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Happy tears birthday


※社会人設定


社会人1年目も、あと1ヶ月で終わりを迎える2月末日。年度納めという忙しい時期ではあるけれど、名前はそれなりに充実した毎日を過ごしていた。明日からも頑張って仕事しよう。そんなことを思いながら布団に入った時だった。名前は唐突に思い出す。明日から3月。つまり、明日は3月1日。それは、大切な恋人である松川の誕生日ということでもあった。仕事に追われていた名前は、あろうことか、高校時代から付き合っている松川の誕生日を綺麗さっぱり忘れていたのだ。
なぜ前日の、それも布団に入り、あと数分で日を跨ごうかというタイミングで思い出してしまったのだろう。名前は困り果てた。明日は勿論仕事だし、松川も仕事のはず。そういえば、最近はお互いに忙しいからとあまり連絡も取り合っていなかった。何の約束もしていないし、これはさすがに彼女としてまずい。名前はとりあえず、日付が変わった瞬間にLINEでメッセージを送ることにした。
“誕生日おめでとう。これからもよろしくね。”
我ながらシンプルすぎるとは思いつつも送らないよりはマシだと考え、名前はその文面を送信する。問題は明日…否、もはや今日、どうするかだ。忘れていたのだから当たり前だが、プレゼントなんて用意していない。仕事に気合いを入れていた数分前のことなど忘れ、名前は如何に早く退社できるかをひたすら考え始める。
そんな時、スマホが着信を知らせる音を奏でた。まさかの、松川からだ。普段なら嬉しくて飛び付くところだが、今日に限っては例外である。名前はできるだけ心を落ち着かせて、通話ボタンを押した。


「…もしもし」
「もしもし?LINEありがとう」
「あ、ううん。むしろあれだけでごめんね」
「いや、全然。俺の誕生日、覚えててくれたんだなーと思ってびっくりしたわ」
「え?あ、そんなの、当たり前じゃん」


まさか数分前まで忘れてました、とは言えず、名前は乾いた笑いを零す。自分の下手な演技がバレていないだろうかとヒヤヒヤしながらも、電話は続く。


「あ、そういえば、明日って時間ある?」
「んー…仕事の捗り具合にもよるけど、たぶん何とかなると思う。何?祝ってくれんの?」
「勿論!仕事終わったら連絡するから、家で待っててよ」
「分かった。じゃあまた明日」
「うん。おやすみ」


電話を切ってから、名前はベッドに項垂れる。何も用意していないくせに、自分は何を言っているんだろう。彼女として何も考えていなかったことを悟られたくなかった名前は、つい自分から松川を誘ってしまった。こうなったらソッコーで仕事を終わらせて定時退社してからプレゼントを買いに行くしかない。名前はそんなことを決意して眠りについたのだった。


◇ ◇ ◇



翌日。午前中は順調だった。が、午後から急な会議が入り、あれよあれよと言う間に仕事が立て込み、気付けば退社予定の時間。目の前の仕事の残り具合を見ると、あと1時間…2時間はかかるかもしれない。この状況で、プレゼントなど買いに行けるわけがなかった。
名前は慌てて松川に電話をかける。今日は仕事が片付きそうにないから、また日を改めて祝わせてほしい、と。そう伝えようと思ったのだ。


「……名前?どした?」
「あ、ごめん。まだ仕事中だよね?」
「もうちょいで終わるかも。で?仕事終わったの?」
「それが…まだまだ時間かかりそうなの。私の方から誘っておいて申し訳ないんだけど…また今度、ゆっくり祝わせてもらえないかな?」
「あー…そうなんだ。……分かった」
「本当にごめんね。じゃあ、また」


良かった。これでゆっくりプレゼントも選べるし、仕事にも集中できる。名前は胸を撫で下ろすと、目の前の仕事に再度取り掛かった。


◇ ◇ ◇



結局、名前が退社できたのは、予定時刻を2時間ほど過ぎた頃だった。辺りは暗くなっており、名前はやはり連絡を入れておいて正解だったと安堵する。会社を出て、今日の晩ご飯は何にしようかなぁなどと考えながら歩いていると、進行方向に見覚えのある人物が壁を背にして立っていた。
名前は思わず立ち止まる。なんで、ここに松川が?日を改めると連絡して了解してくれたはずなのに、何かあったのだろうか。
状況を飲み込めず呆然と立ち尽くしている名前の存在にスマホをいじっていた松川も気付いたようで、ゆっくりと名前の方に向かって歩を進めてくる。


「お疲れ」
「なんで、ここに…?」
「どうしても会いたくなって勝手に待ってた。迷惑だった?」
「いや、そんなことはないけど…」
「ん。じゃあ腹減ったから飯食いに行こう」


