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トゥジュール・プランタン


例えば俺がもっと大人だったなら。小さなことでイライラしたり、こんな風に嫌な感情を抱くことはなかったのだろうか。部活練習前、体育館の入り口付近で楽しそうに話す男女を視界の隅で捉えた俺は、そんなことを考えた。

俺には彼女がいる。俺が3年生になる前に付き合い始めたばかりだから、まだ期間としては4ヶ月程度。1つ年下の彼女はバレー部のマネージャーをしていて、いつも明るくテキパキ働いてくれるから最初から好印象だった。バレーの強豪校である白鳥沢での練習はほぼ休みがないし、練習時間自体も長い。他校との練習試合も多く、遠征も頻繁にある。だから必然的にマネージャーだって忙しくて大変なはずなのに、文句のひとつも言わずに笑顔で選手を応援してくれる姿を見て、俺はどんどん惹かれていった。
バレーに集中しなければならないと分かっていても、その子のことが頭から離れない。雑念が入る。それとこれとは関係ないと思うのだけれど、ちょうど同じぐらいの時期に俺はスタメンから徐々に外されるようになっていって、いつの間にか控え選手になっていた。ほんと、笑えない。自業自得だと分かっていながら周りの奴らに八つ当たりしてしまったり、ここだけの話、練習をサボったことも何回かあった。そんな時、その子が声をかけてくれたのだ。


「瀬見さん、最近お疲れですか?」
「お疲れっつーか…分かるだろ、状況的に」
「分かってます。けど私、瀬見さんのプレー好きなので…まだまだ応援したいです」


荒んでいた心がじんわり暖かくなっていくのを感じて、その時はっきりと自覚した。俺はこの子のことが、名字のことが好きなんだと。
それから衝動に駆られるまま告白したら、驚きながらもはにかんでコクリと頷いてくれた名字。まだまだ応援したいと言ってくれた大切な彼女のためにも、そして何より自分のためにも、俺は自分のプレーを磨き続けてやろう。そう決心して練習に打ち込み始めた。
付き合っているからと言って頻繁にデートに行くことはできないし、学年が違うから学校生活の中で過ごす時間はほぼ皆無。それでも部活の時には必ず会えるわけで、単純な俺は名字を見るだけで練習に熱を入れて取り組むことができた。
ただ、付き合い始めてからずっと、俺には気になっていることがある。それは名字と白布の関係だ。名字は元々、白布と同じ中学に通っていて一般入試で入学したらしい。今もクラスが一緒だし共通点が多いからか、部活中にもよく話す姿を見かけるのだけれど、その様子がなんとも仲睦まじく見えてならない。
今だってそうだ。名字はニコニコした笑顔を向けながら白布と話をしていて、俺の方には見向きもしない。今日だけならまだしも、これがほぼ毎日なのだから気にするなと言う方が無理な話ではないだろうか。付き合っているのは俺なのに。そんなドス黒い感情が渦巻いていることなど、名字は知る由もないし知られたくもない。
1つとはいえ俺の方が年上だし、俺にだって余裕がないところは見せたくないというプライドがある。それに、名字が俺のことをきちんと彼氏として好きでいてくれていることも分かっているのだ。だからこそこの状況にはとてもモヤモヤしていた。


「おい、そろそろ練習始まるぞ」
「あ、はい!じゃあ頑張ってね、賢二郎君」
「うるさい」


半ば無理矢理、2人の会話に割って入った。その結果、またモヤモヤが増えて後悔する。「賢二郎君」か。俺は「瀬見さん」なのに。俺は先輩で、白布は同級生。付き合いの長さから言っても何らおかしな呼び方じゃない。それでもいつも思ってしまう。俺は彼氏なのに、って。
しかも今日はそれにオプション付き。頑張ってね、ってなんだ。俺と同じポジションで、俺の代わりにスタメンに選ばれた白布に対して、頑張って、って。俺の目の前で言うことか?自分の心が狭いってことは重々承知だ。けれど、そんな小さなことが気になってしまう程度には名字のことを本気で想っている。
案の定と言うべきか、その日の練習は散々な結果で、トスは制球が乱れるわ、サーブは入らないわで酷いものだった。監督からも「たるんどる!」と言われたけれど、その通りだ。こんなことでいちいちコンディションが乱れていては、スタメン落ちしたって仕方がない。


「瀬見さん…体調悪いですか?」
「いや、別に」
「タオル…」
「そこ置いといて」
「飲み物、」
「俺のことは良いから。白布のところにでも行ってやれば?」


気付いたら刺々しい言葉が飛び出していた。名字は単純に俺のことを心配して声をかけてくれただけなのに、そのことにすらイライラして。突然出てきた白布の名前に名字がキョトンとしているのは分かったけれど、なんとなく気まずくなってしまった俺は、それから練習が終わるまで名字と接触しないようにした。


