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トロイの木馬 後編


あれから2ヶ月。私は今、天敵である宮侑に組み敷かれていた。ぺろりと舌舐めずりをして目を細めてほくそ笑む宮侑を前に、私は逃げられずにいる。それはなぜか。結論から言うと、私は宮侑に屈してしまったのだ。


「今度は泣かへんやろ?」
「…うるさい」
「威勢がええのは相変わらずやなぁ」
「そっちこそ、性格悪いのは変わらないね」
「…ちょっと黙りや」


ヘラヘラしていた表情から一変、眼差しが鋭くなったかと思ったら口を塞がれた。私以外の女にも、今までこうして熱い口付けをしたのだろう。そう思うとチクリと胸が痛んだけれど、気付かないフリをした。
どうしてこんなに苦しい思いをしてまでこの男を受け入れようという気になったのか。好きに、なってしまったのか。それはたぶん、この男の、宮侑という男の、本音らしきものを知ってしまったからだ。


◇ ◇ ◇



遡ること数日前。それまでの私はというと、徹底的に宮侑を避け続けていた。そりゃあそうだ。ファーストキスを奪った憎き最低男になど、接触したいわけがない。つまり、この時の私にはこれっぽっちも宮侑に対する好意的な感情はなかったわけである。
どういうわけか、宮侑は私に付き纏い続けていたので、どれだけ避けていても少なからず会話をしなければならないことはあった。大抵の場合は、そろそろ俺のこと好きになったんちゃう?というようなふざけた内容。けれども時々、宮侑は懇願するみたいに言うのだ。そろそろ俺のこと好きになってや、と。
最初は相手になどしていなかった。誰にでも簡単にそういうことを言っているのだろうと思ったから。ところがどうやら、基本的に宮侑は来るもの拒まず去る者追わずなタイプらしく、私に付き纏っているのはとても珍しいことだと友達に言われてからは、なんとなく意識するようになってしまった。この男は、もしかしたら本当に私のことを特別な存在だと思ってくれているのかもしれない。そんな考えが生まれてしまったのだ。
これではヤツの思う壺。絶対に靡かない。心を許したりしない。頑なに宮侑を受け入れることを拒み続けていた時に、友達に連れられて観に行ったのがバレー部の試合だった。


「ね?宮くん達カッコいいでしょ?」
「そりゃあ、普段に比べればマシかもしれないけど…」


性格は双子揃って最悪だから、とは言わなかった。友達は純粋に宮兄弟を応援しているファンの1人だし、どれだけ悪い噂が流れていようともその気持ちに揺るぎはないようだったから。それだけのファンにもかかわらず、私が宮侑に言い寄られているのを妬んだりするようなことはなく、良いなぁ!付き合っちゃえばいいのに!と言ってくるのだから良い性格をしていると思う。
コートの中にいる金髪頭の宮侑は、黙っていれば確かに惹かれるものがある。それは認めざるを得ない。けれども、それだけで好きになんてなれるわけもなく。私はその試合を、ただぼんやりと眺めるだけに終わった。
その試合が終わってからトイレに行って友達のところに帰る途中、たまたまバレー部の人達が歩いてくるのが見えて、私は咄嗟に女子トイレに逆戻りした。試合を観に来ていることがバレたら、面倒なことになりそうだと思ったからだ。幸いにも、ワイワイと話をしながらこちらに向かってくる面々が私の存在に気付く様子はない。


「そういえばツム、例の子はまだオトせへんの?」
「サムには関係あらへんやろ」
「なんや。やっと本命の子ができたんか?」
「へぇ…意外」
「本命とか分からへんけど、今回はいつもとちゃうねん」


壁からそっと覗き見た宮侑の顔は、まるで試合中みたいに真剣で。例の子、というのが私のことなのか、はたまた違う誰かのことなのかは分からなかったけれど、こんな男でもあんな顔をして本気で誰かを想うことがあるのかと衝撃を受けたのは事実だった。
それからは、時々見せる真剣な眼差しに敏感に反応するようになってしまって、それに加えて、名前ちゃんは特別やって言うたやん、などと浮ついたセリフを言われれば、今まで鼻で笑ってあしらえていたはずなのにそれができなくなった。どうやら私は随分と単純な思考回路をしているらしい。
そうして少しずつ絆されてしまった結果、貴重なバレー部の休養日にどうしても私と過ごしたいとしつこく頼んできた宮侑を、私は突き放すことができなかった。この男は遊び人で、兄弟揃って私を騙し、挙げ句の果てにファーストキスを奪った最低なやつ。の、はずなのに。


「最近、悪い噂きかへんと思わん?」
「は?」
「俺の」
「ああ…さぁ…どうだろ」
「遊ぶんやめたんやけど」
「…へぇ」
「反応うっす!誰のためやと思うとるん?」
「そんなの知らな、」
「名前ちゃんのため」


