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俳優黒尾×一般人彼女


昔から胡散臭いとばかり思っていた笑顔が、今やお茶の間でキャーキャー騒がれているという事実に、私はいまだ順応できていない。職場での昼休憩中、昨日のドラマ見た?見た見た!カッコよかった〜!という女性社員達の黄色い声が聞こえたけれど、そっとスルーした。昨日のドラマの主演男優を務めていたのは、その胡散臭い笑顔の持ち主だったからだ。
お弁当箱を広げ、自分で作った変わり映えのしないおかずが詰まったそれを箸でつまみながら、そっとスマホの画面をなぞる。忙しいはずなのに律義にも毎日かかさず私に連絡をくれるその男が、まさか今話題の有名俳優だなんて、一体誰が思うだろうか。
先ほどから話題に上がっている、胡散臭い笑顔なのにキャーキャー騒がれている、どうやらカッコいいらしい有名俳優というのは、黒尾鉄朗という男のことだ。そしてその男は、この平々凡々な私の幼馴染み兼彼氏だったりする。勿論、世間の皆様には内緒だけれど。
自分の彼氏が全く知らない赤の他人に褒められるというのは、嬉しいけれど不安になる。いちいち不安になっていたらキリがないほど人気者になってしまったので最近は深く考えないようにしているけれど、完全に不安を払拭できているのかと尋ねられればそれは確実にノーだ。
鉄朗は大学時代に芸能事務所の人にスカウトされて以来、芸能界での仕事を続けている。最初はモデルから始まって、雑誌にちらりと掲載されるぐらいだったのが、いつの間にか映画にまで出てしまうような俳優にまで上り詰めてしまったのだから、鉄朗には元々演技力というものが備わっていたのかもしれない。ドラマや映画に出るようになって、鉄朗は当たり前のように綺麗で可愛い女優さんの彼氏役を務める。いくら仕事だと分かっていても、自分の彼氏が他の女性と抱き合ったりキスしたりするところを見るのは苦しくて。私は鉄朗の出演している作品を今まで一度も見たことがなかった。


「ねぇ、昨日のドラマ見た?」
「…ごめん、私見てないんだ」
「え〜!黒尾鉄朗、カッコいいよ〜!」


そんなの、言われなくたって知ってるよ。こっちは幼稚園時代から一緒に育ってきたんだから。ファンなら喉から手が出るほどほしくなるような写真だって持ってるわ。
心の中で幾ら毒づいても、それらが発せられることはなく。そうなんだ、と興味のないフリをすることだけで精一杯だ。そんな時、私の手元でスマホが震え出した。画面を見ると、鉄朗、の文字が見えて、慌てて隠す。傍にいた女性社員は不思議そうに首を傾げていて、どうやら画面を見られたという心配はなさそうだ。私は、ごめんね、と断りをいれてから席を立つと、足早に部屋から出て行って通話ボタンを押す。電話なんて珍しい。珍しすぎる。


「あ、わり。飯食ってた?」
「それはいいけど…どうしたの?」
「ちょっと時間あったから電話してみた。そろそろ俺のこと恋しくなってんじゃねぇかなーと思って」
「……あ、そう」
「っていうのは嘘で。俺が、声ききたかっただけ」


何それ。今やってるドラマのセリフでも練習してるの?鉄朗が俳優として活躍し始めてから、ずっと思っていること。鉄朗の口から出てくる私への言葉は、本心なのか、俳優として培ったリップサービスなのか。私は随分と前から、疑念を抱いていた。だから、本来なら言われて喜ぶべきことで、素直に嬉しいと思えない。
不自然な間の後、そうなんだ、と抑揚のない声で返事をした私に、鉄朗はきっと不信感を抱いただろう。不愉快な思いをして眉間に皺を寄せているかもしれない。その表情が容易に想像できて、なんだかおかしかった。


「どした?ご機嫌ナナメ?」
「そんなことないよ。仕事、戻ったら?」
「んー…、」
「私もご飯食べたいし」
「ん、そっか。じゃーまた連絡するわ」
「仕事忙しいでしょ。私のこと気にしなくていいから」