◇ ◇ ◇



部活終わりに名字を家まで送ってやるのは付き合い始めてからの日課みたいなものになっていて、俺と名字が唯一2人きりになれる時間だったりする。いつもならその時間が楽しみで仕方がないのに、今日は憂鬱だ。
着替えを済ませて正門のところで待ち合わせ。いつも通り先に待っている名字に近付いたところで、またもや俺の視界に入った白布の姿に、眉間に皺が寄るのが分かった。今日は厄日なのかもしれない。


「瀬見さん!お疲れ様でした」
「じゃあ俺はここで…」
「白布に送ってもらえば?」
「え、」
「は?」


俺の発言に2人の困惑が見て取れたけれど、イライラが積もりに積もっている俺はスタスタと2人の間を通り抜けた。名字を傷付けたくはないし、これ以上みっともないところも見せたくない。その一心で口を突いて出たセリフ。頭を冷やして明日から切り替えよう。…なんて考えは、名字の華奢な手によっていとも簡単に阻止された。
俺の制服のシャツをくしゃりと控えめに、けれど決して離しはしない程度の力で握って、待ってください、と弱々しく言葉をぶつけられる。白布はその間にそそくさと退散してしまったので、結局俺は名字と2人きりになった。つい先ほどキツいことを言ってしまった手前、なんとも格好がつかない。


「瀬見さん、私…何かしましたか…?」


言うつもりはさらさらなかった。自分の中で上手く整理して、明日からは今まで通りに接そう。そう思っていた。けれども、暗闇の中でも分かるほどの至近距離で見上げてくる潤んだ瞳に、俺の中の何かがぷつりと切れるのが分かった。
名字の細い手首を掴んで正門から離れ、この時間ならまず人が訪れないであろう校舎裏へ引っ張って行く。名字がどんな顔をしているのかなんて確認する余裕はなかった。きっと困惑しているだろうけれど、今日は歯止めが効かない。


「名字は俺の彼女だろ」
「は、はい、そう、です…けど、」
「なら、俺だけ見てろよ」


名字が逃げられないように壁際まで追い詰めて、顔の両横に手をつく。怖がられるかもしれないとか、嫉妬に駆られてみっともないと思われるかもしれないとか、そういう考えよりも自分の欲望が先を行った。たぶん後で冷静になってみたら、なんてことをしてしまったんだと思うんだろうけれど。
くるりとした真ん丸の瞳が俺を見つめていた。恐怖の色は窺えない。むしろ、なんとなく嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。


「瀬見さんは…そういうこと言ってくれないと思ってました…」
「は?」
「いつも淡々としていて、私ばっかり必死だなって思ってたので…その…嬉しい、です」
「…なに言ってんだよ……」


はにかむ名字を見て完全に調子が狂った。いや、逆にいつも通りの自分に戻れたと言うべきか。小さなことでウジウジと嫉妬して、俺は何をやっているんだ。名字が俺のことを好きでいてくれているのは分かりきったことだったのに。それでも好きだからこそ嫉妬する。好きになればなるほど、自分だけを見ていてほしいという独占欲が出てきてしまう。今みたいに。
どうしようもなく愛おしくなって名字の身体を衝動のまま抱き締めれば、名字がひゅっと息を飲むのが分かった。身体もちょっと強張っているけれど、離すつもりはない。


「…嫉妬してた。ずっと」
「瀬見さんが…私のために?」
「好きな奴のことで嫉妬するのは当たり前だろ」
「実は私、ずっと瀬見さんの彼女として自信がなくて…賢二郎君に相談してました…」
「え?」


今度は俺が名字の発言に目を丸くさせる番だった。どうやら俺は名字からしてみれば愛情表現に乏しかったらしく不安にさせていたらしい。それをよりにもよって白布に相談なんてするものだから、俺の方も妙に距離を置いてしまって…という悪循環。なんと滑稽なことだろうか。
名字が素直に話してくれたのに自分の思いを伝えないのはフェアじゃない気がして、俺はみっともないことを承知の上で白布に嫉妬していたことを打ち明けた。最後に、カッコ悪ぃだろ、と苦笑すれば、ふるふると首を横に振って、そんなことないです!嬉しいです!と必死に言ってくれる名字のことを、俺はやっぱり愛おしいと思う。


「悪いけど名字のことは離してやるつもりねぇから。覚悟しとけよ?」
「…はい!」


改めて自分の胸の中に閉じ込めた名字の身体はとても温かくて柔らかかった。この流れなら大丈夫かな、と掠めるように奪った唇。まだ数えるほどしかしたことのないその行為に胸が高鳴ると同時に恥ずかしさが込み上げる。
その恥ずかしさと赤くなっているであろう顔を隠すために抱き締めていた力を緩めて背中を向け、遅くなるから帰るぞ、と握った手は、俺に負けないぐらい熱を帯びていた。