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ベクトルは交わる


これはデートだ。恋人である男女が2人でランチを食べ、映画を観に行き、ウィンドウショッピングをしている。これをデートと呼ばずして何と呼ぶのか。けれどもデートとは、こんなにも距離が遠いものなのだろうか。私はそれをずっと考えていた。
待ち合わせ場所で合流した時から今に至るまで、私と英君との距離は一定に保たれている。大人1人分ぐらいの距離はあるだろうか。人が多いからはぐれそうになりながらも何とか隣を歩き続け、今のところ迷子にはなっていない。ただ、元々口数の少ない英君とはあまり会話が弾まないし、このデートを楽しんでいるのは私だけじゃないだろうかと、先ほどから心配にはなっていた。
これも元々なのだけれど、英君はあまり笑わない。何回か小さく笑っているところは見たことがあるけれど、それは残念ながら私の前ではなかった。私はただ、教室の隅でその笑顔を盗み見ただけ。私といる時の英君は基本的に無表情か、少し難しそうな顔をしていることが多い。今日も例の如く、英君の表情に大きな変化はない。
ふう。小さく息を吐く。英君とのデートは楽しいけれど、とても緊張するのだ。英君とはまだ数えるほどしかデートをしたことがないけれど、これからもずっと、慣れることはないような気がする。


「疲れた?」
「え?そんなことないよ!」
「ふーん…」
「英君の方こそ疲れてない?」
「これでも部活してるし。少し歩いたぐらいで疲れるわけないじゃん」
「そ、そうだよね…ごめん」


私の様子をチラリと窺った後、英君の視線は再び進行方向へと戻される。せっかく話しかけてもらえたのに、会話を弾ませることもできなければ上手な相槌も打つことができない。ふう。私はまた小さく息を吐いた。
そんな私を見て、とうとう愛想を尽かしてしまったのだろうか。暫く歩いていると英君が、もう帰る?と言ってきた。私としてはもう少し、できるだけ長く英君と一緒にいたいと思っている。けれども、これはもしかしたら英君が遠回しに、もう帰りたいんだけど、とアピールしているのかもしれないと思ったら、本音を伝える勇気は萎んでいった。


「私は…どっちでもいいよ」
「何それ。優柔不断」
「ごめん…」
「名前ってそればっかり」
「それ?」
「ごめんって。そんなに謝んなきゃいけないことしてるワケ?」
「そういうわけじゃないけど…」


ごめん。口を突いて出てきたのは指摘されたばかりの謝罪ワード。だって、それ以外に何って言えばいいのか分からない。押し黙る私の頭上で、英君が大きく溜息を吐いた。
ああ、英君に嫌われちゃったのかな。そりゃあそうだよね。一緒にいてもつまんないし、会話も上手くできない私じゃあ、嫌われて当然だ。


「あのさぁ、何か勘違いしてない?」
「勘違い?」
「今考えてること、当ててやろうか」


自分と一緒にいてもつまんないだろうな。楽しんでるのは自分だけかもしれない。嫌われたかも。
英君の口からは本当に私が考えていたことがするすると飛び出してきて驚いた。そんなに分かりやすい表情を浮かべていただろうか。努めて明るく振る舞っていたつもりだったけれど、その努力は無意味だったらしい。


「当たってるだろ」
「…うん。でも、どうして、」
「そんなの、見てれば分かる」
「見てれば…?」


午前中からずっと一緒にいるけれど、英君からの視線を感じたことはなかった。でも、今の発言からすると英君は私のことを気にかけて気付かれない程度に見ていてくれたということになる。私の知らないところで英君が気にかけてくれていたという事実を知って、私の気持ちは羽のように軽くなった。
恐らく、その心情が顔に表れていたのだろう。英君はバツが悪そうにそっぽを向いて、別にそんなに見てたわけじゃないけど、と吐き捨てた。


「思ってることとかやりたいことがあるなら言えば?嫌なら嫌って言うし」
「…じゃあ、あの、言ってもいい?」
「だから、言えって」
「もう少し英君と一緒にいたい」


先ほどは言うことを躊躇って飲み込んだ気持ち。嫌だって言われるかもしれないけれど、私にとっては自分の気持ちを伝えることができただけで大きな進歩だ。
恐る恐る見上げた英君の顔は眉間に皺を寄せた難しい表情になっていて、やっぱり図々しすぎたのかもしれないと反省しかけた時だった。馬鹿じゃないの、と小さく笑われたのは。え、待って。今、笑った?


「俺、帰るなんて言ってないし。元々帰るつもりないし」
「えっ、あ、そうなんだ…」
「なんで久し振りに丸一日一緒にいられるのに帰らなきゃいけないんだよ」
「英君、私と一緒にいたいって思ってくれてるの…?」
「せっかくの休みの日に朝から会ってるんだから察したら?名前じゃなかったら外にも出てない」


大体、俺が一緒にいるのを苦痛に感じるような女と付き合うと思う?そんな面倒なことするわけないじゃん。なんでそんなに自信なさそうなの?俺、ちゃんと言ったよね?名前で、良いんじゃなくて、名前が、良いんだって。
英君の中で溜まっていたものがあったのだろうか。まさか公衆の面前で(と言ってもこちらに注目している人はいないのだけれど)、捲し立てるように感情をぶつけられるとは思ってもみなかった。
戸惑っている私に更なる動揺を与えるためなのか、それとも他の理由があってのことなのか。英君はおもむろに私の手を取ると歩き出した。今まで埋まらなかった距離があっという間に埋まったという事実よりも、思っている以上に高めに感じる体温が私の心拍数を上げる。


「あの、英くん、手…」
「嫌なの?」
「嫌じゃない!嬉しい、です…」
「じゃあ黙ってて」


これはデートだ。私達は恋人同士で、だから手を繋いで歩くなんて普通のこと。いちいちドキドキするようなことじゃない。今までの彼氏と手を繋いだ時だって、こんなにドキドキしたことはなかった。
でも、英君は今までの彼氏とは違う。一緒に過ごす時間だって短いし、クラスで特別話しかけてくることもない。好きだなんて言ってもらったこともない。それでも私は、英君に大切にしてもらっていると感じることができるのだ。
部活で忙しいはずなのにメッセージは必ず返してくれる。会話の量は少なくても、毎朝おはよって挨拶をしてくれる。部活が休みの月曜日は約束しているわけじゃないのに私のことを待っていてくれる。英君はいつも、私を不安にさせないように行動してくれている。
今だってそう。私の様子を窺って、不安だとか迷いだとか、そういうものを全て払拭してくれた。そういうところが、私は大好きなのだ。


「英君、ありがとう」
「は?何が?」
「ふふ…なんでもない」
「変なの」


これからはもう少し、英君に私の素直な気持ちを伝えてもいいかな。ごめんね、じゃなくて、ありがとう、と、大好きだよ、を沢山言ってもいいかな。何言ってんのって言われちゃうかもしれないけど、また笑ってくれると良いな。
落ち込んでいた気分はすっかり浮上しきっていて、全ては繋がった手から伝わる熱のおかげだと思った。私の体温も、英君に届いてるかな。そんなことを思いながら少しだけ手をきゅっと握ったら無言のままでぎゅっと握り返されて、私の心臓はまた、ドキドキを重ねるのだった。