じゃあね、と。なかば強制的に電話を切った。私は、とても醜くて嫌な女だ。電話をしてきてくれたことを素直に喜べもしない。毎日、短くてもきちんと連絡をくれる鉄朗に素っ気ない返事しかできない。こんな可愛くない女を、なぜ鉄朗は彼女にしたんだろう。周りにはとても煌びやかな女性が溢れているはずなのに、どうして別れを切り出さないんだろう。もしかして、幼馴染みの情みたいなものがあるのだろうか。あり得る。鉄朗は、なんだかんだで人を傷付けないように考えて動くタイプだから。
とぼとぼと自分の席に戻りお弁当を食べる。午後の仕事もいつも通りこなして、落ち込んでいたつもりだったのに私って案外タフだよなあ、なんて思ったりして。仕事を終えて家に帰り夜ご飯の支度をしていると、スマホが着信を告げる音楽を奏で始めて画面を見た。すると、そこには昼間にも見た鉄朗の文字が表示されていて、出ようか出るまいか迷う。昼間の会話の流れからすると、いい方向には傾きそうにない。それが分かっていて出るのは怖くて。結局、迷っている間に、着信音は途切れてしまった。
いつかはそういう時がくる。薄々感じてはいたことだ。幼馴染みだからといって特別な存在でい続けられるわけじゃない。付き合っていても会うことは愚か、声をきいたのも久し振りのことだった。よくよく考えてみれば、短い連絡だって、私を気遣って作業的に、なんとなく送ってくれていただけかもしれない。
考えれば考えるほどネガティブな方向にばかり思考が進んでしまって、これ以上はやめようと、沸き立ちそうな味噌汁に視線を落として火を止めたところで来訪者を告げるチャイムが鳴った。こんな時間に誰だろう?宅急便かな?と思いながら何の躊躇いもなく玄関の扉を開けたのは、非常に不用心だったと思う。
開けた瞬間するりと中に入ってきたその人は、簡単に開けんな、と私の額にデコピンをかましてきた。マスクと目深に被った帽子で表情はよく分からないけれど、その声だけで誰か分かる。なんで、有名人の黒尾鉄朗がこんなところに来ているのだ。


「なんだ、元気そーじゃん」
「なん、で、」
「電話した時、なんか変だったろ?」
「…そんなことで、ここに来ちゃダメでしょ」
「なんで?」
「週刊誌とか。写真、撮られちゃうんじゃないの」


昼間のたったあれだけのやり取りで私の変化を察知してくれたことも、心配して来てくれたことも、ありがとうと言えばいいのに。こんな言い方しかできない自分が、本当に嫌で堪らない。
被っていた帽子を脱ぎマスクも外した鉄朗は、私に何の断りもなく家の中に入ると、まだ飯食ってねぇんだよな〜、と呑気に呟きながら台所に立ち作りかけの夜ご飯を眺めていて、私の話をきいているのかどうか、よく分からなかった。ねぇ、と。私が声をかけたのと、なぁ、と鉄朗が振り向いたのは、ほぼ同時だったと思う。私を見つめてくる鉄朗から、目が離せない。


「お先にどーぞ」
「え、あ…いや、鉄朗から、どうぞ」
「んー、じゃあきくけど。俺と別れたい?」
「そんなこと…思ってない…!別れたいのは鉄朗の方なんじゃないの?」
「…なるほどね」


心の中がぐしゃぐしゃの私を前に、やけに冷静に納得した様子の鉄朗は、大きく息を吐いて。ごめんな、と言った。とても苦しそうに。
なんで鉄朗がそんな顔するの?謝ったりなんかしたの?何も分からないよ。鉄朗につられて苦しい気持ちになって、歪んだ表情でも浮かべていたのだろうか。そんな顔すんなよ、と言われたけれど、それはこっちのセリフだ。


「なかなか会えなくて悪かった。今度からもう少し会いにくるし電話もかけるようにする」
「そういう気遣い、いらない」
「気遣いじゃなくて。俺がそうしたいだけ」
「…それ、どこかで覚えてきたセリフ?」


ずっと思っていたこと。とうとう本人を目の前にして言ってしまった。何を言いだすんだと、今度こそ怒りだしても良さそうなものを、鉄朗は、ちげぇよ、と笑うだけ。なんでそんなに優しいの。優しいのは昔から知ってたけど。


「もう不安にさせてるみたいだけど、これ以上不安にさせたくねーの。俺が」
「…私みたいな面倒な彼女嫌でしょ?鉄朗の仕事の邪魔したくないし…別れても、いいんだよ?」
「残念ながらそれはできませーん。別れるぐらいなら今の仕事辞めまーす」


そんな馬鹿な選択をする人間が鉄朗の他にいるだろうか。今の仕事を続けていたら、鉄朗はもっと輝けるはずなのに。私なんか選んじゃって、ほんと、馬鹿だよ。


「別れないから、今の仕事、頑張って…」
「ん。よろしい」
「鉄朗…ごめんね」
「何が?あ、さっき電話無視ったことなら鉄朗くん傷付いちゃったから夜ご飯作って」
「…ふふ、いいよ」


たとえドラマや映画のセリフだったとしても。鉄朗の口から紡がれる言葉は、全部本音だって信じるから。こんな捻くれ者で可愛げのない幼馴染み兼彼女だけど、これからもどうぞ宜しくね。
台所で夜ご飯の準備を始める前に唇を奪われ、ごちそーさま、と笑う鉄朗を見て、私は今日、何度目かの恋に落ちた。なんて。ちょっとドラマみたいじゃない?