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難解フィロソフィア


彼を知った時思った。完璧を絵に描いたような人だと。
強豪バレー部に所属していて成績も優秀。先生達からの人望も厚い。バレー部の面々と一緒にいることが多いので分かりにくいけれど、そこら辺の男子より高い身長にしっかりとした身体つき。オマケに端正な顔立ちをしているから、密かに女子生徒達から人気があるときいたことがある。自習の時間ですらサボったり居眠りをしているところは見たことがなかったし、面倒な掃除も率先してやる。そんな感じだから堅物なのかと思いきや、話してみれば意外と普通というか、取っ付きにくいというわけでもなくて。なんというか、住む世界が違うんじゃないかとすら感じていた。
そりゃあそこまでの人間になるために計り知れない努力を積み重ねてきたのかもしれないけれど、私は知っている。どれだけ努力したって、この世界には報われる人間とそうでない人間がいるということを。彼は報われた人間。そして私は、報われなかった人間だ。


「名字、宿題のプリントは?」
「あー…忘れた」
「先生に新しいプリント貰ってきて今からやればええやん」
「面倒やし。どうせ分からへんし。時間の無駄」
「そんなん、やってみな分からへんやろ」


貰うてきたるわ、などとお節介なことを言って、私の制止を無視して教室を出て行った北君は、私の成績がどれだけ壊滅的か知らないのだろう。先生だって私が宿題のプリントの1枚や2枚忘れてきたところで、またか、ぐらいにしか思わないというのに。
律儀にも北君は宣言通りに貴重な昼休みの数分を削ってまで私のところにプリントを持ってきてくれて、そのまま空いている私の前の席に腰を下ろした。え?何?もしかして答え教えてくれる感じ?


「答え教えてくれるん?」
「答えちゃう。解き方を教えたる」
「えぇ…めんど……数学なんか高校に入ってから分かったこと1回もないし」
「今日初めて分かるかもしれへん。良かったな」


どんだけポジティブ人間なんだ北君。ていうか涼しい顔して結構強引なタイプだったのか。やる気なんて微塵もない私にシャーペンを突きつけてきた北君は全く引き下がる様子がなくて。私は深々と溜息を吐くと、渋々プリントの暗号みたいな数式に視線を落とした。
そうして北君の説明を聞きながらプリントに向き合うこと十数分。自慢ではないけれど高校入学以降、全く勉強していなかった私が初めてまともに勉強に取り組んだだけでも奇跡に近いのに、なんと暗号化していた数式が解けてしまった。どうしよう。初夏だけど明日は雪が降るかもしれない。


「やばい北君…解けた…」
「分かると簡単やろ」
「いや簡単ではない」
「勉強もスポーツも、なんでも同じや。慣れるまでやればええ。慣れたらそれが自分の普通になって簡単なことやって思える。それだけのことや」
「北君はなんでもそうやってきたん?」
「それが当たり前になったら、何も大変なことなんかないで」


偉そうな自慢話というわけでもなく、それは本当に当たり前のことを言っているだけのようだった。恐らく大半の人間が北君の言う「慣れ」や「当たり前」ができずに苦労しているのだと思うけれど、北君には理解できないのだろう。
残りの数問も北君のおかげで奇跡的に全て解答することができた頃には、昼休憩が終わっていた。頼んだわけではないけれど一応ありがとうとお礼を言えば、またいつでも教えてくれるとのこと。勉強なんて死んでもやるもんかと思っていた私だけれど、先生なんかよりもずっと分かりやすく丁寧且つ端的に教えてくれた北君とならまた勉強をしてもいいかもしれない、なんて都合の良いことを考える。
余談だけれど、数学の先生は私が遅れてプリントを提出しても怒るどころか酷く驚いて褒めてくれ、解答してあることには感動すらしていた。今までが今までだっただけにこの反応は正常だと思うけれど、なんだか非常に気分が良い。
落ちこぼれ。アンタなんか、お前なんか、どうせ何を頑張ってもダメ。出来のいい兄や姉と比べられ小さい頃から親にそう言われてきた私は、知らず知らずのうちに全てのことを諦めていた。私がどこまで落ちぶれようと親は何も言わなかったけれど、それは私に何の期待もしていないからだろう。
本当は悔しかった。見返してやりたかった。少しでも認められたかった。だから、これはもしかしたらチャンスなのかもしれない。


「北君」
「どないした?」
「忙しいかもしれへんけど、勉強、教えてくれへん?」
「……ええけど」
「ありがとう!」


ほんの一縷の望みをかけて。私は北君に縋り付いてみることにした。


◇ ◇ ◇



北君は一切手抜きをせず私に勉強を教えてくれた。ぶっちゃけ勉強の基礎とやらが全くできていない私は、教える相手として相当難関だったことだろう。覚えも理解力も悪いというのに、北君はひとつも文句を言ったり私を責めたりすることはなく、むしろ何か小さなことでも正解したり覚えることができたら褒めてくれた。
その甲斐あってだろう。私の成績は(元々の成績が悪すぎたのはあると思うけれど)ぐんと上がった。だからと言って、それを認めてくれる人は北君以外誰もいなかったけれど。


