×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

モデル及川×一般人彼女


仕事帰りに立ち寄ったコンビニで女性もののファッション誌を開く。パラパラとページを捲り、目的のページで目を止めた私は、そこに映る男性モデルを穴があくほど見つめた。にこやかにこちらに微笑みかけるその表情には、キラキラという形容詞がぴったりだ。
相変わらず整った顔立ちにスラリとした体型で、これぞモデル、というその姿に、世の中の女性達はどれほどときめいているのだろうか。


「こんな笑い方、普段しないくせに」


小さな声で落としたその言葉は、誰にも拾われることなく空気に溶けていった。本来なら私からとても遠いところにいるはずなのに、どうして私が彼の普段の表情を知っているのか。答えは簡単。彼は私の、恋人だから。
勿論、超がつくほど人気で売れっ子の彼に彼女がいるなんてことがバレたら一大事なので、その関係は2人だけの秘密。だからどれだけ職場の女性陣が、彼…及川徹にキャーキャー言っていても、私は適当に、そうだねーと冷ややかな態度を取ることしかできない。
本当なら、実は彼と付き合ってるんです!と自慢げに言ってみたい。そう思う反面、あの及川徹の彼女が私みたいな何の取り柄もない、どこにでもいそうな女だと思われると、彼のイメージダウンになりそうで怖いという気持ちも大きい。
私と彼との関係は、彼がモデルとしてスカウトされる前から続いている。最初は、自分の彼氏がモデルだなんて鼻が高いと思っていたし、素直に頑張ってほしいと応援していた。
けれど彼が有名になればなるほど、2人で過ごせる時間も、連絡を取り合える時間もなくなって、付き合っているということを隠さなければならなくなった。どこにも一緒に行けなくなったし、ここ最近は電話もメールもほとんどできていない。
きっと仕事で忙しいのだろう。頭では理解しているけれど、心の整理はできなくてモヤモヤする毎日。その負の感情は日を追うごとに大きくなっていった。
なんで彼は有名人になってしまったんだろう。いつしかそう思い始めている自分がいた。あんな煌びやかな世界で過ごしていたら、私のことなんてどうでもよくなっちゃうよなあ。ネガティブな感情に飲み込まれそうになったところで、私はパタリと雑誌を閉じた。もう考えるのはやめよう。考えれば考えるほど惨めになるから。
どんよりとした気持ちを抱えて、何も買わずに俯いたままコンビニを出たところで、ドンっと誰かにぶつかる。ごめんなさい、と慌てて視線を上げると、そこには今の今まで脳内を支配していた彼がいて、一瞬呼吸が止まった。


「な、なんで…っ、」
「しー…バレちゃうからそのまま歩いて」


するりと流れるような動作で手を攫われ、状況が飲み込めぬまま歩き出す。目深に帽子を被りマスクをしているとは言え、見る人が見ればきっと気付いてしまうだろうに。どうしてこんなところをフラフラしているのだろう。
多くの疑問を抱きながらも、まだ私の存在を忘れずにいてくれたということが嬉しくて。繋がれた手のじんわりとした熱さが、とても懐かしい。
暫く歩いて辿り着いたのは、彼の住む綺麗なマンション。え、彼の、マンション?私は咄嗟に彼の手を振り払うと、その場を離れるために慌てて走り出した。だって、彼のマンションに一緒に入っていくのが誰かに見られでもしたら大変だ。
けれども、駆け出した直後に手首を掴まれてしまえば、抵抗など無意味で。私はそのままズルズルとマンションの中に引き摺り込まれてしまった。もし写真でも撮られていたら、明日は日本中大騒ぎになるだろう。考えるだけで恐ろしいので、これ以上は考えないようにしようと私は小さく首を横に振った。
エレベーターに乗り込んで漸く2人きりになったからか、彼はマスクと帽子を取り去って、私にふわりと笑う。雑誌で見た笑顔より何倍も柔らかいその表情に、胸がきゅうっと締め付けられた感覚がしたのは、きっと気のせいなんかじゃない。


