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トロイの木馬 前編


モテる。遊び人。その噂は有名だった。だから2年生になって同じクラスになった時、ああコイツが例の男か、と確認したのだ。平穏な高校生活を送るため、極力関わらないようにしよう、と。
それがどうしたことか。同じ委員会にはなるし、初っ端の席替えで前後の席になるし、不必要な接点がどんどん増えていく。それでも業務連絡というか、必要最低限の会話しかしないように気をつけていたというのに、後ろの席の要注意人物は意味もなく私に絡んでくるのだから解せない。
自分はモテると自覚しているやつは無駄に自信満々で苦手だ。拒絶されるなんて夢にも思っていないのだろう。トントンと肩を突かれて仕方なく振り向けば、にこりと整った微笑みを向けられて眉間に皺が寄るのが分かった。絵に描いたように貼り付けた笑顔で気持ち悪い。


「古典のノート、見せてくれへん?」
「嫌」
「なんで?」
「私じゃなくても貸してくれる子いっぱいいるでしょ」
「名前ちゃんは今俺の1番のお気に入りやから、そない嫉妬せんでもええよ?」
「…話になんない」


自信過剰男め。そろそろ女の子に恨まれて毒でも盛られれば良いのに。この手の男に嫌悪感しか抱かない私は、それからどれだけ肩を突かれても話しかけられても無視を決め込んだ。
宮兄弟という双子のうち、私は断然治派なので、どうせ絡まれるなら治の方が良かった。侑の方は信用ならない。信用する余地がない。その点、治の方は女遊びの噂なんて聞いたことがないし、それなりに普通っぽいような気がする。接点など全くないから分からないけれど、遠目に見て惹かれるものはあった。
だから宮侑に、治がなぁ、と声をかけられた時は、不覚にも耳を傾けてしまった。分かりやす!と言われようが、こればっかりは仕方がない。


「名前ちゃんと話してみたい、て」
「なんで?」
「俺のお気に入りなんやけど、て言うたからちゃう?」


それで興味を持たれるというのも些かおかしいような気がするけれど、あちらの方からそう言ってきてくれたのならお近付きになりたいかもしれない。不本意ながら、私は宮侑を介して治と連絡先の交換をした(必然的に宮侑とも連絡先の交換をすることになってしまったけれど仕方がない)。
治は意外とメッセージを返してくれるタイプだったようで、何度かやり取りすると廊下で擦れ違う時に挨拶を交わせる程度の仲には発展した。ガツガツしていないし、やっぱり治は侑と違って常識人っぽいな。そう思っていた矢先、治から呼び出された。
昼休憩、人気のない特別棟の1番奥の教室。少しドキドキしながら待っていると、治が現れた。こうして面と向かって話すのは初めてで、更にドキドキが増す。


「自分、俺のこと好きなん?」
「へ?え、えーっと…嫌いではない、かな…」
「ふぅーん…侑のことは?」
「嫌いっていうか苦手」
「女遊び激しいから?」
「まぁ…そんなところ」
「……ひとつ、教えといたろか」


治の目が、ひやりと冷たいものに変わったような気がした。この雰囲気、何?怖い。反射的に後退りしてみたものの、机にぶつかってガタリと音を立てただけで、治との距離は離れない。私の目の前まできた治が口元に弧を描く。


「俺ら双子やねん」
「そんなの、知ってる、けど」
「せやから根本的なとこは似ててん」
「ちょ、やだ、」
「侑のお気に入り奪うんが俺の趣味」
「は…?」
「まあ侑はこうなること分かっとって紹介してきたんやろうけどな」


この双子、性根が腐ってる。ちょっと顔立ちが整ってるからって、ちょっと甘い言葉を囁けるからって、こんなことして良いはずがない。人の気持ちを弄んで、最低。
追い詰められて逃げる術もなくて、こんな最低男にまんまと騙されたことが悔しくて、じんわりと涙が滲んだ。唇を噛み締めて、零れ落ちないよう必死に耐える。近付いてくる端正な顔から逃げるように顔を背けたけれど、顎を掴まれていよいよ抵抗できなくなった。
私のファーストキス、こんな風に奪われるのか。もうやだ。いっそ死にたい。この後どうなるのかということも考え始めると、それこそ絶望しかなくて。現実から逃げるみたいにぎゅっと目を瞑った。その時。


「サム、」
「……なんや珍しい。いっつも見とるだけやのに」
「それは俺のやから」
「………明日、雪でも降るんちゃう?」


この状況を救ってくれたのは、なんと宮侑だった。いや、救われた、というのは違う。こうなった要因はこの男にもあるのだから、ただ私は茶番に付き合わされたということになるのか。ていうか、私はいつから宮侑のものになったんだ。そんなの願い下げである。
治は、興醒めだ、と言わんばかりに盛大な溜息を吐いて私から離れると、ほなな、とヒラヒラ手を振って教室を出て行った。きっと治の悪い噂が広まらないのは、恐怖で支配しているからだ。私だって、何をされたか、友達に言う勇気はない。


