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100万回目の輪廻


※社会人設定


彼と出会って今に至るまで、愛の囁きと呼べるようなものはなかった。始まりも実に唐突。会社主催の懇親会だったか、詳しくは覚えていないけれど、それなりに色々な会社の人達が集まっていたパーティーでのこと。
お互い初対面。軽く挨拶を交わしたらもう2度と会うことはない人達がほとんどだから、彼もその1人なのだろうと思っていた。それなのに彼は、私をまじまじと見るなりとんでもないことを言ってのけたのだ。


「ひとつききたい」
「は?私ですか?」
「そうだ」
「はあ…」
「彼氏はいるのか」
「はい?」
「彼氏はいるのかときいている」
「え?い、いませんけど…」
「それならちょうどいい。俺と結婚してほしい」
「……はい?」


近くにいた上司も、同僚も、全く知らない会社関係者の人も、勿論私も、ギョッとした。ムード云々とか周りの目がどうのこうのとか、それ以前の問題で。初対面でこの人は何を言い出すんだという恐怖に近い感情しかなかった。
軽いノリでナンパ紛いに、キミ可愛いね〜俺と付き合う〜?なんて言ってきたのならまだ分かる。いや、分かりたくはないけれど、そんな奴だったら無視しているか軽くあしらっているか、兎に角まともに取り合わずに追い払って終了だ。
けれども彼はどうだろう。身なりや雰囲気、その口調からして、冗談を言うようなタイプじゃないということはなんとなく察した(例え冗談だったとしても笑えなさすぎるけれど)。だからこそ、彼が何を考えているのか、どういう感情をもってしてあの場であんなことを言ってきたのか、さっぱり分からなかった。ていうか、ちょうどいいってなんだ。彼氏がいなかったら誰でも良かったのか。
こちらの動揺など気にせず眉ひとつ動かさぬまま、だめなのか、と真面目なトーンで詰め寄ってきた彼、それが牛島若利。後に大手企業の跡取り息子だということを知った時の私は、それはそれは驚いたものだ。そして更に驚くべきことに、彼は今や私の夫である。
押しに負けた、というより、振り返ってみれば出会いからずっと私達の関係は常に彼が主導権を握っていたのだと思う。きちんと好きだとか、ましてや愛してるなんて言われたことはない。ただ、それらしきことを言われたのは1度きり。


「一目惚れだったんだ」


ほとんど独り言みたいに落とされたそれは、結婚式の時、しかもヴァージンロードを歩く直前にきいた。おかげで私の涙腺は緩んでしまい、折角の化粧が台無しになってしまって。彼はなぜ私が泣き出したのか分からず首を傾げていたんだっけ。懐かしいなあ。
そうやって過去を振り返っていた私の目からは、またつうっと涙が零れ落ちた。目の前に横たわっているのは、最愛の夫である若利さん。私には分からない沢山の機械をごちゃごちゃとつけられて静かに目を瞑ったまま、もう丸2日は起きていない。
2日前、彼は事故に遭った。信号無視をしたトラックに轢かれそうになっていたおじいさんを助けようとして巻き込まれたという。正義感が強い彼らしい行動だと誇らしく思ったけれど、その代償はあまりにも大きすぎる。


「一命は取り留めましたが予断を許さない状態です。いつ目覚めるかも分かりません」
「そんな…」
「それから…大変お伝えしにくいのですが、事故の際に脳を激しく損傷した影響で、もし目覚めたとしても今までのことを何も覚えていない可能性が高いです」
「え…、なにもかも…ですか?」
「恐らく…」


主治医から伝えられたのは残酷すぎる事実。いつ目覚めるか分からないだけでなく、目覚めたとしても彼は私のことも今までのことも覚えていないだろう、と。そんな絶望的なことがあって良いのだろうか。
来週は2人で買い物に行こうと話をしていた。だってその日は若利さんの誕生日だから。大好きな若利さんのためにプレゼントを選ぶからね、って。夜ご飯は少しお高めの和食料亭に予約を入れよう、って。約束したじゃない。ねぇ、若利さん。あなたは嘘を吐いたことも約束を破ったことも1度もなかったよね。だから来週のことだってちゃんと覚えてるでしょう?
何を言っても、何を問いかけても、当たり前のことながら若利さんからの返事はなく。私はただ、彼の手を握って啜り泣くことしかできなかった。


◇ ◇ ◇



翌日。若利さんのご両親や会社の方々がお見舞いに来てくれた。そのおかげだろうか。もう目覚めないかもしれないとまで言われていた若利さんが奇跡的に目を覚ました。
まだ話せる状態ではないのか、それともきちんと焦点が合っていないのか。私に虚ろながら視線を向けているものの何も声を発さない若利さん。私はただ涙ぐんで手を握り、良かった…という呟きを繰り返すしかなかった。例え彼の発する第一声が、お前は誰だ?だったとしても良い。生きていてくれさえすれば、それだけで。
結局、若利さんは目覚めた当日に一言も言葉を発さなかった。医師からも、まだしっかり覚醒したわけではないのだろう、という説明を受けたのでそれは納得したのだけれど。早く声を聞きたいと思う反面、何を言われるのだろうという恐怖心もある。
そうして、ちっとも言葉を発さぬ若利さんのところに通い続けて3日目のこと。若利さんとデートの約束をしていた日、つまり若利さんの誕生日。事故に遭って目覚めてから驚異的な回復力を見せた若利さんは、車椅子に座れるまでになっていた。
ご両親のことも会社の同僚のことも、そして私のことも。彼は何ひとつ話さなかった。きっと覚えていないのだろうということは薄々感じている。元々口数が少なく聡明な若利さんのことだから、主治医に自分の状態や経緯について説明を受けて、余計なことは言わないようにしているのかもしれない。
そう思っていたら、その日、若利さんが声を発したのだ。それも、ご両親や医療関係者ではなく、私に対して。その言葉にはかなりの衝撃を受けた。


「ひとつききたい」
「え?私に…です、か?」
「そうだ」
「えっと、はい…どうぞ…」
「彼氏はいるのか」
「…は?」
「彼氏はいるのかときいている」


そのフレーズには聞き覚えがあった。忘れるはずもない。若利さんと初めて会った時に言われたセリフだ。涙が勝手にじわじわと溢れてきて、上手く言葉が発せない。
若利さんには私との記憶がないはずで。勿論、出会いのことも覚えているわけがなくて。それでも彼は、同じ言葉を繰り返した。それは、事実。だから私も繰り返す。


「いません、けど、」
「それならちょうどいい。俺と結婚してほしい」


あの時の私は、戸惑いと不信感を露わにして眉を顰めた。けれども今はどうだろう。涙が止まらない。視界が滲む。若利さんは当たり前のことながらその意味が分からないようではあるけれど、微動だにしないどころか顔色ひとつ変えない。そういうところ、変わらないよね。変わってなくて、良かった。
あの時と同じような返事は、今の私にはできない。だって私、自分が若利さんのことを愛してるって知っちゃってるもの。


「…私で良ければ、喜んで」


車椅子に座っている若利さんの前にしゃがみ込んで手を握る。大きくてゴツゴツしていて温かくて、この手に包み込まれるのが私は大好きで。
今までの大切な記憶は若利さんの中に残っていない。けれど、私の中には全て残っている。だから、今日からは新しい記憶を刻んでいけたらいいね。あなたの生まれた日から新しい1ページが始まるのって素敵だと思わない?