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月島との帰り道


「蛍君、」
「その呼び方やめろって言ったよね?」
「…ごめん、」


こんなやり取りを何度繰り返したのだろう。うんざりするぐらい同じことを注意されているのに、私はいつまで経っても、月島君、という呼び方に慣れることができない。
蛍君とは、いわゆる幼馴染みだ。山口君と出会うよりずっと前から一緒にいたから、中学生になって急に、名前で呼ぶのやめてくんない?と言われた時は、かなりの衝撃を受けた。
どうして?私のことが邪魔になった?嫌いになったの?何をきいても、答えは返ってこなくて。納得できないままだからだろうか、高校生になった今でも、私は蛍君を蛍君としか呼べずにいる。
そりゃあ高校生にもなると名前で異性を呼ぶということがどういう意味合いを持つのか、私だって分かっているつもりだ。中学生の頃、蛍君が名前で呼ぶのをやめろと言ってきたのも、きっと勘違いされたり冷やかされたりするのが嫌だったからだろう。
分かっているのだ。ただの幼馴染みでしかない私が、蛍君の邪魔をしちゃいけないってことぐらい。それでも、テスト期間中のように部活がない時は、家が同じ方向だから必然的に一緒に帰ってしまう形になるわけで。いつもならいるはずの山口君は、用事があるからと言って先に帰ってしまったので、余計気まずい。
沈黙に耐え兼ねた私の口から飛び出した言葉から繰り広げられたのが、冒頭の会話である。なんだかんだで、大きなヘッドホンを耳につけず首から下げてくれているあたり、会話をシャットアウトしているわけではないんだということが分かってホッとしているのは私の胸の内だけに留めておこう。


「…で?話あるから呼んだんでしょ?」
「あ、うん。お母さんからね、最近できたケーキ屋さんで美味しそうなケーキを買ってきたから、蛍君も一緒に食べないかって連絡があったの」
「……ショートケーキある?」
「たぶんあるんじゃないかなぁ…」
「じゃあ行く」


蛍君は意外にもショートケーキが好きだし、ケーキを食べられるとなると結構素直だったりする。それは昔から変わらなくて、私より随分と大きな蛍君がなんとなく可愛く思えた。
そんな気持ちが表情に出ていたのだろう。蛍君は、何?と、すごく不機嫌そうに睨みつけてくる。これは本気で怒っているやつじゃなくてちょっとした照れ隠しだってことはお見通しだ。伊達に幼馴染みをしてきたわけじゃない。


「いつもは部活があるから、こうやって一緒に帰るのって久し振りだね」
「僕は一緒に帰るつもりなかったけど」
「…ごめん、」


ぐさり。見えないナイフが私の心臓に突き刺さる。確かに、そうかもしれないけれど、そんなに毛嫌いするほど私との距離を置きたがっているのだと思うと、さすがに傷付く。私は蛍君のことを特別な存在と見做しているから、尚更だ。
こんなことなら幼馴染みじゃなければ良かった。高校入学と同時に出会っていたら、私と蛍君との関係は変わっていたのだろうか。そんな有りもしない、もしも、ばかりを考えてしまうあたり、私は自分が思っている以上に蛍君のことを想っているんだということに気付かされて胸が苦しくなる。


「そういう顔すんの、やめてくんない?」
「そういう、顔…って?」
「だから、今みたいな泣きそうな顔。調子狂うから」


はあ、と大袈裟に吐かれた溜息は夕焼けの空に溶け込むように消えていった。
昔からそうだ。蛍君の優しさはとても分かりにくい。今だって、本気で私のことが嫌ならさっさと置いて帰ってしまえばいいのに歩調を合わせてわざとゆっくり歩いてくれているし、どうでもいいと思っているはずなのに私の微妙な表情の変化に気付いて蛍君なりに心配してくれている。


「やっぱり…蛍君って呼ぶのはダメなのかなぁ…」
「なんでそんなに名前で呼びたいわけ?」
「呼びたいっていうか…私の中で蛍君は蛍君だから…」


それまでゆっくり進めていた足をぴたりと止めて、蛍君が私を見遣る。それに合わせて私も立ち止まると、交わる視線。そういえばきちんと目を合わせることができたのは数年ぶりかもしれない。
眼鏡の奥の瞳は何を考えているのか全く読めなくて、私は内心とても焦っていた。けれど不思議なことに、その視線を外すことはできない。


「意味分かんない」
「…だよね、」
「けど」


好きにすれば?僕も好きなようにするから。
一方的にそう言われた後、とてもとても久し振りに蛍君が私の名前を呼んだ。名字じゃなくて、昔のあの頃のように、名前で。


「ケーキ。あるんでしょ」
「…うん!」


遠いところに行ってしまったとばかり思っていた蛍君が、今日を境に再び近くに感じて。嫌がられるかなと思いつつも、きゅっと握った蛍君の制服の裾。やはりと言うべきか、頭上からびしびしとやめろオーラを感じる。


「歩きにくい」
「ごめ、…ん、?」
「こっちの方がマシ」


蛍君の制服の裾を握っていた手が攫われて、そのまま繋がれる。手を繋いで歩くというよりは、なかば引っ張られているような感じではあるけれど、先を行く蛍君の耳は夕陽のせいではなく確かに赤く色付いていたから。もしかしたらずーっとずーっと前から、蛍君と私は同じことを考えていたんじゃないかなと期待に胸を膨らませてしまった。