「久し振り」
「…バレたら、どうするの」
「……喜んでくれないんだ」


掴まれていた腕が解放されて、途端、熱を失う。そりゃあ会えたのは嬉しい。けれど、それと同じぐらい不安なのだ。手放しで喜べる状況ではない。
エレベーターの扉が開いて彼が降りたのを見て、私も後を追う。見るからにお高そうなこの扉の向こうに足を踏み入れたことがあるのは、まだ片手で数えられる程度。付き合っていても気軽に来られるようなところではないのだ。
鍵を開けた彼が、どうぞ、と言ってくれたので、ここまで来たら入らないわけにはいかない。遠慮がちに中に入ると、以前来た時と何ら変わりない、あまり生活感のない綺麗な空間が広がっていた。
ぼーっと立ち尽くしていると、背後から温かいものに包まれて息を呑む。その温かさの正体が分からないほど、私は馬鹿じゃない。


「会いたかった」
「…仕事は大丈夫なの?」
「なんでお前はそういうことばっかり言うかなぁ…」


腰に回されていた腕の力が少し緩む。きっとここで、私も会いたかった、と言うのが正解だったのだろう。けれども自分に自信のない私は、彼の仕事のことばかりが気になって仕方がないのだ。


「私には、もう、この関係を続けるの…無理、かも」
「………そりゃそうだよね。会いたい時に会えるわけでもなければデートで好きなところに行けるわけでもない。連絡だって頻繁には取れないし、何より誰にも彼氏を紹介できない。そんな関係、普通は嫌だと思うよ」
「そういう理由じゃ…!」
「俺も、同じこと思ってた。だから今日、リセットしようと思って」


背中の温もりが完全に消えて、彼が離れたことを肌で感じる。ああ、なるほど。住む世界が変わってしまった彼は、私との別れを切り出すためにこうして最後の時間を設けてくれたのか。どこまでも優しい人だ。優しくて、酷い人。
唇を噛み締めて俯く私の前に彼がすっと現れて、頬を包み込まれる。ゆっくりと顔を上向かされれば嫌でも視線が交わって、私の目にはあっと言う間に水溜りができてしまった。


「なんで泣きそうな顔してんの」
「だっ、て…私、やだ、別れたく、ない…っ」


みっともないことは重々承知だけれど縋り付くように彼の服を掴む。すると、一瞬だけ目を丸くさせた彼は数回瞬きをして、お前は馬鹿だね、と笑いながら私をキツく抱き締めた。


「俺がお前を手放すわけないでしょ」
「…でも、さっき、リセットしようと思うって…」
「あれはね、もう隠れるのはやめようって提案するつもりで言ったんだよ」


徹は私の背中を撫でながら、呆れたようにそう言った。そして、彼女がいることを公表しようと思っているということ、既に事務所関係者には話しており了承を得ていることを話してくれた。
私はあまりの驚きに開いた口が塞がらない。あとはお前次第なんだけど、なんて言われても、そんな大切なことを私が決めて良いのだろうか。そもそも、及川徹に彼女がいるなんてイメージダウンでしかないのに、事務所の人もよく許してくれたものだ。


「これからは堂々と外でデートして、いつでもうちに来ればいい。なんなら同棲してもいいし」
「ま、待って…!そんな…仕事に支障が出るよ…」
「俺はお前といられなくなるぐらいなら仕事なんて辞めるよ。だから仕事のことは抜きにして、お前がどうしたいか聞かせて?」


口調は穏やかなのにその表情は真剣そのもので怖いほど。それだけ本気なのだという気持ちがひしひしと伝わってきて、私は自分の感情に向き合う。
そしてすぐに結論は導き出された。だってそんなの、


「ずっと徹の傍にいたい…」


随分と前からこの思いだけは変わらないから。徹は消え入りそうな私の答えをきちんと聞いてくれていたようで、よく言えました、と頭をくしゃりと撫でてくれた。
その心地良さに身を委ねていると、唐突に、手を出して?と言われ、恐る恐る両手を出す。その上に落とされたのは、何度か見たことがあるこの家の鍵で、私は固まってしまった。


「最初からこれ渡すつもりだったんだ」
「…ありがと!」


ぎゅっとその鍵を握り締めたまま、徹の胸にしがみつく。彼は有名人で、私はただの一般人。それがとても分厚い壁のように感じていたけれど、徹ならこれから先も私のことを手放さずにいてくれるよね?
そんな思いをこめて抱き着く腕に力を込めれば、同じぐらいの力で抱き締め返してくれた徹が、ずっと俺のものでいてね、なんて言ってくるから。なくなったはずの水溜りが再び出来上がって、いとも簡単に頬を濡らした。