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蕾はまだ眠らない


春になった。桜はもう葉桜になってきていて、見頃は過ぎてしまったように思う。俺は感慨に耽るほど情緒がある性格だった覚えはないけれど、この時期になるとなんとなく思い出してしまうヤツがいた。
そいつは、春が1番好きだと言っていた。暖かくて心地良いからかと尋ねたら、それだけじゃないよ、と笑っていた。結局、それ以外の理由が何だったのかは分からずじまいだ。そいつとは、名前とは、何の前触れもなく離れ離れになってしまったから。
こんな俺にも、高校時代には付き合っている彼女がいた。それが名字名前。付き合い始めはひどく曖昧で、その場のノリというか、雰囲気というか、とにかくお互い明確に好きだとかそういうことは言ったことがなくて、けれども一緒にいるとなんとなく落ち着く関係だった。


「烏養君は進路とかもう考えてる?」
「まだ高2じゃねぇか。そんなのもっと後で考えりゃ良いだろ」
「…そうだよねぇ」


今になって振り返れば、高校2年生の2月末という中途半端な時期に突然そんなことを尋ねてくるのはおかしかったということが分かる。けれどもその時の俺は、急に何マジメなこと言ってんだコイツ、ぐらいにしか思わなくて、その話は早々に終わりを告げた。
その頃には、名前には分かっていたのだ。別れの時が近付いているということが。だからそれとなく俺の進路なんかきいてきたのだろう。
4月。高校3年生に進級した時、名前は俺の隣にいなかった。春休み中に引っ越したときいたのは入学式の時。なぜ一言も俺に言わず去ってしまったのか、どこに行ってしまったのか、何も分からぬまま、連絡しても返事はないまま、月日は流れて。
今年もまた、春はやって来る。


「アンタ、そろそろ彼女の1人でもつくったらどうなの?」
「うるせぇな。今それどころじゃねぇんだよ」
「バレーも良いけど親孝行も考えてほしいもんだわ」
「だから、うるせぇって」


ここ最近、母親は事あるごとに彼女をつくれと口うるさく言ってくるようになった。恐らく俺の高校時代の友人が最近になって結婚したことが関係しているのだろう。まったく、迷惑な話である。
名前との別れを引き摺っているつもりはない。けれども、なんということか。気付けばあの頃以来、俺には彼女らしい彼女ができぬまま無駄に年をとってしまった。そりゃあ親も心配するかもしれない。
とは言っても、店番かバレー部のコーチをしているか、それだけの生活の中で彼女を作れというのも無理な話で。自分が求めていないからこの現状があるのだけれど、そろそろやばいよなぁとは思っている。…少しだけ。
また母親からの何かしらの小言が飛んできそうな気配を感じ取り身構えた時、ちょうどタイミングよくがらりと店のドアが開いた。来客だ。助かった、という気持ちで、いらっしゃいませー、とわざとらしく言ってみせれば、母親は自宅の方へと引っ込んだ。
店の客は大体が学生か、近所の顔見知り。けれども、今店内にいる客はそのどちらでもなかった。制服姿ではないし見た目も成人済みだろうその女性は、近所のヤツでもない。恐らく、初めて見る。
店内をざっと見て回ってからレジの方に、つまり俺の方に近付いてきた女性の手には、微糖の缶コーヒーとミルクティーがひとつずつ。変な組み合わせだな、と思いつつも会計を済ませたところで、女性の方が口を開いた。
聞き覚えのある声音だった。高くも低くもない、心地良いトーン。その時、俺は初めてその女性の顔を見た。そして、全てを悟る。


「今、お店は忙しいですか?」
「…見りゃ分かると思うけど」
「お客さんにそんな言い方しちゃダメでしょう?」
「ただの客に、こんな話し方しねぇよ」
「…なーんだ。もうバレちゃったんだね」


この時期になると思い出すヤツがいた。名字名前。俺の元彼女。そして、たぶん、初めてきちんと好きだと思った女。だから、気付かないはずがなかった。
月日は経ってしまったけれど面影は残っていて、くしゃりと笑った顔もあの頃を彷彿とさせる。お昼を過ぎて夕方にはまだ早いこの時間帯、客はあまり来ないので俺はいつも暇を持て余している。けれども、今日は暇潰しにマンガを読んだり練習メニューを考えたりする必要はなさそうだ。


「どっちが良い?ひとつあげる」
「ミルクティーが良いんだろ」
「うん。よく分かったね」
「コーヒーはあんまり好きじゃないって言ってなかったか?」
「もう…忘れられてると思ってたな」


それは名前の好みについてだろうか。それとも、名前自身のことを、という意味だろうか。確認はしなかった。残念ながら、どちらにせよ俺は全てを覚えてしまっているからだ。
店に客は来ない。レジ前で立ち尽くしたまま、俺は黙ってコーヒーを受け取る。立ちっぱなしで昔話をするのもなんなので、店前へと場所を移してベンチに並んで座ってはみたものの、何を話したら良いのか分からない。
ちびりちびりと口付けるコーヒーだけが着実に減っていく。口の中にじわじわと広がっていく苦味だけを感じながらぼんやりと空を見上げた俺の隣で、名前は、ただいま、と。呟くように言った。
なんであの頃、俺に何も言わず去ってしまったのか。もしも再会できたら尋ねようと思っていた。俺だけじゃない。仲の良かった女友達にさえも何も告げず去ってしまった理由。それをずっと、知りたいと思っていたはずなのに。ただいま、という言葉に、ああコイツは帰ってきたんだ、と。ただそれだけの事実を受け止めて、満足してしまった。


「……俺の方こそ、忘れられてると思ってた」
「忘れないよ。きっと、これからも」
「…こっちに帰ってきたのか」
「そう。先月引っ越してきて、バタバタしてたらなかなか来れなかったんだけど…烏養君は変わらないね」
「名前も変わってねぇよ」


お互い過去のことに触れないのは俺達が大人になってしまったからだろうか。ずっと胸の内で燻っている気持ちは、今ここでスッキリさせるべきではないのか。俺にしては珍しく、ごちゃごちゃと考えてしまう。


「私ね、春が1番好きなんだ」
「知ってる」
「どうしてか、話したことあったっけ?」
「暖かくて過ごしやすいから」
「それだけじゃないよ」
「その続きは、知らねぇ」


ミルクティーをごくりと喉に流し込む横顔に、見惚れる。変わらないと言ったけれど、あの頃よりも名前は随分と綺麗になった。笑い方は変わらないけれど、微笑み方は大人になっている。だから余計にどきりとした。


「烏養君が生まれた季節だから」
「は?」
「好きな人が生まれた季節って素敵じゃない?」
「……なんだよ、それ」


高校時代の青臭い恋愛。熟すことのないまま時だけが流れて、このまま腐っていくものだとばかり思っていた。けれども、もしかしたら。まだ、熟す途中だっただけかもしれない、なんて淡い期待。
ぐびり。一気に飲み干したコーヒーは不思議と苦くない。


「今度は勝手に逃げんなよ」
「…逃がさないように、捕まえててくれる?」


ふふ、と笑った名前につられて、俺も頬を緩めてしまった。そんな春の日の昼下がり。