半端な存在になった。そんな私からの告白を、口下手な彼はどうやって断るのか。フられることを前提に告白するだけというのは切なすぎるので、私はそれをせめてもの楽しみにしていた。


「言いたいこと?」
「そう。私ね、烏養さんのことがずっと前から好きなの」
「…は?」
「それだけ伝えておきたくて」
「いや、おま、何言って…は?」


相当予想外だったのだろう。狼狽える彼はなかなかに面白くて、こんな姿を見ることができただけでも告白した価値はあったんじゃないかと思う。いつもなら下校する生徒がちらほら訪れるこの場所も、今日は私以外に誰もいない。今のところ、子どもやお年寄りのお客さんもいない。つまり邪魔者は誰もいなくて、彼が私に向き合う猶予はたっぷりあった。


「本気だよ」
「本気っつったってお前…俺を何歳だと思ってんだ」
「26歳」
「そう。お前の8つも上」
「だから?」
「だから…なんつーか…お前にはもっと良いヤツがいるだろ」
「良いヤツって誰?何歳だったら良いヤツなの?」


ぐいぐいと迫る私に、たじろぐ彼。う、と言葉を詰まらせているのは、答えが明白ではない証拠だ。彼の顔をじっと見つめる私とは対照的に、彼の方は目をきょろきょろと泳がせていて、動揺していることが伝わってくる。彼が8つも年上だろうが、今この場において主導権を握っているのは私だ。
本気だよ、と。私は同じ言葉を繰り返す。年齢なんてどうだって良い。好きなものは好きなのだ。この気持ちに嘘はない。だからフるならフるで、私が納得できるフり方をしてほしい。そっか、って。私じゃダメなんだ、って。きちんと気持ちに見切りを付けられるだけの言葉を投げつけてほしかった。優しい彼に私を傷付ける言葉なんて言えやしないと分かっていてそれを望む。私は意地の悪い女だ。


「年齢はまあどんだけ離れてようが良いかもしんねぇけどな…俺じゃなくても良いだろ…」
「私は烏養さんが良いの」
「……お前なぁ…」
「好きなの。烏養さんのことが」


頭をポリポリ掻きながら項垂れる彼の顔を下から覗き込む。すると目が合った瞬間、見んじゃねぇ、と。大きな手で目元を覆われて、そのまま顔を強く押し返された。え、何今の。一瞬しか見えなかったけど、顔、赤かった?私の見間違い?それを確認したくてもう1度彼の方を見れば、ちょうど口元を手で覆ったバツが悪そうな彼と視線がぶつかって笑ってしまった。
もしかしたらこれ、フられる以外の未来があるのかも、って。そんな期待が全身から溢れ出してしまったのだ。


◇ ◇ ◇



最初から特別視していたわけではない。気付いたら、今日もアイツ来んのかな、と。そう思うようになっていただけで、その感情に名前をつけることはできなかった。けれど今思えば、俺はその感情そのものから目を背けていただけなのかもしれない。
大切な卒業式の日の放課後に友達と別れを惜しむこともせず俺の元に来た名字には、正直驚いた。そして同時に嬉しいという感情が芽生えてしまったけれど、俺は大人だから必死に平静を装った。というのに、好きだ、などと言われてしまったら冷静でい続けることなんてできなくて。
これでも必死に諦めさせようとした。まだ10代の、俺より8つも年下の女だ。「女」というより「女の子」と言った方が正しいかもしれない。そんな名字を、俺みたいな野郎が囲い込んでいいわけがないから。それでも名字はまた言った。俺が好きだと。
馬鹿なヤツだ。4月から大学に通い始めたら色んな人間に出会うだろう。大学卒業後だって、社会に出れば俺なんかより魅力的なヤツは腐るほどいて、そういう人間に出会ったら俺なんか疎ましく思うかもしれないのに。俺に縋り付く必要なんかどこにもないのに。
名字のことを本当に思っているのなら、ここでキッパリと、そういう風に見ることはできない、そういう気持ちは迷惑だ、と突っ撥ねた方がいいのだろう。そうするべきに違いない。けれども俺は愚かなことに名字の言葉を嬉しいと思ってしまったし、その気持ちを受け入れたいと思ってしまった。そして、今まで目を背け続けてきた感情を隠すことができなくなった俺を見て、名字は心底嬉しそうに顔を綻ばせるから。ああ、もう、どうにでもなっちまえ、と。世間の目がどうとか、歳の差があるからとか、そういうことを綺麗さっぱり捨て去った俺は、後悔してもしんねぇぞ!と、名字に責任を押し付けることで自分の気持ちを吐き出した。


