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ジェントルマン・イミテーション


※社会人設定


友達が帰ると言った時、一緒に帰ればこんなことにはならなかったのだ。私はもう少し飲んでから帰るから、などと言って、1人でカクテルを飲んだりしていたのがいけなかった。そう、今の状況を招いたのは全て私自身のせい。けれども、どうしてこんなことに…と、胸の内で頭を抱えるのはこれで何度目だろうか。
隣には全く見ず知らずのおじさんが座っていて、先ほどからペラペラと自分の仕事の話をしている。私はその話を聞くフリをして適当に相槌を打ちながら、どのタイミングで帰ろうかということばかり考えていた。
これは荒手のナンパの一種なのだろうか。君の分のお酒代も払うから少し話に付き合ってくれないかい?突然そんな風に声をかけられて戸惑っているうちに、良いとも言っていないのに話を始めてしまったおじさん。小心者の私は、そこで逃げることができなくて今に至る。


「お酒、次は何飲む?」
「え?あ、私はもうこれで…」
「僕のオススメのお酒があるからそれを飲んでみてよ」
「いや、でも、」
「遠慮しないで。僕のおごりなんだし」


勿論、断じて遠慮などではない。やっと帰れるチャンスだと思って丁重にお断りしようとしたのに、おじさんは強引にお酒を注文してしまった。私はもう帰ります、と。たったそれだけのことが言えない。こんな性格の自分を心底恨む。
それからまた興味のないおじさんの話を聞きながら数分が過ぎ、飲みたいとも思っていないお酒が目の前に届いた。とりあえず一口飲んだところで、美味しいでしょ?と自信満々に尋ねられ、私は曖昧な笑みを返す。ぶっちゃけ私の好みではない。けれど、それを伝える勇気も気力も、今の私には存在しなかった。


「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね」
「どうぞどうぞ」


ちびりちびりとお酒に口を付けながら過ごすこと十数分。おじさんがトイレで席を立った。この機を逃すわけにはいかないと、私は急いで席を立つ準備をする。お会計はしてくれると言っていたし、この際そんなことは気にしていられない。
けれどもそんな私の隣に、またもや現れた黒い影。細長いシルエットのその人は、非常に背の高い男性だった。


「どーも、すんません」
「はい…?」
「さっき隣にいた人、うちの上司」
「ああ…そうなんですか…」


だったらもっと早く助けてくれたらよかったのに、と少し思ってしまったけれど、上司ということはなかなか口出しできない立場なのかもしれない。こうしてわざわざ謝罪してくれただけでも良い人だと思うことにして、今度こそ帰ろうと席を立ちかけた時。
トイレの方からこちらに戻ってくるおじさんを発見してしまい、目の前が真っ暗になっていく感覚に襲われた。いや、でもここですっと席を立って、そろそろ失礼します、って言えばギリギリセーフ?
どうしようかと迷っている間にもおじさんは近付いてきている。ここでまた隣に座られたら…、と。内心アタフタしている私の斜め上から、おねーさん、と。落ち着いた声が落とされた。初対面のその人の声をきいて急に穏やかになるのはおかしいはずなのに、なぜかすうっと冷静になれたような気がする。


「ここ、良い?」
「へ?あ、でも、」


私の返答を待たずしておじさんが座っていた席に座ったその人。私は結局、席を立てないまま。
俺ね、黒尾鉄朗っていうんだけど。おねーさんは?
ちょうどおじさんが来たところで、あたかもナンパしてます風を装ってそんな風に切り出した彼、黒尾さんを見て、おじさんは邪魔しちゃいけないとでも思ったのか、私達から離れた席へ行ってしまった。これはもしかしなくても助けてもらったということなのだろうか。
おじさんが遠くの席に座ったことを確認した黒尾さんは、ふぅ、と小さく息を吐いた。やっぱり、私の名前を聞く気なんてさらさらなかったらしい。


「あの、ありがとうございました…」
「ん?何が?」
「だって、席…」
「俺、タチの悪いナンパ男だから。お礼なんて言っちゃダメでしょ、おねーさん」


へらりと笑いながらビールを注文する黒尾さんに、なぜかドキドキした。確かに、一連の流れを客観的に見ればナンパしてきた人という風に見えるかもしれないけれど、あのおじさんから逃れる術を与えてくれた私からしてみれば、助けてもらえたと感じてしまうのも無理はない。それに本当にタチの悪いナンパ男なら、今のように、どうぞいつでも好きな時にお帰りください、みたいな空気を醸し出したりはしないと思う。
別に何を話すわけでもない。ここで帰ったところで黒尾さんはきっと何とも思わないのだろう。そもそも、次にどこかで会う可能性などほとんどないのだ。
もしかしたら私は自分が思っている以上に酔っているのかもしれない。先ほどおじさんが隣にいる時と同じ状況にもかかわらず、今度は帰らなくても良いかなと、もう少しここにいいても良いかなと思ってしまっている。


「帰んないの?」
「…え、と…これ、まだ残ってるので…」
「ふーん…さっきからほとんど飲んでないように見えたけど」
「そうですか…?」
「……俺の気のせいってことにしとく?」


私の下手くそな言い訳を上手に飲み込んで小さく笑ってくれた黒尾さんは、やっぱり魅力的な男性じゃないかと思った。どうしよう。初対面の人にドキドキして、あわよくばお近付きなれたら、なんて思うのは初めてのことだ。
今までの恋愛というと、告白されてなんとなく付き合い初めてなんとなく別れるか、知り合ってから暫くして好きだなとか良いなと思っても何もできず儚く散るか、とにかく報われる内容のものは一切なかった。そんなまともな恋愛経験が少ない私に、今の状況は高度すぎる。


「帰んないならさ、名前ぐらい教えてちょーだいよ」
「あ、ごめんなさい、名字名前です」
「そんなに素直に教えちゃっていいの?初対面の得体の知れない男に」
「黒尾さんも教えてくれたので…」
「ああ、そーね。なるほど。じゃあさ、」


ポケットからするりと出されたのは携帯電話。この流れは、もしかして。


「連絡先教えてって言ったらどうする?」
「……良い、ですよ」
「へーぇ。…さっきも言ったけどさ、俺みたいにタチの悪いナンパ男に簡単に連絡先なんか教えちゃダメでしょ」


尻軽な女だと思われてしまっただろうか。だとしたら失敗したなと思っても後の祭りだ。いつの間にかビールを全て飲み干していた黒尾さんは携帯電話をポケットの中にしまいこんでしまって、自分の軽率さを心底恨む。
これでまた儚い思い出が増えてしまったなと反省しかけたところで、黒尾さんが名刺らしきものを懐から取り出し、裏側の白い部分にサラサラと何かを書いて私の方にスッと差し出してきた。
表には会社名と役職と名前。裏側に羅列しているのは11桁の数字。


「それ、俺の連絡先」
「え」
「ちょっとでも気が向いたら連絡して。名字サンの連絡先はきかないから」


そう言って席を立った黒尾さんは混乱している私をよそに、また不敵に笑って言うのだ。期待して待ってる、と。
女慣れしていそうだから遊ばれているのかもしれないということを考えはした。けれどもそれはほんの一瞬で、たとえ何かの気紛れでも、遊びだとしても、黒尾さんのことを知りたいと思ってしまったから。
駆け引きなんて知らない私は、明日にでも連絡してしまうのだろう。あの黒いシルエットを思い浮かべながら。