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赤い糸より青い糸


※成人済み設定



青色が好きだ。進学したいと思った高校の名前に「青」が入っていたのは偶然だし、俺が今着ているユニフォームの色が青なのも本当の本当に偶然なのだが、これはもはや何かの縁なのかもしれない。

日本を遠く離れた場所。アルゼンチン。ここでの生活にもすっかり慣れて、青色のユニフォームに袖を通すのも日常と化した。ここまで辿り着くのに長い年月を要してしまったが、後悔したことは一度もない。
ただ、心残りは一つあった。それは、日本にいる彼女のこと。いまだに細々と遠距離恋愛を続けてはいるものの、やはり会えないというのは不安だし寂しい。それもこれも俺の我儘が招いたことなので、文句は言えないのだが。
彼女とは週に何度かテレビ電話をしている。毎日決まった時間に通話できればいいのだが、時差やお互いの仕事の都合があって、それはなかなか難しいというのが現状だ。仕事は仕方がないとしても、時差はどうにかならないものだろうか。
絶対にどうにもならないと分かっていながらそんなことを考えていた俺の耳に、そういえばね、という彼女の弾んだ声が飛び込んできて現実に引き戻された。画面の向こう側で笑顔を見せる彼女は、何年経っても相変わらず可愛い。


「実はゴールデンウィークにそっち行こうかなと思ってて」
「え!ほんとに?」
「うん。だいぶ貯金貯まったし。徹に会いたいし」
「いつ?予定調整する。空港まで迎えに行くよ」
「ありがとう。えっと……5月の1日から5日まで休みだけど、飛行機の乗り継ぎに時間がかかるから……そっちにいられるのは2日から3日の夜ぐらいまでかなあ」
「ですよね……」


アルゼンチンは日本のほぼ反対側。直行便はないから経由して来なければならないし、経由先での待ち時間も必要になってくるから、片道24時間以上かかってしまうのだ。この埋められない物理的距離をどれほど憎んだことか。しかしどれだけ憎んだところで距離は縮まらないのだから、余計に腹立たしい。
分かっていたこととはいえ、明らかに落胆した声を漏らしてしまった俺に、彼女が画面越しに「ごめんね」と申し訳なさそうに謝ってきた。彼女は何ひとつ悪くないというのに。


「俺の方こそ、なかなか行けなくてごめん」
「なんで謝るの。そっちで頑張ってるんでしょ?」
「それはそうだけど」
「じゃあ引き続き頑張ってください」


物分かりが良すぎる彼女は、寂しいとか、帰って来てよとか、俺を責めるようなことはひとつも言わない。……いや、正確には、言わなくなった、と言うべきだろう。
彼女が大学進学後、一般企業に就職したぐらいの頃からだっただろうか。それまでは数ヶ月に1回、彼女から何かしら不平不満、愚痴、弱音、それに準ずるネガティブな発言がぶつけられていたのだが(それでも頻度は少ない方だと思う)、それがぱたりとなくなったのだ。
社会人になって気持ち的に落ち着いた?それとも俺以外の誰かに相手をしてもらっているから俺は必要なくなった?いつ会えるかもわからない俺を相手にするより、すぐ近くにいる誰かの方がいいと思って愛想を尽かしてしまったのでは?そんな不安を抱いたのは、ほんの3ヶ月程度だった。


「仕事し始めてから改めて思ったの。徹は高校を卒業してからずっと、日本語が通じないところで夢を追いかけて頑張ってるんだよなあって。学生の時は、私には遊ぶ時間が沢山あって、ちょっとぐらい夜更かししたって寝坊したって大丈夫だったから、電話とかもっとしたいし、できれば長期休みの時には会いたいとか思ってたけど、仕事始めたらそういうわけにはいかないんだって実感して……徹はきっと、高校卒業してからずっとこんな生活だったんだろうなあと思ったら、なんか、私すごい我儘だったよなあって」


思い切って彼女に自分のちっぽけな不安をぶつけたら、返ってきたのがこの答え。俺は自分の浅はかさと低脳さに頭を抱えた。
高校を卒業したばかりの頃は、お互いに気持ちをぶつけ合ってよく喧嘩していた。画面越しの彼女は大体顔をぐちゃぐちゃにして「寂しいんだもん」「会いたいよ」と訴えてきて、そのたびに俺は「ごめん」としか言えなくて。何度も別れ話を切り出される覚悟をしたものだ。
しかし、どれだけ大きな口喧嘩をして連絡を取り合わない期間があっても、彼女の口から「別れたい」「別れよう」という単語は飛び出してこなかった。それが答えだったのだと思う。
もちろん俺も考えていないことは口に出さないから、今日まで無事に関係を継続させることができているのだが、果たして俺達はいつまでこのままなのだろうか。彼女との通話を終えた俺は考えていた。

良い意味でも悪い意味でも、俺達の関係は安定している。しかし、安定したまま何年も経過していて、終わりが見えなくなっているような気もした。
果たして彼女は今のままでいいと思っているのだろうか。ききたいけど、ききたくない。「徹はどうしたいの?」と問い返されてしまった時に、どう答えたらいいかわからないから。そして何より、現状に不満があるから別れましょう、なんてもしものもしも言われてしまったら、立ち直れる自信がないから。
俺は何年も前から、彼女のことをどうやっても失いたくないだけの臆病者だ。しかし、そろそろ殻を破らなければならないのかもしれない。この臆病さだけで取り繕われた殻を。
外に出て、うーんと伸びをひとつ。見上げた空は、今日も青い。


