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ソーダ水に消える夏音


簡素なグラスの中でカランと氷が溶ける音が聞こえて、外気温の高さを思い出した。冷房のきいた部屋では季節を忘れそうになってしまうけれど、今は8月。窓の外では蝉が大合唱中。この涼しい空間から一歩外に出れば、汗が噴き出ること間違いなしだ。
グラスの中に入っているのはソーダ水。しゅわしゅわとしたそれは、喉の爽快感を倍増させてくれる私の大好きな飲み物。その存在を思い出し手を伸ばせば、私がグラスを手に取るより先に別の手がぬっと伸びてきて横取りされた。


「堅治!それ私の!」
「だって俺のもうねぇんだもん」
「だもん。じゃないよ。可愛くないし」
「そんなの狙ってねぇよ」
 

言いながら私のソーダ水をごくりと飲み下す男に「サイテー!」と罵声を浴びせる。今更間接キスを恥ずかしがる間柄じゃないからそこはどうでも良いのだけれど、問題なのは今のひと口で私のグラスの中のソーダ水がなくなってしまったことだ。
部活はお盆の最終日である今日のみ休みで、堅治は昼前から私の部屋に入り浸っている。ちなみに両親は朝から不在。早くから町内会の集まりに行ってしまい、帰りも遅くなるから夜ご飯は適当に済ましておけと言われた。


「お前んちなんだからおかわり自分でいれてくりゃいーじゃん」
「この涼しい部屋から出たくないんだもん」
「だもん。じゃねぇよ。可愛くねぇぞ」
「そんなの知ってますー!」
 

じゃあなんで可愛くない女を彼女にしてるんだ!と腹が立った。と同時に、ショックを受けた。今みたいな言い合いは日常茶飯事だけれど、今日は喧嘩なんてしたくなかったのに。
堅治は部活三昧で、こうしてゆっくり過ごせるのは久し振り。だから今日は、ちょっとぐらい恋人らしい雰囲気を味わえたらいいなって期待していた。それなのに、まさかこんなことになるなんて。
全てが堅治のせいじゃないことはわかっていた。私が素直に自分の気持ちを伝えられる女だったら、現状とは違う未来が待っていたんだと思う。
しかし、今現在すこぶる機嫌が悪い私は、堅治に背を向けてスマホのアプリを起動させるしかなかった。本当はアプリをやりたい気分ではなかったのだけれど、こうなったらいちゃつける雰囲気じゃないし。私、可愛くない女だし。こうするしかないじゃないか。


「なあ、怒ってんの?」
「別に」
「怒ってんじゃん」
「怒ってたら何?」
「そんなに飲みたかったのかよ」
「知らない」
「これ、氷が溶けてすっげー薄かったぞ」
「あっそ。だから?」


自分でも、これほどまで可愛くない反応ができるものだろうかと恐ろしくなってしまうぐらい素っ気ない返事しかできなかった。声のトーンも、今まで自分が発してきたどんな音色より低かったと思う。
堅治は気が長い方じゃないから、今の私の発言を聞いたら怒っちゃうかも。ソーダ水がなくなったぐらいでそんなに怒って馬鹿じゃねーの?って呆れられちゃうかも。そしてその結果、今すぐに帰ったりしちゃうかも。
しかし、帰られそうになったとしても、私に堅治を引きとめる勇気はない。だって、今更どんな顔をして「帰らないで」なんて言えばいいというのか。
もし今帰られちゃったら、このまま夏休みが終わって学校で顔を合わせるまで仲直りできないのかな。ていうか、もしかしたらこの喧嘩が原因で別れる可能性だってあるんじゃない?
だんだん最悪の結末しか考えられなくなってきて、でも、こんな状況になっても私には素直になる勇気がやっぱり出なくて。何やってんだろ、私。たかがソーダ水ごときで。
…違う。ソーダ水を飲まれたから怒ってるんじゃない。確かにそれは私が怒るきっかけになったかもしれないけれど、決定打は「可愛くない」という一言。たったそれだけ。それだけだけれど、十分傷付いた。こういうところは立派に女なのだから余計嫌になる。
背後で堅治が立ち上がる気配がした。いよいよ部屋から出て行ってしまうのだろう。今ならまだ間に合う、けど。私は動けない。


「お前、今日俺がどんだけ会えるの楽しみにしてたと思ってんだよ」
「へ?」
「俺が悪かったから、とりあえずこっち向け」
「……はい」


非常に不機嫌そうな声なのに怒っている気配は感じられなくて、むしろ懇願しているかのような口振りに、私はようやく堅治に向き合った。おそるおそる表情を窺えば、むすっとした顔で睨まれる。けれど、ちっとも怖くない。


「私も、楽しみにしてた」
「じゃあそんな態度取んな」
「可愛くないって言われたの、ショックだったんだもん」


相手が素直になるとこっちもつられて素直になれるらしく、私は今まで言い淀んでいたことをするすると口にすることができた。堅治はそれを聞いてぽかんとしている。


「は?そっち?」
「そうだよ!」
「そんなの……に決まってんだろ」
「何?」
「だから!そんなの可愛いと思ってるに決まってんだろ!ブス!」
「はあ?矛盾してるし!」
「うるせーな!ちょっと黙れ!」
「なんでそんなっ」


言い返そうとしたら腕を引っ張られ、強引にぶつかる唇。そんなことされたら黙るしかなくて、というか、声を発せるわけもなくて、室内は一気に静寂へ。じわじわとこみ上げてくる熱のせいで全身が沸騰しそうだ。
堅治を見つめる。すると堅治もこちらを見つめていて、あれ、もしかしてこれっていい雰囲気じゃないの?って思って。どちらからともなく近付き、今度はちゃんとしたキスをした。
ほんのりソーダの味。それからもう1回、もう1回とその行為を繰り返していくうちに、ソーダの味は遠くの方へ消えていった。ついでに、喧しかったはずの蝉の声も聞こえなくなっていた。