「それって、烏養さんの彼女にしてくれるってこと?」
「だから、後悔しても良いなら好きにしろって言ってんだろ」
「本当に?良いの?」
「ああもう!うるっせぇな!俺もずっと好きだったんだよって言ったら満足か!」


つい先ほどまで高校に通っていた女、否、女の子に振り回されている俺は、大人として失格だ。まあそんなの、コイツに惹かれ始めてしまった時点で分かっていたことではあるのだけれど。
そんなダメな大人代表みたいな俺の言葉に、名字はまた幸せそうに笑う。嬉しい、って、素直に気持ちをぶつけてくる。それを見て愛おしい以外の感情が生まれてこないのは、つまり、俺がコイツに惚れてしまっているということに違いなくて。1度それを認めてしまったらずぶずぶと泥沼にのめり込んでいくようで恐ろしいけれど、今更引き返すことはできない。
心を鎮めようと咄嗟に懐のそれへ手を伸ばす。1本手に取って口に咥えるところまでは一瞬。けれども、火を点けようとしたところで視界に名字の姿が入ってきて、俺は動きを止めた。もはや煙草は癖で吸うようになってしまっていたけれど、コイツのことを考えたら止めた方が良いんじゃないだろうか。当たり前のことながら煙草の煙は身体に悪いし、これから先のことなんて分かりはしないが、例えばコイツと一緒に過ごす時間が長くなるとすれば、癖で吸っている有害なこの煙を吸わせ続けるのは宜しくない。店に客が来ていようがお構いなしに吸っていたくせに急にこんな思考になるなんて、名字は思っていた以上に俺への影響力があるらしい。
というわけで、あれやこれや考えた結果、咥えていた煙草を箱の中に戻していると、吸わないの?と。俺を見上げてキョトンとしている、くるりと大きな瞳と目が合った。


「やめようと思ってたんだよ、元々」
「どうして?」
「あー…そのー、ほら、身体に悪ぃし」
「今更?」
「それにまあ…お前とそういう関係になったんだし、ちょうどいい機会だろ」


自分で言っておきながら何がちょうど良いのかはさっぱり分からなかったけれど、名字はそこに突っ込んでくることはなかった。代わりに、ふーん、という、少し間延びした相槌を打って一言。烏養さんが煙草吸ってるところ見るの好きなのに、と。残念そうに呟いた。コイツ、ほんとに…いちいちなんなんだよ…と頭を抱えざるを得ない。こっちの気も知らないで好き勝手言いやがって。


「何言ってんだばーか」
「匂いもね、好きなの」
「物好きだな」
「ねぇねぇ烏養さん、」


私そんなに子どもじゃないよ?
そんなセリフを言って微笑んだ名字は、女の顔をしていた。それに見惚れている間に俺に近付いて背伸びをした名字が、ちゅ、と頬に吸い付いてくる。…いや待て、お前、今何した?触れられた箇所を撫でながら視線を落とせば、ふふんと得意げな顔をしている名字と目が合って、再び頭を抱える俺。
何が、子どもじゃないよ?だ。ほっぺにちゅーじゃあガキだろ、と唇に吸い付きたい衝動に駆られたけれど、つい先ほどまで高校生だったコイツにそれをするのはどうなんだ、とか、そもそもここ店ん中だしいつ誰が来るかも分かんねぇのにそういうことすんのはダメだろ、とか、こういう時だけ立派に大人としての理性みたいなものが働いて、俺は動けずにいた。くそ。情けねぇ。でもまあ、これから幾らでもそういう機会はあるわけで。とりあえず彼女の意見を尊重して、煙草を1本口に咥える。コレから卒業するのはもう暫く後にすることにしよう。