「止めへん方が良かった?」
「……私、あなたのものになった覚えないんだけど」
「今後そうなる予定やん?」
「そんなのきいてないし有り得ないから」
「有り得へんって言い切れる?」
「当たり前、で、しょ…」


語尾の歯切れが悪くなったのは、宮侑が真剣な表情をしていることにたじろいでしまったから。一瞬、揺らぎかけたけれど大丈夫。どうせこれも演技なのだ。あとで、騙された?とかなんとか言ってきて、私を嘲笑うに違いない。


「もうあなた達兄弟には関わらない」
「騙されるん怖いもんなぁ?」
「…っ、」
「好きになって捨てられるんも嫌やろうし?」
「分かってるならなんでこんなこと…!」
「そんな感情、俺ら分からへんもん。1人の子に固執することなんかあらへんし、寝取られようが泣いて縋り付かれようが何も思わへん」
「さいってい……」
「けど初めて、サムに取られるん嫌やなあ、て思てん」


おかしいやろ?と、私に同意を求められても困る。元々頭がおかしい双子なのだ。何が普通で何が異常なのか、私にはもう判断できない。
とにかく、私はもうこの双子に関わりたくない。それだけは確かだったので、私はいまだに何やら悩んでいる侑の横を擦り抜けて教室を飛び出した。どうせ同じクラスだし席も前後だから逃げられないことは分かっているけれど、あんなところで2人きりなんて耐えられない。今日の出来事は忘れよう。私は拳をぎゅっと握り締めて足早に教室に戻った。


◇ ◇ ◇



「その子、俺のやねん」


数週間前にも同じようなことを言われた。私、あなたのものになった覚えないんだけど。そう思うのもこれで2度目。
私は体育館裏というベタな告白スポットに呼び出され、隣のクラスの知らない男子から告白されていた。見た目は普通。性格は、よく分からない。だって知らない人だし。
だから、付き合うとかそういうことは考えられない、と。正直にお断りした。すると、なんで?付き合ってみたら気持ち変わるかもしれないよね?と詰め寄られてしまった。最近こんなことばっかりだなあ、と妙に冷静な気持ちで事態の打開策を練っている時、見覚えのあるセリフを言って現れたのが宮侑。コイツ、私のことをストーカーしてるのか?と思うぐらいタイミングが良い。


「名字さんはお前みたいな遊び人と付き合うような人じゃない!」
「付き合うてんのとちゃう。俺のもんや言うてんの」
「何を訳の分からないことを…!」
「せやから、諦めてくれへん?」


男が男に壁ドンをするという光景はなかなか凄味がある。宮侑より背の低い男子は、元々気が弱かったのだろう、その威圧感に負けて逃げるように走り去って行った。


「ほんま、自分よぉ襲われるなぁ」
「前回のはあなたが仕組んだんでしょ」
「危機感足りんのんちゃう?」
「あなたには関係な…っ、ちょっと、」
「今も。俺と2人きりやのに隙だらけやん」


先ほどの男子のポジションに追い込まれた私は、つまり、宮侑に壁ドンされている。今月は厄日なのか。男難の相でも出ているのかもしれない。
けれどここで怯んだら負けだ。既に宮侑のペースに引き込まれつつあるけれど、これ以上振り回されたくない。私は頭の上にある侑の顔を睨みつけてやった。


「何?キスでもするつもり?それとももっとひどいこと?」
「してほしいならするけど」
「やれるもんならやってみれば?」
「……ほな遠慮なく」
「な…んっ!」


まさか本当にキスされるとは思っていなかった。思っていたよりもカサついた唇。少しの間だけくっ付いて離れたそれは、夢だったんじゃないかと疑いたくなるけれど、続きどないする?とニヤつく男を前に、夢ではなかったことを痛感。最悪。最低。さようなら、私のファーストキス。
別にファーストキスにそこまで大きな期待なんてしていなかった。ただ、好きな人とできたら良い。それだけだったのに。泣きたくないのに涙が滲み出てくる。


「嬉し泣き?」
「泣いて、ない…っ」
「キスぐらいで泣くほどウブやったん?」
「アンタみたいな最低男には私の気持ちなんて分かんないでしょうね!」
「好きな人とキスしたかった、とか?」
「…キスってそういうものでしょ?そんなことも分かんないの?」
「ほな簡単や」


今から俺のこと好きになればええだけやん。


至極あっさりと、何でもないことのように言ってのけた宮侑は、にっこりと微笑む。この男は。底が見えないほど最低だ。
ぱぁんと乾いた音が静かに響く。私の手はジンジン熱くて、宮侑の頬はほんのり赤くなっている。気付いたらほぼ反射的に、私は宮侑の頬を叩いていた。それなりに痛いはずなのにそんな素振りも見せず暫くポカンとしていた侑はやがて、フッフ、と不敵な笑みを零して。


「威勢のええ子は嫌いやないで?」


少しも怯むことなく、むしろ楽しそうにそう言ってのけたのだった。