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砂糖ひとつまみ分の始まり


※社会人設定


「及川さぁん、こっちには来てくれないんですかぁ?」
「はいはい、ちょっと待っててね」


甘ったるい声に呼ばれ、近くに座っていた子達に愛想良く微笑んでから席を立つ。名前もよく覚えていないその子達に、またね、なんて手を振ったけれど、また、が来ることは未来永劫ないだろう。
合コンなんて、社会人になってからは自ら望んで参加したことなど一度もない。いつも同僚に頼まれるから仕方なく参加する。今日もそう。俺がいると女の子ウケが良いからって、ただそれだけの理由で毎回誘われる俺の身にもなってほしい。仕事中でも無駄に笑顔を振り撒いているのにプライベートでもそれを継続させるのは、なかなかに疲れるのだから。
学生時代はチヤホヤされるのが楽しくて自分から合コンに参加していた。俺がちょっと微笑めば、ほぼ100%の確率で女性はコロリと落ちる。自分で言うのもなんだけれど、俺はイケメンだし。背も高くてそれなりにオシャレだし。モテない要素は見つからないと自負していた。
俺が望めばどんな女性も自分のものになる。それが楽しかったのは学生時代だけ。結局のところどの女性にとっても俺はアクセサリーのひとつにしか過ぎないのだと気付いてしまってからは、自分のしていることが途端に虚しくなった。
徹はカッコいいけど、ただそれだけでつまんない。
いつか、もう名前も覚えていない女に言われたセリフ。カッコいい男と付き合いたいから俺を選んだくせに、好きなことを言ってくれる。そんなことを言う女、こっちから願い下げだ。言われた時は、そう思った。女なんていくらでもいる。だから別にこの女に拘る必要はない。
けれども、それから暫くして冷静になってから考えた。今までの女は、俺の何に惹かれていたのだろうか。そりゃあ最初は見た目から入っただろうけれど、そこから本当の俺を見てくれた女はいたのだろうか。そうやって考えて愕然とした。俺は、本当の意味で求められていたわけじゃなかったということに気付いてしまったから。
幸いなことに、俺の方も心の底から求めているような女には出会っていなかったからダメージは最小限に留まったけれど、その事実に気付いてからというもの、女性と付き合うことを嫌厭しているのは事実だ。所謂ワンナイトラブのお相手なら幾らでもする。けれど、特定の誰かを決めて付き合うというのは何年もしていなかった。
恐らく、俺はこの先ずっと独りなんだろうなあ。いつからかそう思うようになった。ああ、岩ちゃんが結婚して、マッキーとまっつんもそろそろ結婚するかもって話を聞いてからだったかな。


「及川さんは彼女とかいないんですかぁ?」
「はは、いないよ」
「うっそだぁ!そんなにカッコいいのに〜?」
「見た目だけ良くてもダメみたいなんだよねぇ。俺も悩んでるんだけど」
「贅沢な悩みだよなぁ」


俺の発言をキッカケに近くの席にいた同僚と女性陣の会話が盛り上がり始めたところで、俺はそっと席を立つ。お金は既に幹事に払ってあるし、このままフェードアウトしても問題はない。いつものこと。また無駄な時間を過ごしてしまった。
店を出たところで煙草を取り出して、肺いっぱいに身体に悪い空気を取り込む。美味しいとは思わないしヘビースモーカーというわけでもないけれど、合コン帰りには無性に吸いたくなるようになった。だからこれは、もはや習慣みたいなもの。燻る紫煙をぼんやり眺めながら、今日も疲れたなあ、と1日を振り返る。


「及川さんって煙草吸う人だったんですね」
「へ?」
「女性は煙草が苦手な人が多いから嫌われることはしたくないとか言うタイプだと思ってました。意外」
「えっと…、」
「合コン。もう帰るんですか?」


突如として現れたその女性は、話の流れからしてどうやら先ほどの合コン相手の1人だったようだけれど、俺の脳内には全く記憶がなかった。元々女の子目当てで参加しているわけじゃないから、いつだって俺は誰のことも覚えていないのだ。
ぱっと見、整った顔立ち。可愛いというよりはどちらかというと綺麗という表現の方がしっくりくる。口調もなんとなくサバサバした印象で、先ほどの合コンでやたらと甘ったるい声で話していた女性陣と仲が良さそうなタイプには見えなかった。


「そっちこそ、もう帰るの?」
「数合わせで呼ばれただけなので」
「へぇ…タイミング良すぎたからてっきり俺のこと追いかけて来たのかと思った」
「…さすが。イケメンは随分と自意識過剰ですね」
「気の強い子は嫌いじゃないよ」


へらりと笑って見せれば、あからさまに眉を顰められた。こういう時、大体の子はキュンとしてくれるんだけど。まあたまにこの手の反応をする子もいるよね。
手に持っている短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けて胸ポケットにしまう。今日はいつもより少し気分が良いような気がする。この子のおかげかな、と考えて、ふと気付いた。


「名前、なんていうんだったっけ?」
「は?」
「気が向いたから覚えとこうかなって」
「…もう会うことないでしょう?」
「それもそうか。じゃあさ、」


もし次に会った時は、名前教えてよ。
これはちょっとした賭けみたいなものだった。会えたら面白いなっていう期待と、会えるわけないだろうけどっていう諦め。いつもの退屈な日常に少しだけ彩りを添えるためのお遊びだ。
彼女に背を向けてヒラヒラと手を振る。恐らく彼女は意味が分からないって顔をして折角の整った顔を歪めているのだろうけれど、その表情を確認することはしなかった。