久し振りに会う松川は、当たり前だけれど名前のよく知る松川で、なんとなくホッとする。そして同時に、どうしよう、という焦りが名前の頭を支配していた。プレゼント、ない。忘れたと言って誤魔化すか?いや、元々今日会う予定だったのにそれはおかしすぎる。じゃあ、どうすれば?
焦る名前をよそに、松川はさりげなく手を引いて歩き出した。どうやら行き先は決めてあるらしい。名前は大人しく松川に着いて行く以外、選択肢がなかった。


◇ ◇ ◇



「あの、一静…私、そんなにお金ない、かも…」
「俺がつれてきたんだから俺が払うって」
「でも今日は…」
「俺が良いって言ってんだから良いの」


松川が名前を連れてきたところは、少しお高そうなレストランだった。なんでも三ツ星シェフが作るハンバーグが絶品らしい。松川の好物であるハンバーグが絶品なら仕方ない。お金はまた後日返そう。名前はそう決めて店内へ入った。
外装から予見していた通り、落ち着いていてきらびやかな店内の小さな個室に通された名前は、やや緊張した面持ちで椅子に座る。誕生日を祝うにはもってこいのお店だとは思うが、自分ではなく松川チョイスだと思うと申し訳なさでいっぱいになった。きちんと自分が前々から準備していればこんなことにならずに済んだのにと、思わずにはいられない。


「何にする?」
「一静はハンバーグにするんだよね?」
「うん」
「じゃあ、私もそれで…」


料理を注文すると、ほどなくしてグラスにワインが注がれた。2人で乾杯して、他愛ない会話を楽しみながらワインを味わっていると、じゅうじゅうと食欲をそそる音を立てながらハンバーグが運ばれてくる。言わずもがな絶品だったそれを2人で平らげて、食事は大満足の内に終わっていた。
名前は、このまま誕生日のことには触れず何事もなかったかのように帰れば良いのではないかとも考えたが、さすがに誕生日の話題をスルーするわけにはいかないと思い直す。こうなったら正直に謝って、後日、改めてプレゼントを渡すしかない。


「あの、一静…」
「何?」
「お誕生日、おめでとう」
「ありがとう」
「それで、あの…プレゼントなんだけど…」
「うん」
「ごめんなさい。実は準備できてなくて…」
「うん、知ってる」
「そっか………、ん?え、知ってる、って、」
「ホントは忘れてたくせに、今日なんで誘ってくんの?」


松川はクスクスとおかしそうに笑いながら、責めるでもなく穏やかに名前に尋ねた。名前は、ポカンとしたまま、何も言わない。絵に描いたような放心状態である。


「何年付き合ってると思ってんの?名前の考えてることなんて、電話で声きいただけで分かるよ」
「最初から全部分かってて、今日も待ってたの?」
「うん。焦る名前、なかなか面白かった」
「ひどい…結構うまく騙せてると思ったのに……」
「俺のこと騙すなんて名前には一生無理だと思うけど」


散々な言われようだが、名前はぐうの音も出ない。気まずそうな名前を見て、松川は満足そうだ。


「それで、誕生日プレゼントなんだけど」
「何かほしいものがあるの?」
「うん」
「良いよ。リクエストは?」
「名前」
「うん」
「名前」
「……うん?」
「名前をちょーだいって言ってんの」
「…は?」
「ちょっと早いかなって思ったんだけど、どうせいつかはすることだし」


松川は淡々と話を進めているが、名前は再び放心状態だった。名前をちょーだいって、どういう意味だ。どうせいつかはすること?もしかして、それって、まさか、


「俺と結婚してよ」


そうだったら良いな、と。名前が考えていた言葉を、松川はいとも簡単に口にした。こんな、ドラマや漫画みたいな展開を、誰が予想していたというのか。放心状態から一変、名前は驚きと嬉しさがないまぜになって、ポロポロと泣き出してしまった。
そんな反応ですら予想済みだったのか、席から立ち上がった松川は名前の元に近付くと、膝をついて視線を合わせる。まるで、お伽話に出てくる王子様みたいだ。涙で少し滲んだ視界に映る松川を見て、名前はそんなことを思う。


「嬉しい時に泣く癖、変わんないね」
「…そうかな、」
「うん。俺と付き合ってよって言った時も泣いてた」
「そういえばそうかも」
「ってことは、返事も、あの時と一緒で良いよね?」
「……はい」


また潤んでくる名前の瞳が捉えたのは、今までで一番幸せそうな松川の笑顔だった。