「バレーで忙しいのにごめん」
「なんや今更」
「いや、なんとなく…」
「迷惑やったら今頃教えとらん」
「そうかもしれへんけど…せめて北君に何かお礼したい」


私達はいつのまにか3年生になっていた。北君はバレー部の主将になって去年よりずっと忙しくなったはずなのに、相変わらず私の勉強を教えてくれている。
お人好しというか面倒見が良いというか責任感が強いというか。途中で放り出しても良いことなのに、北君は私のことをいつまで経っても放り出さなくて。だから、私にできることだったら何でも良いから恩返しがしたい。素直にそう思ったから口走った言葉に、北君は難しそうな顔をした。


「そんなんいらん」
「でも、」
「お礼されるようなことしてへんし」
「私は助かったんやもん。何かしたい」
「…せやなぁ……」


頑固な私が折れないと悟ったのか。北君は納得しきっていない様子だったけれど、少しだけ考えてくれて。ただ、その日のうちに返事がくることはなく、結局答えをもらえぬまま1週間が過ぎていた。
困った私は、数少ない友人に相談することにした。北君に勉強を教えてもらっていることを知っているその友人は、私の相談内容をきいてキョトンとしている。


「誕生日祝ってあげたらええやん」
「誕生日?」
「知らんの?明日、北君の誕生日やからってバレー部の後輩の子らが準備しよったけど」
「知らんかった…誕生日…」


まさかの事実判明。そういえば北君とは勉強を教えてもらうためによく一緒に過ごしているけれど、プライベートなことはほとんど話していなかったような気がする。
友人に相談して良かったと心底思いながら、私は明日の誕生日に向けて何ができるかとない頭を必死にフル稼働させて考え始めるのだった。


◇ ◇ ◇



迎えた翌日。北君の誕生日。よく考えてみたら北君のことを何も知らない私にプレゼントを用意できるはずがなく。甘いものが好きかどうかすら分からないのでケーキを用意するのも躊躇われて、結局、いつもと変わらぬ状態で学校に来てしまった。しかも友人の話によると北君はバレー部の面々に盛大なお祝いをしてもらえるようだし、私が出る幕はどちらにせよない気もする。
昼休みになり、お昼ご飯を食べた後でお決まりの図書室に向かう。基本的に昼休みの図書室にはほとんど人がいないので勉強に集中するにはもってこいなのだ。


「北君」
「どこが分からへんのや」
「いや、そうやなくて…」
「ほな何や」
「…誕生日おめでとう」


知っているのに何も言わないのもどうかと思い、とりあえず言葉だけはプレゼントしておく。誕生日プレゼントでお礼作戦は無理そうなので、もう少し北君のことをリサーチしてから何か用意することにしよう。
私の一言に、北君は珍しく驚いた様子で手の動きを止めた。確かに急に言われたらびっくりするだろうけれど、あの北君がそんなに驚くということの方が私からしてみれば驚きである。


「知っとったんか」
「昨日きいた」
「ありがとう」
「何もあげられるものないんやけど…」
「そんなんいらん」
「卒業までには何か用意するわ」
「…それやったら、」


北君がいつもより真面目なトーンで声を発した。それだけでなぜかどきりとする。そういう目で見たことはないけれど、よく考えてみたら見た目も中身もこんなにハイスペックな人間と一緒にいて、今まで何の意識もしていなかったことの方がおかしいのかもしれない。
元々静かな図書室の1番奥の席。図書委員からも死角になっているであろうこの席は、昼休みにおいて私達の特等席で。ドクンドクンと、いつもより大きく心臓の鼓動が聞こえた。


「同じ大学行けるように頑張ってくれへん?」
「へ…?」
「今のままやとギリギリやから」
「ちょ、待って、それってどういう意味?それがお礼になるん…?」
「答え合わせは受験が終わってからやな」


馬鹿な私の頭では賢い北君の言っている意味がよく理解できなくて、手止まっとるで、と指摘されて慌てて問題集に思考を戻そうとしたけれど、集中できるはずもなかった。だって、狡い。初めて見た。あんな風に柔らかく笑ったところなんて。
そもそも北君がどこの大学に受験する予定なのかも知らないけれど、こうなったらどんなことをしてでも同じ大学に合格してやる。それで、ちゃんと答え合わせをしてもらうんだ。
なかばヤケクソ。けれども北君の一言が原動力になったのは確かで。落ちこぼれのままでもいい。親にも先生にも認められなくていい。ただ、北君が笑った顔をもう一度見たいから。その一心で必死に問題と睨めっこする私を見て北君が笑っていたことを、私は知らない。