また都合の良いことを言って私の反応を窺うつもりなのか。その手には乗らないぞ。強い決意を持って睨みつけた隣の男は予想以上に弱々しい表情をしていて、私の心をこれでもかと揺らがせた。
いつも自信満々で、強気で、自分が拒まれるなんて微塵も思っていない。そういう男のはずでしょ。なんでそんな自信なさそうに私のこと見てんの?意味分かんない。


「困ったことに本気やねんけど。俺のモンになってくれへん?」
「冗談、やめてよ、」
「冗談やったら良かったのになぁ」
「…意味分かんない。最初にもてあそんだのも、傷付けたのも、ずっと私を振り回してるのも、全部そっちなのに!なんでそんな顔…すんの…」


終盤にかけて言葉の勢いは失速し俯いてしまう。これじゃあ負けを認めているみたいじゃないか。あんなに拒み続けて、一生恨んでやるとすら思っていたのに。
きっと遊び人のままの宮侑だったなら今の私を見てほくそ笑んだことだろう。何かとても嫌味なことを言って私を追い詰めたことだろう。けれども今の宮侑は違う。そっと私の手を取っただけで何も言わない。なんて狡い男。
気付いた時にはもう遅く、私は誰もいないと言われたのに宮侑の家にホイホイと付いて行ってしまっていた。そして冒頭に戻るわけなのだけれど。全く、自分の浅はかさに目眩がする。


「初めてやんな?」
「……するなんて言ってない」
「ここまできておあずけなん?」
「そういうことしか考えてないの?」
「オトコノコやもん」
「最低」
「…そこまで言うならもっと嫌がりや」


本当に嫌なのか?それが分からない。だから、拒みきれない。ただ、こわいとは思う。その行為自体が。自分がどうなってしまうのか分からなくて。
また何の前触れもなく宮侑の顔が近付いてきて、唇が重ねられる。今度は舌が侵入してきて、ぬるりと口内を蹂躙していくのが気持ち悪いはずなのにふわふわした感覚。絡み取られた舌は逃げ場を失い、酸素の取り込み方さえ分からなくなる。
宮侑はこの手の行為に慣れているということが、キスだけで理解できた。こうやって何人もの女を絆して、抱いて、楽しんできたのだろう。ちくりちくり。また、胸が痛む。苦しい。
私達の今の関係って何だっけ?この状況を受け入れても良いんだっけ?ああ、もう、こんな風に悩むのも苦しむのも馬鹿馬鹿しい。けれども悔しいことに、私は堕ちてしまったのだ。だから、逃げられない。


「っはぁ、」
「…また泣いとるし」
「ほんと…バッカみたい…」
「何が?」
「アンタに絆されて、うだうだ悩んで、苦しんでる自分が」
「何に悩んで、苦しんどるん?」
「言っても分かんないよ…アンタには」


吐き捨てるように言って、ついでに、好きなようにしたら?と付け加えてやった。オトコノコだから続きがしたいんだもんね。結局、誰でも良いんだもんね。もうどうにでもなれ。
まな板の上の鯉とはよく言ったもので、今の私が宮侑から逃れる術はない。逃げる気もない。怖いけど、曲がりなりにも心を奪われてしまった相手だし、悪いようにはされないと信じるしかない。
と、その時。思いっきり身体に重みがのしかかってきて一瞬何が起こったのか分からなかった。宮侑が私を抱き締めるような形になっていることに気付いたのは、それからほんの数秒後のこと。何だ。こうやって始めるのがこの男の決まりか何かなのか。


「そないなこと言わんといてや」
「は…?」
「結構傷付いたんやけど…」
「なんで」
「そら好きな子に突き放されたら傷付くもんなんちゃう?よぉ知らんけど」
「…自分のことなのに?」
「前から言うとるやん。ちゃんと好きになったん名前ちゃんが初めてやって。こんな気持ちになるんも初めてやもん。分からへんわ」


布団に埋めていた顔を上げて私を覗き込むように見つめながらそんなことを言ってくるこの男。これも何かの策略だとしたら恐ろしい。でも、たぶんこれは本音。だって、表情に自信がなさそうだから。
ああ、どうしよう。こんな男のことを少しでも可愛いと思ってしまった。だから頭なんて撫でてしまったのだ。


「そんなに言うなら、彼女になってあげてもいいけど?」
「…よぉ言うわ。俺のこと好きなんは名前ちゃんの方やないん?」
「だったら、何?」
「は?」
「好きだったら何?」
「……めっちゃ嬉しい」


私は、宮侑の本当の笑顔を初めて見たような気がした。先ほどよりも強い力でぎゅうっと抱き締められて、苦しい。この苦しさなら全然つらくないから良いけれど。


「…で?」
「で?」
「続き、してもええ?」
「…ほんと、さいってい…」
「でも好きなんやろ?」
「馬鹿じゃないの」


いつから彼の策にハマっていたのか。それは分からない。でも結果的に、私は宮侑の手に堕ちてしまって、けれどそれを嫌だとは思っていないから。優しく降ってきたキスを、全力で受け入れた。