◇ ◇ ◇



赤色が好きだ。真っ赤なルージュ、ワンピース、ハイヒール。だから、というわけではないけれど、私はそれらが似合うカッコよくてイイ女に憧れている。けれども彼が私に差し出してきたのは、南国の海を彷彿とさせる鮮やかなブルーの宝石が眩しく光る指輪だった。
某空港内のロビー。もう少しでお別れ、いつもの日常が戻ってくる。そんな寂しさを消し去るとんでもない贈り物を前に、私は暫く彼の顔と鮮やかなブルーを交互に見つめていることしかできなかった。


「え、っと……、え?」
「結婚したい。名前と」


ごくり。私は彼のストレートな求婚に思わず息を呑んだ。
いつかはこんな日が来たらいいなと思っていた。全く期待していなかったと言えば嘘になる。しかし、私は二つ返事で「私もそう思ってたの!嬉しい!」と返事ができずにいた。
今よりもっと若かったら、何も迷わずに差し出された青を受け取っていただろう。いや、そんなに歳を取ったわけではない(つもりだ)けれど、でも、やっぱり私はそれなりに大人になっていて、だから、彼から結婚という単語が飛び出した瞬間、現実的なことを考えてしまったのだ。

5月の連休を利用して、彼に会いに行った。移動にかなりの時間を費やすから一緒に過ごせたのはほんの2日間ちょっとぐらいだったけれど、それでも私は楽しくて幸せだったし、おそらく彼も私と同じ気持ちで過ごしてくれていたと思う。
バレーのアルゼンチン選手代表として忙しいはずなのに、色んなところを案内してくれたり、チームメイトに私のことを紹介してくれたり。
私がアルゼンチンの空港を出発する時はいつも通りだった。お互い寂しくて、名残惜しくて、それでも笑顔で「またね」って笑って、私は彼から外国人みたいなハグとキスをされて。そうして訪れた「また」の機会は意外と早く、その年の夏だった。彼が試合のため日本を訪れたのだ。
試合会場で、久し振りに目の前でボールを操る彼に見惚れた。誇張表現でもなんでもなく、惚れ直した。ああ、この人は本当に頑張っているんだ、って。夢を叶えたんだ、って。カッコ良すぎて、眩しすぎて、涙が出た。

アルゼンチンに帰るまで少し時間があるからと、彼とデートをした。帽子にマスク、眼鏡をかけて顔を隠していても、その背の高さと隠せないオーラで「及川徹」だとすぐにバレてしまって、「さすがメディアで取り上げられてるだけあるねぇ」なんて笑ったりして。
恋人らしい雰囲気をたっぷり味わった後、いつも通りやって来た別れの時。また寂しさと名残惜しさを感じながら笑顔で「またね」と言うはずだったのに、彼はそこで私に思わぬプレゼントをしてきた。それが今である。
大好きな赤い色の宝石が埋め込まれた指輪だったら受け取った、とか、そういうことじゃない。私は、彼と結婚する、ということがどういうことか、真剣に考えているから悩んでいるのだ。
彼と結婚する、イコール、私もアルゼンチンで生活するということ。家族も友達も仕事も、今の私を取り巻く全てのものから離れて、彼だけしかいない異国の地で生きていくということ。果たして私は、それだけの覚悟をもってこの美しいブルーを受け取ることができるだろうか。躊躇う私に、彼が追い討ちをかける。


「俺について来てほしい」


そうだよね、そうなっちゃうよね。わかる。わかるの。私だって一緒にいたい。結婚するならついて行くのが当然だと思う。結婚はしたいけど今の生活を捨てることもできない、なんて、虫が良すぎるよね。だけど、だけど。
まだ飛行機が飛び立つまで時間はある。とはいえ、何分もこの空気に耐えられるわけもなく。私は今の気持ちを率直に伝えようと、震える唇を動かした。


「徹、あのね、」
「……って言おうと思ってたんだけど、やめた」
「え?」
「名前には名前の生活があると思うし、そう簡単に日本を離れるなんて無理でしょ」
「……ごめん」
「当然だよ。でも、ごめん。俺はどうしてもお前を自分のものにしたいから、やっぱり、どうしても結婚したい」
「ついて行けなくても?」
「今までの生活は変えない。ただ、名字名前から及川名前になってほしい。こんなの形だけで意味ないって思うかもしれないけど、」


俺が勝手にお前を繋ぎ止めておきたいだけなんだ。ごめんね。

彼はそう言って、泣きそうな顔で笑った。コートの上ではあんなに凛々しくてギラギラしている彼が、今は見る影もない。それがどうしようもなく愛しくて、私だけが知っている及川徹なんだと思うと幸せすぎて。
私の方こそごめんね。自分のことばっかり考えちゃって。ついて行く勇気がなくて。でもいつか、ちゃんとあなたのところに行くから。……違う。離れていても、ちゃんとあなたのところにいるから。
私は青を受け取った。赤より青が似合う女になろう。そう決意して。


「これ、サイズ合う?」
「わかんない。でも日本で買ったし、お店の人が調整できますって言ってたよ」
「嵌めてくれる?」
「緊張するなあ」


顔を綻ばせながら私の左手を取った彼が、ガヤガヤと騒がしい空港内のロビーで静かに指輪を嵌めてくれた。ほんの少しきつめだけど、うん、ぴったり!……ってことにしておこう。もうこのまま外せなくなってもいいや。一生つけていればいいんだから。
どちらからともなくクスクス笑って、私は外国人でもないのに彼に抱きついて、彼はそれを受け止めてくれて。そして私達はいつも通り、「またね」って別れた。

夏がすぎて秋がきて、冬になって春が訪れて、また夏がきて。季節が何度巡っても私の左手の青は色褪せない。空を見上げれば、今日も左手と同じ青が広がっている。彼もこうやって私を思い出しているのかなあ、なんて。どうやら私達を繋ぐのは、赤じゃなくて青らしい。