◇ ◇ ◇



ここ2週間程度はそこそこ忙しかったのでまともに昼休憩なんて取れていなかったのだけれど、今日はなんとかゆっくりする時間を設けることができそうだ。午後からの予定を頭の中で組み立てた上で、幾つかお気に入りのお店をピックアップ。そうして考えた結果、今日はなんとなく美味しいコーヒーが飲みたい気分だったので、少しレトロな隠れ家的喫茶店へと足を運ぶ。
カフェではなく喫茶店というだけあって、そのお店の客層はダンディなおじさんとか、俺みたいなアラサーそこそこのサラリーマンとか、とりあえず男性が多い。女性のお客さんもチラホラ見かけることがあるけれど、キャピキャピした女の子というのは見かけたことがない。だからこそゆっくりできるというのもあって、俺はその喫茶店が気に入っていた。
カラン、と懐かしい音を立てて開けた扉の向こう。コーヒーの良い香りが鼻腔を擽る。マスターが、久し振りだね、と柔らかく微笑んでくれるのに対して微笑み返しながら、お決まりのカウンター席に目を向けて。


「あ」
「…あ、」


俺の声にカウンターでサンドイッチを咀嚼していた女性が反応してこちらを向き、そして、同じ声を出した。本当に、今の今まで綺麗さっぱり忘れていたのだけれど、横顔を見ただけで一瞬にして思い出す程度には印象深い人物だったのだろう。今の反応を見る限り、相手の方もどうやら俺のことは覚えてくれているらしい。
いつもの俺の特等席に座る彼女は、あの合コン終わりに約束を交わした女性に間違いなかった。まさかこんなところで再会するなんて。運命、なんて寒気がするような単語が頭に浮かぶ。
何も言わぬまま、けれど隣の席に腰かけた俺は、コーヒーとクロックムッシュのランチセットを注文する。彼女は嫌がる素振りも嬉しがる素振りも見せぬまま残ったサンドイッチに手を伸ばしていて、俺はまるで空気みたいだ。


「ねぇ、俺のこと覚えてるよね?」
「覚えてますよ」
「それならもう少し反応してよ」
「私、そういうの苦手なんですよね」
「そんな気はしてたけど」


とても生産性のない、淡白な会話が続いた。俺が何かしら声をかけて、彼女はそれに答えて、ちょっとした沈黙。その繰り返しの間に俺の注文したものが届いた。


「ここ、よく来るの?」
「たまに。静かでゆっくりできるので」
「俺もそんな感じ」
「…ほんと、意外ですよね」
「何が?」
「煙草もそうですけど、ランチは社内の女の子とワイワイ言いながら食べてそうなイメージだったので」
「それ、よく言われるけどね」


本当の俺はそんなんじゃないよ、と。ポロリと口から溢れた。無駄に愛想を振り撒くのが上手くなってしまったばっかりに、そういうイメージを持たれることは日常茶飯事だ。別に勝手に想像してもらうのは自由だけれど、そのイメージのせいで貴重なホッと一息つける時間を奪われるのは正直不愉快だったりする。勿論、不愉快さを露わにしたりはしないけれど。
クロックムッシュを齧り舌の上で堪能してからコーヒーを流し込む。彼女の方はもうサンドイッチを食べ終えていて、残るはカップに残った飲み物だけ。


「何飲んでるの?」
「コーヒーですけど」
「ブラック?」
「仕事中は大体」
「俺と同じ」
「甘すぎるのは好きじゃないので」
「それも、同じ」


なぜか同じってことが嬉しくて笑いが溢れた。彼女はというと、残りのコーヒーを飲み干して目をパチパチさせている。何かおかしい?と尋ねてみれば、そんな風に笑うこともできるんですね、って。
そんな風、というのがどんな風なのかは分からないけれど、あまり表情の変わらない彼女の驚きが表情に出る程度には衝撃的だったのだろう。
残りのクロックムッシュを頬張って、ちょうどコーヒーも飲み終えた。そのタイミングを見計らっていたかのように彼女が席を立つのを見て、俺もそれに倣う。そしてマスターに2人分の会計をお願いした。とても怪訝そうな彼女の視線には気付かないフリを決め込んで。


「こういうことされる覚えはないんですけど」
「うん。俺の気紛れだから」
「お金…」
「そんなことよりさ、名前教えてよ。約束でしょ?」


非常に不服そうだった。けれども素直に、名字名前です、と教えてくれるあたり、案外可愛い性格をしてるのかなあ、なんて。また、無意識のうちに口角が上がるのが分かった。


「あと、ここのランチ代なんだけど」
「だから返しますって…」
「お金はいらないから代わりに連絡先教えてよ」
「…じゃあお金返します」
「はは、そう言うと思った」


カラン、と。高らかな音を立てて扉を開ける。俺の後に続いて出てきた彼女は財布の中からお金を取り出そうとしているところで、真面目さが窺えた。ほんと、面白いなあ。


「小銭ぴったりないので多めで良いですか?」
「だめ」
「元はと言えば及川さんが勝手に払ったからこんなことになったんでしょう?」
「ごめんごめん。…じゃあさ、今度ぴったり返してくれない?」
「…今度?」
「そう。今度」


無駄にずる賢い俺は、にっこりと微笑む。観念したように、分かりました…と返事をする彼女に、じゃあ連絡先教えてねって携帯を取り出しながら言うと、いつかと同じように眉を顰められた。
たぶん彼女の中での俺の第一印象は、いや、第二第三印象ぐらいまでは最悪。でもさ、こういう始まり方って面白そうじゃない?
なんだかんだで連絡先を交換して、くるりと背中を向ける。じゃあまたね名前ちゃん、と言い残してヒラヒラと手を振る俺を、きっと彼女はあの日と同じように顔を歪めて見ているんだろう。
ちらり。あの日は見なかった彼女の表情を遠くから眺めてみる。意外にも彼女は、ほんの少しだけ笑っているように見えて。心臓がとくんと脈打った。